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人生の秋、半世紀は反省機?

五十而知天命。「五十にして天命を知る」と訓読する。

これは孔子の言行録『論語』より、人生を振り返って節目の年のことを語った一節の一部だ。孔子は50歳で自分の天命を悟ったらしい。天命とは、天より与えられた使命。同じ一節に「四十而不惑(四十にして惑わず)」とあるから、40歳までに試行錯誤して、40代はひたすら研鑽に励んで達した境地なのだろう。

最近、ある学術団体の50周年記念の出版物に寄稿した。わたしはまだ所属して10年にもならない新参者だ。にもかかわらず、学会50周年を孔子の“知命”にかけ、いけ図々しく学会の天命を語った。その際、寺田寅彦の文章を引用して、寺田の目指した科学リテラシーの涵養を再解釈するなどした。

今月半ばの敬老の日に観た映画《美食家ダリのレストラン》の舞台は、1974年のカタルーニャ。50年前だ。ここにも50年がからんでいる。

その敬老の日に観に出かけた映画こそ、100周年のシュルレアリスムにまつわりながらも50年前を舞台にした映画だった。

9月19日付け拙note「ダリを待ち侘びて」より

この時のnoteに書くのを見送った内容がある。映画自体から大きく外れてしまうからだった。

それは、この映画の舞台となった1974年の翌年に中央公論社から出版された美術書『世界の名画22 エルンストとダリ』にある寄稿文について。その寄稿文は日本画家の加山又造によるもので、「ある偏執教の独言」と題されている。シュルレアリスム宣言から半世紀の時点の、異なる文化圏の表現者による評としてはなかなかにリアルな内容で興味深い。

 だから、彼の国にあっては、内なる孤なる者が、目ざめ、時折、不思議な革命をやらかす。そしてそこに、彼等の創造が生まれる。
 たとえば、鉛を金にかえる、錬金術的な思考が生まれる。
 しかし、それと同時に、絶対なるものに支えられた、ルールによる積み重ねの理論、方法論もそれと平行し、オーバーラップして、一歩一歩着実に、何者かに到達するようだ。

加山又造「ある偏執狂の独言」より

日本美術の自由さにくらべて、西洋美術の背後にあるキリスト教的な神の呪縛を指摘する。そのうえで、ヨーロッパ的合理主義への批判=ダダイズムそしてフロイティスムとの結びつきからシュルレアリスム運動への流れが冷静に記述されている。

 しかし、ようやく、彼等も、絵画が絵画であらねばならぬことを知りはじめた。それと同時に、彼等の大きなルールを破るため、目もくらむような厖大な、大げさな理論が展開されて行く。そして、彼等の錬金術的思考は、絵画が、絵画である必要があるだろうか、と飛躍して行く。

ふたたび加山又造「ある偏執狂の独言」より

1940年にシュルレアリストのグループから除名されたダリによる決別宣言を引用したうえで、シュルレアリスムの限界と矛盾を見、残された可能性をさぐっている。

 シュルレアリスムが生まれて半世紀、私とほぼ同年数のこの文化芸術運動はいろいろと私達に刺激を与えてくれた。しかし、私には、やはり、最初にくどくど述べた通り、非常にヨーロッパ合理主義的発想であると思われてならない。
 それなら、日本画に固執し、やはり日本を考えつづけなければならない私は、私の内側に何を探り出せばよいのだろう。

みたび加山又造「ある偏執狂の独言」より

西洋文化圏の神の呪縛について指摘した達眼は、日本画という自らの領域にある呪縛についても洞察を深めんとする。1927年生まれの加山又造は、このとき47歳か48歳。もうすぐ50というタイミングで、その筆は孔子よろしく知命に達するかのような気配がある。

《美食家ダリのレストラン》を観た映画館は銀座のシネスイッチ。幸運にもすぐ近くの銀座和光でギメル展が開催されていて、映画を観る前にこれも観てきた。

ギメルは国内のハイジュエリーのブランド。設立50周年とのことで、偶然にも50年のキーワードが続く。なお、展示会のテーマは“豊穣の秋”。

銀座和光の地下の入口からエレベーター前の様子

ギメルさんの展示会はいつもその季節にあわせたテーマだ。四季折々の美しさをモチーフにしたジュエリーづくりだからこそ、その世界観が展示会の企画に直結する。

絶妙な色合いのガーネットで表現された紅葉の繊細なグラデーション(下の小冊子の写真参照)、ブリオレットカットのダイヤモンドが重く垂れる稲穂(見出し画像参照)、ルビーのカボションで表現されたアキアカネ(同じく見出し画像参照)。ひと手間ふた手間かかった宝石の選び方にも豊かな秋のニュアンスが込められているのがわかる。

会場でいただいたギメル50年の足跡をたどる小冊子

先週「21日の音楽」シリーズのnoteで、わたしは誕生日を迎えたと書いた。

じつはこの21日の音楽を始めたのは2年前の誕生日に何かあたらしいことをしようと考えてのことだった。それから3回目の誕生日が巡ってきた。

一年に一度しか巡ってこない誕生日には、どうしたって時間の経過を意識してしまう。区切りの年齢になると尚更だ。良かったことも悪かったことも、この曲の言うように一歩引いて思い出として、地層のように積み上げていければ良い。地学をやっていたからか、そんな感覚で古い記憶を客観視したくなる。

9月21日付け拙note「Time by Tori Amos」より

区切りの年齢、すなわち50歳になった。50年。半世紀である。我ながら信じがたい数字だ。パリ五輪の総合馬術団体チームが「初老ジャパン」と呼ばれていたが、そのなかの最年長の大岩選手でも48歳だった。スポーツ界では50歳となると最早立派に老境である。

人生50年と言われたのはいつのことか、いまや50歳といえば現役真っ只中といった印象があるけれども、だいたいの企業の定年が60代であることを考えれば、その現役時代も終盤に差し掛かろうとしているのが50歳。平均寿命の数字を見れば、人生の後半戦に入っているのは間違いない。残された時間は限られている。

50代で亡くなった人物としては、向田邦子、美空ひばり、初代林家三平、いわさきちひろ、萩原朔太郎、忌野清志郎、開高健、澁澤龍彦などが知られている。なお夏目漱石は50手前の49歳10ヶ月で他界している。

彼ら彼女らは現代の感覚では比較的短命かもしれないけれど、いずれも偉業を残している。偉人たちとくらべることの是非はさておき、いたずらに年齢を重ねた半世紀間のあれやこれやを回収しにかからねば、なんて考えてしまう。

ギメル展のテーマ“豊穣の秋”が奇しくも人生の秋にオーバーラップする。わたしには華々しい業績があるわけでもないから豊穣などというのは大仰すぎて滑稽ですらある。が、50歳ともなれば、何かしら収穫し始めなければ時間が足りなくなる。区切りのタイミングでの棚卸しは必要だ。

それは後悔と反省ばかりであまり楽しい作業ではない。自らの半世紀をけみして、その反省をする機会(反省機?)とは、なんとも呆れる話だけれども、来たるべき人生の冬に備えるべき季節なのかもしれない。

偶然にも秋生まれのわたしは、誕生日を機に何かを始めることが多く、このnoteもそんな何かのひとつ。早いことにもうすでに4年になった。

4周年を知らせるバッジとその通知画面

最初の投稿は秋分の日だった。毎年、秋分の日の前後には、その前の1年を総括し次の1年を展望するエントリを書いている。

この1年は何か特筆するようなことはあっただろうか。新たに作ったマガジンとしては「本棚の本だな!」がある。

これまでちょっとずつ読書についてのnoteは書いていた。ネタバレは本意ではないから本の内容にはあまり触れずにいたつもりだったけど、このエントリでもやっているように、ついつい読んだ本から引用したくなってしまう。

わたしは乱読・速読ばかりだから、とても読書家ですなどとは言えないと思っていた。しかしながら、それも読書家のあり方のひとつだったようだ。そんなわたしのnoteやソーシャルメディアでの発言がきっかけで、我が家の本棚を取材したいとの話があった。そうして形になったのが『本の雑誌』6月号の巻頭「本棚が見たい!」コーナーだった。それについては『本の雑誌』の発売直後に書いたとおり。

このエントリから、本にまつわるnoteをまとめておこうと思い立ち、「本棚の本だな!」マガジンをつくったというわけ。

思えば、監修だけど今年は前半に2冊の国旗本を出した。その旗がらみでは、日本旗章学協会の会長にも就いたし、先月には国際会議にも赴いた。これらは非常に地味ではあるけど、人生の秋にさしかかって収穫できはじめた実りの一部なのかもしれない。

さて次の1年は?

半世紀の反省だけではどうにも気が滅入る。それはほどほどにして新しいこともやらないと。今年は久しぶりに絵画の方の露出があった。

ブログ「一日一画」に載せる制作は相変わらず毎日続けているものの、一日一画以外での新作を用意でき、わずかでも買い手がついたことは喜ぶべきことだろう。1年前に宣言したあらたな絵画表現は、まだ大したことはできていない。絵画と本、次の1年の目標は、控えめながらそのあたりにしようかなと思い始めている。

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