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きちんと選考されること
パリオリンピックが終わって少し経った今でも、それに関する記事はちらほら出てくる。
中でもよく目にするのが、ブレイキンのオーストラリア代表Raygun選手に関するもの。代表に値しない実力だったのではないか、とか、選考プロセスに問題があったのではないか、とか、抗議の署名活動が行われている、とか。
違和感なのは、例えばマラソンでトップからはるかに遅れてゴールする選手はある種の感動と共に迎え入れられる一方で、今回のRaygun選手に関しては逆の反応である、ということ。オリンピックの場で競技レベルという観点では低いパフォーマンスをした、という意味ではどちらも同じはずなのに、どうしてこうも受け止められ方が違うのだろうか(尤も、遅れたマラソン選手に関しても、SNS上で誹謗中傷がきていることは、想像に難くないのだが)。
考えられる可能性はいくつかあるが、そのうちのひとつは選考の明瞭さだろう。陸上競技をはじめとしたタイム等の明確な基準による選考がある競技については、過去のパフォーマンスで参加の可否が決められる。一方そうでない競技は、実際はきちんとした選考方法があるのだろうが、それがその競技のことを知らない人にとってはイマイチわからず、選考に不備があったという疑念を生むのではないだろうか。
なお、陸上競技等でダントツビリでゴールする選手の中には、オリンピック出場権を獲得した選手がひとりもいない、あるいは少ない国に与えられる「ユニバーサリティ・プレイス」を使って出場している人が多くいるので、本来であれば上記の理由にはそぐわないのだが、そのことを知っている人はあまり多くはないのだろう。
また、別の可能性として、“頑張ってる感”の多寡もあるかもしれない。ひとり大幅に遅れてゴールに向かう選手は、とはいってもその人なりの努力が伝わりやすいがゆえに感動を生みやすいが、それが分かりにくいブレイキンのような競技においては、その“頑張ってる感”が少ないがゆえに、「真面目にやってる?」という疑念を抱かせるのだろう。
今回の件で、大衆は出場選手の人選に対してこれほどまでに敏感に反応するということが明るみになったと思うが、その事実に私は驚いた。Raygun選手の件に過剰に反応しているのはごく一部なのかもしれないが、それにしても彼女に関するニュースの多さを鑑みると、そうとも言い切れないような気がしている。
そして、いずれにしても、選考プロセスに不正や不備があったかどうかについてはわかり得ないものの、オリンピックに出場したアスリートをどういった形であれ攻撃する権利は誰ももち得ていないと私は思うのだが、どうなのだろう。
ところで、Raygun選手に関するニュースを見ながら、私は「きちんと選考される」ことの大事さについて考えていた。これによってオリンピックはそのクオリティを維持することができている。当たり前だが、誰しもが参加できるわけではないからこそ、オリンピックは面白いのだろう。
昔はブランドを立ち上げられる人は限られていたはずだ。才能やアイディアだけではなく、お金やコネクションなどもないと、何もできなかったのではないだろうが。
それが今日、特にフレグランスブランドは、極端なことをいえば“何も持っていなくても”はじめられてしまう。
もちろんそれにはいい側面もある。つまり、才能やアイディアはあるがそれ以外のものを持っていない人にもチャンスを与えられていることを意味するのだ。その一方で、この“何も”の中には、才能やアイディアさえも含まれているから恐ろしい。
昔の“選ばれし人”しかフレグランスブランドを立ち上げられなかったマーケットと、今日の誰でも“手ぶら”で参加できるマーケット、どちらの方が魅力的であるのだろうか。これについて、ここではあえて私の考えを表明しないが、改めて考えるべきテーマであるように感じている。
いずれにしても、何事にも良し悪しがあるので、全てがうまくいくことはないのだけれども。
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