🍥参鶏湯🍥
こうも気温が乱高下する日が続くと、いくらチャック・ノリス譲りのタフガイを自認する私といえども、ゲホゴホウッホと風邪を引かざるを得ない。
こじらせては事だ。仕方がないのでここは寝て治すかと、大好きな稲川淳二の怪談を子守唄代わりに聴いて横になっていたら、風邪の悪寒と怪談の怖気でぞわわと身震いし、たちまちザザーっと鳥肌が立った。
ザザー、ザザー、と立ちに立った鳥肌を鎮めるには、トリを煮込むに限る。中国の薬膳でいうところの、不調を来した身体の部位と同じところを食べる、同物同治と同じ発想だ。
トリをもってトリを制す、ということである。
我ながら何を言ってるのかサッパリ解らないが、早速スーパーの精肉コーナーでぷりんと鎮座している丸鶏をムンズと掴み、速やかに連れて帰った。
帰宅してすぐに、丸鶏の「ムダ毛処理」を行う。プロの処理で店に並ぶものとはいえ、毛の一本や二本は残っているものだ。一本の残り毛に目くじらをたてるくらいならば、残り毛を一本見つけるごとにひとつ福が来る、そういった鷹揚とした気持ちで過ごしたほうが精神衛生上よろしいと思うトリ。
いけない。私のなかのトリ閾値が基準値を超えつつあるようだ。
それはさて置き、つんつるてんになった丸鶏の腹のなかまでよく洗って水気を拭きとる。
しっかり浸水して水気を切っておいたもち米、乾燥なつめ、にんにくを鶏の腹に詰めていく。せっかくだから、妬みや嫉みをはじめとした各種煩悩も一緒に詰め込んでスッキリしておこう。
楊枝で腹を閉じ、たこ糸で脚を縛る。より複雑怪奇に緊縛しコンプライアンスに抵触したくなるが、一切の煩悩は腹に詰めたはずだ。頭を冷やせ。
過去の悪夢がひたひたと跫をたてて迫ってくるように、ひたひたに水を注ぎ、乾燥なつめ、にんにく、唐辛子、生姜を加え、火にかける。
ふつふつと沸いてきたら出てくる灰汁をすくい、清酒をダボボと注ぎ、蓋をしてとろ火で1〜2時間煮込む。
塩少々で味を整え、せりを加える。せりの旬を逃した場合は、パクチーや春菊もありだ。何の香草も手に入れられなかったときは、ぢ、と掌でも見つめながら己の無力さを恨むがいいだろう。
ほろほろに煮えた丸鶏をほぐし、骨を取り除く。すべての骨を取り除くことが家族への愛の試金石だという意気込みで、血眼になって鍋を探訪し骨を取り除いていく。
なお、除いた骨にこびり付いた肉は家族の目を盗んでビールとともに流し込む。こういう「はしっこ」が最高にうまいのだ。
そして日は暮れ、あらためて参鶏湯を家族で囲む。
風邪で弱った身体に鶏の滋味が沁みわたり、何とも徳の高い夕餉となった。しかし、すべて取り除いたはずの骨が出てくる出てくる。
私の家族愛などこんなものか…
などと、シュンと打ちひしがれ、ついでに風邪も後を引き、ふたたびザザーと鳥肌をたてるのだった。