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時間の使い方について本気出して考えてみた

このnoteは、これからの自分の時間の使い方を考えていた時に、

もし日本の「人的資本への考え方」が変われば、
「働く時間の使い方」にパラダイムシフトに繋がるのではないだろうか
と考えたことを綴ったものです。

自分の時間について考えただけなので、
「そこから日本のパラダイムシフトだなんて、、」と思う方もいるかもしれませんが、、、まさに仰る通りかもしれません汗

でも、せっかくだからnoteに書いてみようと思い、書き始めてみます。




冒頭でお伝えしておくと、
このnoteは、漠然と過ごしている時間を充実させたいという人向けではなく、やりたいことがいくつかあって、その両方を手に入れたいと考えている方向けのものです。
主に週5勤務という雇用契約のもとで働いている方には当てはまりやすいと思いますが、この考えの概念自体は、すでに個人事業主やフリーランスの方にも、該当する方もいるかと思います。

時間は「有限」、だから。


当たり前のことですが、時間は有限。
気付けば、今年も2月後半に差し掛かり、1月半の月日が経過した。
そして、自分も今年で34歳になる。
20代よりも、圧倒的に30代の方が過ぎる時間が早い。

 前向きに充実した時間を過ごしている証拠だと捉えてはいるものの、
このまま一瞬で時間が過ぎていくことを想像した時に、「今の時間の使い方は最適なのか?」と考えた。特に僕は27歳の時に大きな病気もしていることもあり、より一層そう感じることがあるかもしれない。

 僕は今、仕事で人事やコーチングの仕事をしていて、
いずれの役割も、自分の人生において追求する価値があると思えているもので、それぞれに達成したい目標も持てている。
もっともっと、その経験を深めていきたいと心から思えている。

 一方で、実はもう一つ挑戦したいこともある。
内容はまた別の機会に書くとして、それ自体は人事やコーチングを活かせるものだが、延長線上にはないものだ。
だから、こちらは新たに取り掛かる必要がある。

 そこで思ったことは、
今の仕事も追求したいし、他のことにも探求したい。

「優先順位を決めろ、やらないことを決めろ」という声もあるかもしれないが、僕は両方を目指したい。いまのところは。

「 この両方を追うことが出来ないのか?」

この問いが、このnoteを書くことになったきっかけである。 


追求と探求の最適解

まず、自分が「追求と探求」の両方を得たいと考えた時に、頭に浮かんだものが2つある。

1.両利きの経営

両利きの経営とは、

企業が「既存事業を最適化」しながら、「新規事業の探索」も同時に行う戦略のこと。特に変化が激しい今の社会において、「知の深化(既存事業の強化)」と「知の探索(新規事業の開拓)」を両立できる組織としての能力が求められるということが、書籍の中で主張されている。

2.Googleの20%ルール

Googleの「20%ルール」とは、

社員が勤務時間の20%を通常の業務とは異なるプロジェクトや新規事業の立案に充てることを許可する制度で、社員が自身の興味や情熱を追求し、イノベーションを促進することを目的にしたものである。
(実態として、120%の稼働で運用しているなどの課題がであるという記事も目にするが、、)

いずれにせよ、企業において、このnoteの言葉でいうところの「追求と探求」の両方が、成長をしつづけるためには重要になってきているのだろう。

だとすれば、企業を構成する個人にも、
その両方を目指すことは、むしろ必要になってくるとも言えるだろう。

 
ではどうするのか?
ここから、このnoteで僕が伝えたい内容に入っていく。
(お待たせしました)


これからの時間の使い方


 いきなりにはなるが、これが今の僕が理想とする働き方である。

(今の僕が理想とする時間の使い方)


一週間の50%前後を「追求」の時間に当てて、
「探求」の時間を一週間の30%前後確保する。
そして一週間のうち1日は「余白」の時間。 

社内で柔軟な兼業制度や、Googleのような20%ルールなどがある場合は、
このようなことを考える必要もないかもしれないが、あったとしても自分が100%満足する業務が社内"だけ"にあるかと言うと、そうでない事の方が多いと思う。いや、多い。

 だからこそ、
1つの社内で全てを完結させようとすると限界があるので、得たいものがあるところで時間を使えたらいいなと。

現時点では、この時間の使い方を求めているが、
配分はその時々によって変わるし、時には「追求」のみの時間を設けて深めることに集中して、また少し経ったら「探求」を入れているような使い分けが出来るのが理想だと思う。


ただ、今ですら、週5の仕事でパンパンなのに、そんなことは可能なのか。

 


AI時代の到来


最近は、たくさんの企業やサービスがAIを活用にしたものになってきて、
直近でも、「DeNAはAIにオールイン」で話題になった南場会長のプレゼンについて、見た人/聞いた人も多いのではないだろうか。

 今の半分の人員で現業を成長させ、残りの半分で新規事業に投入
(ユニコーン大量生産)

なにより、ご自身が一番興奮していて、すでに高いレベルで活用していることを、多くの方が称賛している。

 ここで言いたいことは、

今は週5勤務を当たり前のものとして仕事をしているが、
すぐに週4から週3に、そして半分で完結できるようになる未来はすぐに来るだろうということ。
(現状の自分の効率性は伏せておき、、そしてAIは赤ちゃんレベルなので、それに慣れることにも時間が必要、、笑)

そんな世界が当たり前になる時までに、

日本の「人的資本」に対する考え方"も"、変えることができたら、
日本はもっと価値を生み出すことができるのではないか。

 そんなことを考えた。


労働人口不足の問題


 この問題も、耳にタコができるくらい聞くことがある。
暗いニュースに悲観的になっても仕方ないので、解決はできなくとも改善するためには何が出来るのか、なんてことは少しだけ考える。

 頭にある構図はこんな感じ。

ー 労働熱量をあげるー

(mentoの言葉が大好きなので拝借してます)

いわゆる、最近よく聞く「エンゲージメント」に関するところで、日本のエンゲージメントは世界比較でもずば抜けて低い。

そこを高めることで、今の労働力は増えなくても、熱量をあげることで日本はまだまだ元気になれる。
この領域は、人事としてもコーチとしても貢献できると思うところで、今後も自分が追求していきたいところでもある。

ー 労働生産性をあげる ー

まさにAI活用によって、既存業務の効率化や削減を図ることで今の労働力での生産性をあげることができる。
仕組みやツールを用いながら、一人当たり生産性を高める働きかけも出来る。

ー 労働力を増やす ー

まずはシンプルに、外国人労働者の雇用や、子育て層・高齢層などの参画ハードルをさげることで増やせることが思い浮かぶ。

そして、ここまできて考えるべきは、
生産性をあげられる未来はすぐそこまで来ている中で、
そこで生まれる「余力」や「余剰」はどこへ向かうのか?



「余力」や「余剰」はどこへ向かうのか?


この問いへの、自分なりの解がこのnoteで伝えたいところだ。

AIによる生産性向上により、
・自分のなかで生まれる余力
・社内では貢献できる領域が少なくなり生まれる余剰

ここに、
日本で有しているけど、活かしきれていない力があるのではないだろうか?

そこで提案したいのが、
「有限な人的資源を日本という社会で共有する」という考え方。

これは個人的な考えだが、
社内で自分のスキルを抜群に活かせる業務以外はせず、その分週休3日制にしてもらい、週2は他の場所でそのスキルを欲している場所で貢献したい気持ちが強くある。

好きなことだけをしたいわけではなく、得意でもないことに一定の時間を割くことの勿体なさが強く、会社視点で見ても、なんとかできる人にやってもらうより、その道のプロが担い、最高の結果を出したほうがいいだろう。

週5日という規制に縛られることなく、
人材を社内に囲い込むことなく、必要な場所で共有し合うことができたら、

個人は自分の価値を高め、会社も質の高い成果を追求できる。

この「働き方」や「人的資本」に対する考え方にパラダイムシフトが起きたら、日本はもっと良いものを創り出せるようになるのではないか。



 具体的な活かし方

「安心と挑戦」

ここはまさに今の僕も該当するかもしれないが、今のスキルや経験を活かしつつ、生活費は稼げる「安心」を保ちながら、生まれた余力で、まだ経験したことがないけど、「挑戦」したい領域に取り組めるようになることが一つ言えるだろう。

誰しもが、0 or 100の世界に挑戦できるかと言えば、そうでない人が多い中でも、安心とセットにすることで、今よりも挑戦する人が増え、それが今はまだない新たな価値に繋がるのではないだろうか。

「安心とセットなんかじゃ続かないよ」という方もいるかもしれないが、
やらない人はいずれにせよやらない、と僕は思っている。
そして、僕は日本人らしくて良いなとすら思う。

「余剰と不足」

これから、AIがより活用された先には、
DeNAのように既存業務の半分がなくなることも起こりえるだろう。

DeNAのような、残りの半分を新規事業に投下できる組織基盤などがあれば、社内で再配置が可能だが、全ての会社やすべての人がそれを満たせることはないだろう。そこで出てくるのが、社内での「余剰」。会社としては解雇が難しい日本において、出口戦略もより重視されていくだろう。
明日は我が身で、自分も肩を叩かれる日がすぐ来るかもしれない。

 一方で、例えばエッセンシャルワーカーと呼ばれる職種は人手不足と言われており、多くの場所で「人がいないからお店を開けない」といった声もよく聞く。エッセンシャルワーカー以外にも、人口減少が進む中で中小企業の人手不足は今後も深刻化することが安易に想像できるだろう。

 そこで、ある会社では「余剰」になった人員でも、その方がもっているスキルが、他の人が「不足」している会社では重宝されることなんて往々にしてあるし、同じ職種でなく新しい職種を身に着ける機会にもなるだろう。

 会社としても、
(当然本人同意が必要なことだと思うが)現職では週3勤務の雇用契約に変更して、同時に他の会社の職をセットで提示などができたら、本人にとっても生活費が激減する恐れも払拭して、日本として、有限である人という資本を、無駄なく価値創造につなげていけるのではないかと僕は思う。

 



日本と諸外国の違い:自立性

上記に書いた働き方が増えていくことで、もう一つ大きな変化が起こると思っている。

「個の自立性」が高まること。

 雇用習慣が理由なのか、ひいては島国文化や敗戦による助け合い精神が理由なのかは分からないが、ここらへんの詳細は分からないが、
日本は諸外国よりも、仕事における「自立性」が低いと言われている。
海外留学時にもそのことが強く感じたし、人事としてキャリアの話をするたびに強く感じる。

アージスジャパン社の記事より引用


ただ、今回のテーマで書いている「追求と探求」の"組み合わせ"は、
当然人によって十人十色であり、その組み合わせが、「自分だけの強み」となり、社会における個人の自立性にも繋がると信じている。


日本らしい成長の追求

 
誤解がないように伝えておくと、
僕は何も諸外国のようになればいいと言いたい訳ではない。

 僕がこうなったらいいなと思うのは、「日本らしい成長の追求」

 個の自立を促しながらも、
日本人の少し心配性だったり、周りを気にしすぎる傾向も尊重しつつ、
その中にある挑戦したい気持ちを妨げているハードルを下げることで、
日本ならではの価値創造ができたら、それは素敵なことだなと。


 そんなことを考えたところで、
まずは自分がその働き方が可能なのかを、小さく実験してみようと思う。

アイデアを綴っただけの長いnoteにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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