🍥燻製茶漬け🍥
日本人の生活に馴染み溶けこんで、あたりまえに──そこにある。
日ごろ、とくべつ意識などしないが、よくよく考えてみると、その実はおそろしく混沌で捉えどころのない食べもの。
それが、茶漬けだ。
白飯に茶や出汁だけを注いだものから、わさびや塩鮭、梅や海苔をのせたもの。ヅケた魚やカラスミ、あるいは鰻の蒲焼をのせた贅沢なもの。これらも茶漬けというジャンルのなかでは極々々一部だ。
注ぐ出汁や茶の種類も多岐にわたって、なかには冷や飯を洗って冷水だけを注いで食べる、といった、私のような酔狂もいる。
地域、郷土性によってもちがうし、家族、ひいては個人によっても「茶漬け観」はちがう。
神道──日本人にとって「神のかたち」が無数にあるように、茶漬けにも八百万のかたちがあるのかもしれなかった。
さて、茶漬けの多様性──ふところの深さを象徴するものに、森鴎外の愛した「饅頭茶漬け」がある。
うえええ...マジか鴎外!?
などと、脊椎反射的に眉間にみっちり皺を寄せてしまったが、多様性とは受け入れがたいモノにも目を向け、そして受け入れようとする度量のことだ。
──わたしは、まんぜうの茶漬けがたべたい
──わたしは、まんぜうの茶漬けがたべてみたい
──よし、まんぜうの茶漬けを食べる心構へになつた
早速、受け入れてみよう。
俺モ体験主義者ナンダ 日本人ダケドナ。
「きみを茶漬けにして食うのは、本当に、本っ当に気が引けるんだ」
などと腹を割って伝え、腹を割った饅頭を飯に乗せる。乗せる、というよりは、載せる、といった趣だ。
鴎外流は煎茶だが、あいにく切らしていたので濃いめの焙じ茶を注いだ。
「もしものとき」のために、黒糖饅頭も添えたが、もしものときに備えてから「もしものときとは一体なんだろう」と、もしものときについて考えた。
それはさておき、あんこを箸で崩し、茶で溶くように米に馴染ませ、そしてサラサラと流し込む。
進次郎の構文がごとく寸評になってしまったが、それ以上でもそれ以下でもない味わいだ。
構成する材料が近いものに「おはぎ」が挙げられる。したがって、「おはぎを頬張って茶を喫む」という行程が一手に短縮された「超おはぎ合理化現象」が起きることを内心期待していたものの、饅頭茶漬けは徹頭徹尾、饅頭茶漬けでしかない。
「何かが起こる」ことをどこか期待していた私は、がっくりと項垂れて、「もしもの黒糖饅頭」を食べながら、とぼとぼと帰路を辿った──と思ったら、はじめッから家の中にいたことに気がついて頬を赤らめたのだった。
森鴎外に饅頭茶漬けをご馳走になって辟易としたところで、次は私の茶漬けを紹介していこう。
まず、カマンベールチーズを手にとって、
──なんて乳くさいヤツなんだ
──乳くさいくせに面の皮の厚いこと
──帰ってママのおっぱいでも飲んでいやがれ
──のっぺらぼうで木偶の坊め
──カマンベールチーズみたいな顔しやがッて
などと、よってたかって罵声を浴びせる。
すると、アラ不思議あんなに乳くさくて生っちょろかったカマンベールが褐色に、そしてスモーキーに。
嘘をついてしまった。
罵倒で燻製効果が期待出来るなら、今ごろ私は食べ物にあらゆるハラスメントを施して大金持ちになっているはずだ。
燻製加虐はさておいて、カマンベールチーズは45〜70℃に徐々に温度を上げながら都度スモークチップを足し、結露防止をしつつ温燻で3時間ほど燻製する。
常温でしっかりと冷ましてから、パッキングして冷蔵庫で数日休ませて完成だ。
乳くささが取れ、表皮がバリッとスモーキーで中身がトロトロのカマンベールは、もちろんそのまま切って酒のあてにしたり、アヒージョに入れて「フォンデュ」的に具材をひたして食べたり、キャッチャーミットへ向けて力いっぱい投げつけたり──茶漬けにしたりと、我が家では何かと活躍してくれる。
さて、カマンベールを切り分けていこう。
凍らない程度に冷凍庫で冷やすと切り分けやすい。凍ってしまうと風味や食感がやや落ちるきらいがあるので気をつけたいところだ。
チーズを常温に戻している間に、昆布と鮪節で出汁をとって濾し、塩少々、あるいは薄口醤油少々で淡めに味をつけておく。
続いて、細かく切ったベーコンを弱火で煮出し、自身から出た油脂でじっくりと揚げ焼きにし、カリッとしたら余分な油脂は取りのぞく。
熱々のごはんにカリカリベーコン、燻製ゴマを散らす。そして、カマンベールを何かの記念碑かのように載せ、アフロ大葉をあしらってユウスキン特製爆裂燻製茶漬けの完成だ。
熱々の出汁を注ぐと、鯱張っていたカマンベールがぐでん、と蕩け、いかにも「さあ今だお食べ」といった様子となった。
ごくり、と喉が鳴って、矢も縦もたまらずに私はがしゃがしゃと箸をつかんで茶碗にむしゃぶりついた。
すさまじい熱さだ。しかし、箸を止めるわけにはいかない。熱さに堪えることは出来るが、この茶漬けを抑制など出来るはずががない。
ハフホフと──口のなかで熱さを「ころがし」宥めていると、徐々に味わいが浮き彫りになっていく。
鰹出汁とクルトン状となったベーコンの味わい、そして汁面にうつくしく浮かぶその脂と旨味。とろけたチーズの優しくスモーキーな奥深さ。それらが米という舞台のなかで渾然となって、もう、なんだか、怒りすら覚える美味しさだ。
私
は
激
怒
し
た
──妻よ
──私が逝ったら、棺のなかに材料を「同封」してから荼毘に付してくれ
──なぜかって?
──黄泉で森鴎外に燻製茶漬けを振る舞うんだ
などと妄想しながら、モクモクの燻製をサラサラの茶漬けに加えた挙げ句、美味さのあまりイライラしたあと、鴎外に会えるワクワクまで発生する、という、擬音語まみれの──なんだかケッタイな茶漬けが出来上がったのだった。