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🍥燻製タルト記念日🍥



入籍して10年が経った。


月日がはやく過ぎゆくことをたとえて、光陰矢こういんやごとしと言うが、結婚してからの光陰は矢どころか、もう、なんというか、発射されたパラベラムバレットくらい速い。言うなれば、婚姻こんいん光陰こういんPBの如し、である。

当時、結婚は人生の墓場だ、結婚は忍耐だ、などといった結婚に対する誹謗中傷ネガキャンをススッといなしながら婚姻届を提出しつつ、

「私の忍耐力と墓場力がついに試されるのか」

などと鯱張しゃっちょこばっていたのに、妻や子と日々を過ごすうちに「なんやケッコン楽しいやんけ」と思い至り、ギンギンだった鯱鉾しゃちほこも、いまやグデンと弛緩しきったナマズさながらである。

「ケッコンは大変だぞぅ」と脅しをかけてくるわりに一向に離婚する気配のない謎の勢力は、実は結婚が楽しくて楽しくて、妻や子可愛さの照れ臭さを糊塗するための方便ミスティフィカシオンとして、結婚を悪し様に喧伝しているのではなかろうか。

上記のような、若者に墓場説を唱えて結婚を貶めてまわる「様式美おじさん」の跋扈ばっこが目に余るので、私は「結婚はイイもんだぞぅ」などと触れてまわる「キューピットおじさん」として、晩婚化や少子化に一矢報いたいと思っている今日この頃だ。しかし、私に乗せられて結ばれたはいいものの、婚姻生活がうまくいかず破綻をきたしても当局は一切関知しないので悪しからず。

おりしもその頃、ぷりぷりとして黄緑色に輝くシャインマスカットをいただいたので、結婚記念日もかねてタルトを作ることにした。作ることに決めたはいいものの、マスカットのシャイン成分が日陰者の私にはあまりにも眩しすぎる。ここは燻製家として、煙で幕をつくりシャイン成分の50%はカットしておきたいところだ。

シャインマスカットに対して煙幕を張るとはいえ、フレッシュな果物を燻製にするわけにはいかない。マスカットの水分と煙が有害な木酢液を発生させ、記念日を毒々しく飾る可能性がきわめて高い。ここはマスカットを諦め、他に煙を委ねよう。

ということで、バターをかさぬように、じっくりと冷燻にかけていく。燻製を終えたバターはタルト生地とアーモンドクリームに使用して、マスカットの土台に煙を纏わせていく。

ねていると、生地から燻香が漂ってくる。胸いっぱいにそれを吸い込み、白目を剥いて堪能する。白目は愛情の裏返しであり、眼球の裏返しでもあった。

冷蔵庫で休ませた生地を伸ばし、タルト型に敷き詰め、生地の浮き上がりを防ぐためタルトストーンで重しをしてオーブンで焼き上げる。ちなみに、このタルトストーンは酩酊しながらいつの間にか購入していたものだ。妻の目から逃れるように棚の奥に封印していたが、ようやく日の目を見せることが出来て私も胸のつかえが取れた気分だ。

タルト台が無事に完成したので、タルトストーンはお役御免となって棚の奥に再封印される見込みだ。再びシャバに出てくるのはいつの日か。そう考えたらタルトストーンが可哀想に思えてきた。タルト作り以外に何か使い途がないものかと思いを巡らせると、ポケットに常備して刃物を振りかざす通り魔に投げつけ、一時的にひるませるも、致命打には至らず怒りを誘発させ更に危険な状況に陥らせることが可能かもしれないな、そんなことを考えながらやはり棚の奥にそっと置いてサヨナラをした。

燻製バター、アーモンドプードル、砂糖、卵を練り込んだアーモンドクリームをタルト台に満たし、再びオーブンで焼いていく。

焼き上がったアーモンドクリームはいかにもフカフカとした佇まいで、べふっと顔面から飛び込みたい衝動に駆られるが、結婚10周年を飾る行為としてはいささか乱暴が過ぎるし、それを皮切りに憤怒した妻が10年分の不満をぶつけてくる可能性すらあった。ここは顔タルトをグッと堪えて先に進もう。

今すぐにでもマスカットをあしらっていきたいところだが、タルトの神が私の耳元で「まだカロリーが足りぬ」とのたまわれたので、甘いカスタードクリームを祈りとともに塗りつけていく。

半分に切ったマスカットを放射状に並べ、フレディ・マーキュリー先生を草葉の陰から引っ張り出して蝋燭を灯し、10周年タルトの完成だ。

どこから刃を入れるのか──このテのケーキの重要課題だが、もう面倒はゴメンだ。「ここからは──きみの仕事だよ」などと煙に巻きつつ厄介を妻に丸投げする。

見事に切り分けた入刀女房に内心快哉を叫びつつ、まずはひと口、じっくりと味わう。


甘いタルト台
甘いアーモンドクリーム
甘いカスタード
甘いマスカット


甘さ四重奏カルテットが私の味蕾みらいに襲いかかり、急激な血糖値の上昇によってバタンキューと昏倒してしまいそうだ。あまつさえ、ビター的な効果を期待した燻製バターですら、「甘さをひきたて」るほうに働いている始末だ。私は、燻製によってシャイン成分をカットする、などど偉そうに語っていたが、むしろスモーキーにブーストされたそれは、シャインを軽く飛びこえてライトニング・マスカットの様相を呈している。爆裂電撃葡萄ライトニング・マスカットだ。もはや勝てるのは北大路魯山人キング・オブ・グルメくらいのものだ。

夫婦そろって濃いエスプレッソのカフェラテでタルトの甘さを「いなす」ように食べつつ、「美味しいけど....次は砂糖を減らさなきゃね」などと課題の残る、激甘なのにホロ苦く、ちょっとスモーキーな結婚記念日なのだった。


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