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「孤独」を感じた時、声に出してエールを送りたくなった、マンガについて。

こんにちは。

誰かと一緒にいても孤独を感じてしまうことがあります。そんなとき、何度も読み返してしまうマンガがある。それは「カイジの鉄骨渡り」6巻-7巻。

カイジは、頭脳戦・心理戦の駆け引きで魅了する人気の作品。その中でも、頭脳や心理の駆け引きが全くない『鉄骨渡り』が、僕の心を貫き、今も孤独の支えとなっている大きな作品になっている。

今回は『鉄骨渡り』から、何を感じたのかを紹介していきたい。※『賭博黙示録カイジ』6巻-7巻のネタバレを含みます

1.『賭博黙示録カイジ』鉄骨渡りとは

主人公は、自堕落な生活を送っているフリーターのカイジこと、伊藤開司。古い友人の借金の保証人として巨額の負債を背負い、借金をチャラにするため、常軌を逸したギャンブルに参加することを決める。戦いの中で、カモにされたり、仲間に裏切られたりと、「金」と「欲」に振り回され、人間の浅ましさに、傷ついていくカイジ。

そんな誰のことも信じられなくなったカイジに、新たなギャンブルが舞い込む。そして、賞金1000万円の権利を手にしたカイジを含む参加者は、指定の引き換え場所に移動することに。

しかしそこは、超高層ホテルの地上74メートルに架けられた全長25メートルの鉄骨を渡らなければたどり着けない場所。さらに 二本の鉄骨の橋には、それぞれ高圧電流が流れており、触れれば一瞬にして地上へ落下してしまう。

命綱なしの究極のギャンブル。それが「鉄骨渡り」。

2.この世は、必ず他人との競争

ひとつ前のギャンブル「人間競馬」では、鉄骨を誰が一番最初に渡り切るかを競うゲーム。前にいる人間を突き落とし、落下させ、ゴールすることで勝利を得られる。しかし、カイジは突き落とすことに躊躇していた。

そして、涙を流しながら決心する。押さなきゃ押されるとしても「押さない」

そんなカイジが「鉄骨渡り」をやることを決意する。なぜなら、誰とも競争しなくていいから。

それにつられるように、他の参加者たちも手を挙げた。

「別の部分が異例なんだ。今回は。大金を得るのに俺がただやればいい。俺が渡りきればいい。誰も押し出さなくていい。競争じゃないんだ。この条件が異例なんだよ。この世を利銭(りせん)と考えたら、必ず他人と競争だ。この機会をのがしたら、もうありゃしねえよ。今回みたいなこと」

『賭博黙示録カイジ』 カイジの台詞

僕には、親戚に同い年の男の子が2人いて、小学生のころ、それぞれと仲良く遊んでいた。

だけど、中学生になったとき、疎遠になりはじめる。思春期とか反抗期とか簡単な言葉で片付けることはできるけど、あの頃、僕たちを取り巻く環境が変わりはじめていた。

僕たちは、周りの大人たちに、比べられはじめていた。

テストの点数。学年の順位。志望する高校の偏差値。
大人たちは同い歳ということもあり、比較しやすかったのかもしれない。

けれど、それにより、なにか削り取られたような気分になった。大切なものを奪われたような気持ちになったのを覚えている。

大人たちが勝手に開催したレースを走らされた僕たちは、徐々に言葉を交わさなくなり、そして、会わなくなった。

それが、はじめて感じた「孤独」なのかもしれない。

3.「こんな橋の上で支えあったりなんかできねえ」

汗をボタボタと垂らしながら橋を渡るカイジたち。落下すれば即死。その状況が、普段は心の深部に閉じ込めることで、忘れようとしている恐怖という怪物のことを思い出させる。

怯え始める参加者たち。落ちたくない。金もいらない。生きたい、という気持ちが強くなる。

そうした中、叫び声があがる。
幻想に惑わされ橋にしがみつき高圧電流が流れ落下する者。その衝撃から、足をすべらせて落下する者。

カイジの目の前で74メートル下の地上に落ちていく。気がつけばものの数分で橋に残っているのはカイジ、石田、佐原の三人になった。

「こんな橋の上で支えあったりなんかできねえ。助けられねえ。誰も救えない。ひとりひとりだ。助かりたかったら地力で渡りきるしかねえ。違うか。カイジ。石田」

『賭博黙示録カイジ』 佐原の台詞

学生時代、僕は、自分の手の届く範囲の人は、助けてあげたいと思っていた。

まるで、相手の人生が、自分の人生の一部のように考えていた時期があった。それが、道徳として、当たり前のように。

友人の相談や悩んでいることのとことん向き合った時期がある。なんとかして、解決してあげたい。助けてあげたいと、深夜まで話をきいた社会人一年目。

ある日、身体中に激痛が走った。医者に見てもらったら、自律神経の乱れからきているとのこと。それからしばらく、僕はひとり、週の半分をベッドの上で過ごした。

この佐原の台詞を見ると、当時の自分を思い出してしまう。

4.いつだって、人の心は孤立している

カイジは、前を行く佐原に追いつく。
ゴールまであと6メートルまで迫るカイジと佐原。

そんな二人を突風が襲う。

それぞれの鉄骨の上に立っているカイジと佐原は、決して互いに支え合ったり、助け合ったりはできない。

ひとりひとりの孤独なレース。だけどそれは、この鉄骨の橋に限らない。

いつだって、人は、その心は、孤立している。

心は、誰にも理解されない。伝わらない。だから、誰味が理解と愛情を求めて。求めて、求め続けているが、結局、近づけない。孤独の一本道を行く、世界の66億の民。天空を行くひとりひとり、66億の孤独。

『賭博黙示録カイジ』 ナレーション

相手のことを自分の所有物のように考えることと、自分ごとのように考えることは、似てるようで大きく違うと、僕は思っている。

鉄骨の橋を、人生とするなら、家族や恋人になることは、同じ鉄骨の橋に乗ることではない。それぞれ孤立している鉄骨の橋を近づけるようなことだと思う。

その鉄骨の終わりは、突然やってくるかもしれないし、限りなく遠い未来かもしれない。

5.人間が希望そのもの

「カイジ。いるか。そこにいるか」
「いる。いるぞ。佐原」

鉄骨の上で耐える、カイジと佐原。

手は決して届かない。できることは、言葉による通信のみ。

それはあまりに、か細く、理解とは程遠いかもしれない。しかし、生きている者の息遣いは、わずかに、だが、確かに伝わる。

俺は佐原を救えない。佐原も俺を救えない。絶望的に離れ離れだ。それなのに、なんだ。この温もりは。胸から湧いてくるこの感謝の気持ちは。佐原がいるだけで救われる。希望は、夢は、人間とは別の何か他のところにあるような気がしていたけど、そうじゃない。人間が希望そのものなんだ。

『賭博黙示録カイジ』 カイジの台詞

比べられることは前提の仕事を選択してしまった僕は、同期さえも憎くて仕方がない時期があった。

こいつさえいなければ、自分にチャンスが回ってきたかもしれない。

今日も明日も席の奪い合い。

今僕が立っている場所は、別の誰かが立ちたいと願っている場所で、
誰かが立っている場所は、僕が立ちたがっている場所かもしれない。

だけど、一緒に比べられてきた同期たちが、徐々にいなくなって、込み上がってくる感情がある。今、どうしているだろう。

ライフステージが変わって、どんどん人と会わなくなる。

きっとこの先、年齢を重ねるごとに、もっと孤独感っていうのは、増えていくように思う。

僕は、誰かと一緒にいても孤独を感じてしまう。それはきっと永遠に付き合っていかなければならない。

そんな孤独に押しつぶされそうになったとき、このシーンを思い出すようにしている。

手は届かないかもしれない。直接的に助けてあげられないかもしれない。

けど、せめて、声にだしてエールを送ることはできる。

不思議なもので、キャリアを重ねてきて、出会った人の数も増えているはずなのに、孤独を感じる。

けれど、僕が立っている真横に、同じように震えながらがんばっている人がいるかもしれないと考えると、もう少し、この鉄骨を渡って、前に進んでみようという気が湧いてくる。

様々な理由で、いなくなってしまった人たちも、この場所からは見えないかもしれないけど、ずっと遠くで、鉄骨の上を、一歩ずつ前に進んでいることを考えると、思わず声をかけたくなる。

本当の気持ちや理解はわからないけど、存在を感じられることで、孤独感は、和らいでいく。

自分の孤独に押しつぶされそうな時、「カイジ」と「佐原」のやりとりが、今の私を支えてくれているのかもしれない。

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