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評価を排除すること

今朝早くに淡路島を出て、徳島を経由してところどころに立ち寄りながら、夜に高知に到着した。

明日の夜のフライトで東京に帰る。3泊4日の出張がもうすぐ終わろうとしている。数日前に閉幕した伊勢丹新宿店での「サロンドパルファン2024」から中一日で出発したこともあり、私の疲労は今ピークに達している。なんだか「サロンドパルファン」の期間中も含めてずっと旅をしている気分になっている。

今回の出張は、長距離の移動、1日3回の外食、慣れない道の運転、フランス語での会話と通訳、合間合間の仕事対応に加えて、note執筆に伴う睡眠不足が私を襲う。先ほど夜9時に我慢できずに1時間ほどの仮眠をとったものの、頭はまったくもってスッキリせず、noteを書くために筆をとったのは11時半を回ってからだった。さて、何時ごろに書き上げることができるだろうか。


ただ、その疲労と引き換えに、私たちは思いがけず素敵な体験をしている。今日の道中では、徳島の地元民に長いこと愛されているうどん屋と、山奥の廃校を改装して作られた施設のカフェが特に印象に残った。いずれにしても、今回の出張でのあれこれの体験は、調香師Jean-Michel Duriezが「せっかく日本に来たのだから出張も絡めて日本の地方に行ってみたい」と言い出さなかったら、私自身も体験することのなかったであろう出来事ばかりだった。その意味では、彼の“ワガママ”も悪くはなかったのだろう。それに、彼の好みやリクエストに合わせて旅程を組むのは一苦労だが、今のところは概ね満足してもらえているようだ。ということで、とりあえずは一安心。


ところどころで車を止めて、四国の美しい自然、美しい景色を眺めた。いつも持ち歩いているカメラのシャッターを何度も切ったのに、後で見返した写真の上にその美しさまでは現像されていなかった。刹那がっかりしたのちに、思い直して、何も残念なことはないと悟った。


「みんな、案外認めてもらいたいんだよ」

とある日にとあるテーマについて話していた際に友人から出たこの言葉に私は、半分納得することができた。確かに人の行動の結構な割合を、「他人に評価してもらうこと」を目的としているものが占めているのかもしれない、とふと思った。それはもちろん、私にしたって同様だろう。他人からもらういい評価というものは、たとえそれが自身の意図から乖離したものであったとしても(それはしばしば「作品」と呼びうるものにおいて起こることなのだが)、やはり嬉しく感じてしまう。

ただ、先の言葉が私にもたらした納得以外の残り半分は、不思議さだった。なぜ人は、自分自身の満足以上に、他人からの評価に重きを置くのだろうか。もっというと、自分自身の満足を犠牲にしてでも、他人からの評価を獲得したいと望むのはどうしてだろう。それは一見すると理にかなっていないが、実はこの厳しい世界を渡り歩くための合理性を備えているのかもしれない。あるいは、それはまったくもって非合理的な行動であるのだろうか。

さて、実際のところはどうなのだろう。今の私には正直よくわからない。


他人から評価される美しい写真を残すことと、息を呑む美しい瞬間に立ち会うこと、どちらが私をより幸せにしてくれるのだろう。繰り返すが、その答えを今すぐ出すことは私にはできない。ただ、今日撮った写真を見返しながらInstagramにアップするものを選んでいる際、どの写真も“何も語っていない”ことに対して、私自身が「何も感じなかった」ということは、先の問いに対する回答が、時の流れの中で、私の中で徐々に変化を見せている、ということなのかもしれない。もちろんそれは、前者から後者への変化である。今の私はその変化を、とても好意的に受け止めている。

そして、もし私自身の中で、他人の評価を完全に排除することができたら、私が作るものの「作品」としての評価はあるいは大きく下がるだろうが、私の中をより幸福で満たすことができるようになるのかもしれない。


それについてはまたどこかで考えることにしよう。いずれにしても、「家に着くまでが遠足」を信条とする私、まずは無事に明日の夜に家にたどり着けるよう、安全運転に心がけようと思う。

明日もまた、いい一日になりますように。


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