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アフガン国旗の過去・現在・未来

今月なかば、報道されているようにアフガニスタンで政変があった。1919年に独立したアフガニスタン。2年前には盛大に100周年が祝われたところだ。しかし、相次ぐ政変、内戦、外国の介入・・・と、たいへん不安定な情勢の国でもある。

不安定な国情は、国旗に反映される。国旗の変更回数は、州が増えるごとに星が増えることになっている米国をのぞけば、アフガニスタンが最多だ。

国旗マニアとしては、旗が変わることにはとても興味があるのだけど、できれば明るい前向きな変更であってほしい。しかしながら、今回の政変は、前向きに考えることがとても難しい。

およそ20年間、事実上、米国の傀儡政権だったアフガニスタン。その米国が軍の撤退をはじめた矢先に、あっという間に首都カブールが陥落した。入城したのはイスラーム原理主義の軍事組織タリバン。

タリバンは、かつてあのバーミヤンの石仏を破壊した組織だ。1996〜2001年の政権奪取時には、過激な法解釈によって人権侵害と残虐行為をくりかえした。

軍隊を撤退させはじめた米国も、政権にもうすこしねばってくれると考えていたに違いない。まだ多くの米国人が残っているというし、米国に協力した多くのアフガニスタン人も国を脱出しようと空港に殺到した。

自国民の安全すら確保できない米国にたいして、今月末まで退避ルートを確保すると恩情をかけているタリバン。米国のバイデン政権にとっては屈辱的な展開だ。そのタリバンは、1996〜2001年とは違うこと、とくに前政権の要人や女性を登用することなどをアピールしている。

政権についても国際的に承認されなければ不安定なまま。いまはまだ各国とも様子見に徹している段階のようだ。

・・・で、前置きはここまで。わたしが書きたいのは国旗のはなし。今回はかなり長くなるので、はじめてnoteの目次機能をつかうことにする。

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アフガン国旗の基本パターン

タリバンはさっそく大統領府から今までの黒赤緑の国旗をおろした。報道ではタリバンの白旗がよく映っている。まだまだ混乱のさなかなので、国旗についてのアナウンスはまだない。もしかしたら、タリバンはこのままはっきりさせないままかもしれない。

これからのことはわからない。だから、このnoteでは激動のアフガニスタン国旗の変遷について書くつもり。ところが単なる過去の旗の羅列だけでは伝わらないことがおおい。いや、その羅列ですら、アフガニスタンについては容易ではない。

これまでのアフガニスタン国旗にみられる基本パターンをまとめると、このようになる。

  ・黒赤緑:王政あるいは共和政(穏健派社会主義をふくむ)
  ・緑白黒:ゲリラ組織
  ・:急進派社会主義
  ・白無地/聖句のみ:イスラーム原理主義

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この4パターンがちょうどわかりやすく並んでいたので、2018年の『歴史がわかる!国旗図鑑』(苅安望著、山川出版社)から部分的に引用する。

左下のアフガニスタン共和国(1987〜92年)は、前身の民主共和国時代(1980〜87年、後述)の配色を踏襲している。

おなじ社会主義のアフガニスタン民主共和国でも、時の権力によって国旗のデザインがことなる。急進派の時期が赤旗(左上)で、穏健派の時期は黒赤緑の横三色旗(後述)だった。

右上は、社会主義国家の民主化の波にのまれて内戦状態になった際の軍閥政権の緑白黒の横三色旗。いまもタリバンの支配のおよんでいないパンジシールの報道では国章のないこの三色旗が映ることがある。

そして右下がタリバンの旗。いまアフガニスタン関連のニュースでは最もよく目にする旗かもしれない。白地に黒でシャハーダ(信仰告白)が書かれている。

このあと、わたしの手もとにある書籍から、過去のアフガニスタン国旗をいくつかピックアップして、時系列にあわせて紹介する。

独立前後と王政時代

古いものはリアルタイムで出版された書籍類を持っていないので、ふたたび『歴史がわかる!国旗図鑑』より。

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独立前の英国保護領時代は黒一色の旗だった。そして1919年にアフガニスタン首長国として独立。国章が白抜きでくわえられた。1926年に王政をしいて、1928年はじめて黒赤緑の縦三色旗が制定された。図版の1930〜73年の旗で三色の帯にまたがって中央に描かれているのが国章。アフガン暦の独立年1298(西暦1919年)がはいっている。

王政から共和制へ、そして社会主義時代

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1975年のホイットニー・スミス氏の大作『Flags through the Ages and around the World』より。

1973年にアフガニスタンの王政がたおされ、共和制に移行。王政が廃止されたものの、国旗の配色は黒赤緑の3色を維持。その理由はクーデターを起こしたダウド氏が国王の従兄弟だったからじゃないかと思われる。

のちの1978年、ダウドはクーデターで暗殺されて、このアフガニスタン共和国はわずか5年で消滅。共産主義のアフガニスタン民主共和国にとって変わられた。

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次は80年代。これはわたしが小学生のころに買ってもらった書籍、小学館の万有ガイド・シリーズ1『世界の国旗』。わたしを国旗好きにさせた元凶(笑)。

奥付の出版年は1983年とある。ベースになっているのは1977年のイタリアの書籍。初版当時は上の『Flags〜』と同じか、1978〜80年の赤旗(はじめの4パターン図版の左上)だったと思われるけれど、これは国旗変更にあわせて差し替えられたのだろう。

ちなみにこの旗が制定された1980年は、モスクワオリンピックの年。多くの国ぐにがボイコットしたのだけど、そのきっかけは前年のソ連によるアフガニスタン侵攻だった。

このあと、社会主義体制ではあったけれど、ほかの社会主義国と同様に民主化の流れが顕在化する。1987年に大統領制のアフガニスタン共和国に移行。このとき、国章から赤い星と書物が消えている(上の4パターン図版の左下)。

聖戦士たちの戦国時代

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1998年にイタリアで出版された『Atlante delle Bandiere』より。

1989年にソ連軍が撤退してからは、戦国時代さながらの混乱におちいり、1992年には人民民主党の政権が崩壊。数あるゲリラ組織、ムジャヒディーン(”聖戦士たち”の意)による軍閥政権、アフガニスタン・イスラム国になった。

この軍閥政権の旗は、緑白黒の横三色旗で中央に国章。国章はリースのまわりに剣が配置されたいかにも聖戦士らしいデザイン。国章のなかの年号もアフガン暦1371(西暦1992年)に変更された。

そんななか、1996年からは過激派のタリバンが事実上政権をとり、アフガニスタン・イスラム首長国を名乗っていた。アフガニスタンの歴史をまとめた書籍やネットでは、この時期には真っ白な旗か、白地に黒で聖句の書かれたタリバンの旗が載せられていることが多い(上の4パターン図版の右下)。

しかし当時、国際的には無政府状態のアフガニスタン・イスラム国のほうが認められていた(現在のソマリアの状態に近いか)。1998年に出版されたこの書籍では、その軍閥政府の旗のほうを載せている。

余談だけど、この書籍が発行されたイタリアは、アフガニスタンの王様の亡命先だ。王政崩壊後にできたのは社会主義政権。その社会主義国家を倒した軍閥の旗に思い入れがあったのかも?!というのは考えすぎか。

タリバン後、民主化の模索

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そして2002年刊の英国の書籍『Complete Flags of the World』から。

911後の対テロ戦争で、タリバンが滅んだ。その後、英米中心の軍事支援でムジャヒディーンの北部同盟が暫定政権を担当したのだけど、その時は緑白黒の横三色旗(上のイタリアの書籍とおなじ、ただしバリエーションあり)。

その暫定政権に代わって大統領についたのがハミド・カルザイ氏。カルザイ家はアフガニスタン王家の遠い親戚の血筋だそうで、大統領の就任式にはイタリアから元国王が駆けつけている。それが国旗の制定に影響したとは明言されていないけれど、王国時代の配色にもどしているのには意味がありそうだ。

国章のなかの年号も、ムジャヒディーンが勝利した”1992年”から首長国として独立した”1919年”にもどされている。

この図版では、国章のなかの旗(モスクの両側にあるちいさい旗)が線で9分割されているところが興味ぶかい。1992年からの国章には横三色旗が描かれていたのだけど、新国旗が縦三色旗にかわったため、国章には両方の要素が入れられたのだろう。この後の書籍では縦三色旗ばかりなので、国章デザインの詳細がはっきりしないまま出版にあわせた苦肉の策だったんじゃないか・・・と邪推している。

なお、書籍によっては、この時期のアフガニスタン国旗の国章が金色になっているものもある。その違いの理由がわかる資料を探しているのだけど、決定的なものはまだ見つけられていない。

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この本は2018年の『199 Flags』。余白なしで全面に旗を載せるレイアウトがとても斬新。モチーフごとにまとめた編集もとてもユニークで気に入っている。この本の出版は比較的最近なのだけど、2004年制定(ということになっている)のデザインが採用されている。

じつは、この2004年以降の国旗にはバリエーションがある。中央の国章が赤の帯に収まっていたり、はみ出しているものがあったり、国章のなかの旗に色がついていたり、リボンなどが透過処理されたようになっていたり・・・とまちまち。国章の細部の描かれ方にも違いがある。

2021年8月24日現在、まだアフガニスタン政府の外務省のウェブサイトに国旗のデータが公開されている。国章が三色の帯にまたがっていて、2パターンある。このページが消滅するのは時間の問題だろうから、もちろんスクリーンショットを残しておいた。

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このnoteの見出し画像は、わたしが監修した『国旗の図鑑』(2020年、あかね書房)のもの。最初に用意されていたデータに混乱があったので、このアフガン外務省がpdfで公開していたものに差し替えてもらった。最近の報道映像・写真では、大統領の背後にこのバージョンの国旗が映り込んでいた。

しかし、先のTOKYO2020オリンピックの入場行進で旗手が持っていたのは、国章が赤部分におさまっているバージョンだった。いっぽう、選手それぞれが振っていた手旗は国章がはみだしたバージョン。オリンピックのような公式イベントでもバリエーションがあるのが実情だったようだ。

どうなるこれからのアフガン国旗

さて、ガニ大統領は国外待避中だと主張しているけれど、国がタリバンにのっとられたのは事実だ。もうひと波乱あるかもしれないけれど、これからのアフガニスタンはどんな国になるのか。

仮にこのままタリバンが政権を維持し、周辺国や主要国との外交をすすめる流れになれば、ゆくゆくは公式の国旗が発表されることになるはずだ。

2016年にジャーナリストのティム・マーシャル氏が書いた『A Flag Worth Dying for』という書籍がある。翌年、『国旗で知る世界情勢』というタイトルで邦訳も出た(田口未和訳)。地政学の視点から、とても深い洞察が得られるオススメ本

下は、この本のカラー図版から、「第5章 恐怖の旗」の図版(左ページ)。イスラーム原理主義の軍事組織の旗が集められている。

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この本の書かれた2016年、カルト的武装集団ISあるいはISIL(イスラム国)が、メディア戦略を駆使して世界を恐怖に落としいれていた。だからこそこの章だてなのだろうけど、イスラーム原理主義組織の旗を集めてそのデザインの裏にあるものに言及した内容は、ほかに類をみない。以下、一部引用する。

ISやジャブハト・ファタハ・アルシャム[原文ママ※]、その他のジハード組織の旗が似ているのは、互いに他の組織の真似をしようとしているからではない。それぞれがイスラム組織としての正当性を主張しているからで、どの組織も預言者の旗を掲げる正当性を主張する。・・・<中略>・・・ジハード組織は国家というものを信じていない。そのためアラブ反乱旗から借りてきたデザインを使うことを嫌ってきた。
   拙註※ アラビア語の発音ではアッシャームが近い。

タリバン旗には言及されていない。けれど、タリバンは、アルカーイダのウサマ・ビン・ラディンをかくまうなど、アルカーイダとは協力関係にあった。アルカーイダの傘下にあったヌスラ戦線の旗が紹介されている(上の写真の左上の黒い旗)。タリバンの旗は、アルカーイダの旗を白黒反転させたものだ

マーシャル氏の言うように、タリバンが汎アラブ色の旗をあらたにこしらえることは考えにくい。かといって、白黒シャハーダ旗のままだとISとアルカーイダが定着させたテロリストのイメージがついてまわるように思う。

今回は25年前とは異なると主張し、国づくりに着手する現在のタリバン。外交的には、テロリスト的な白地シャハーダ旗では国際的に認められないんじゃないだろうか。とすると、あらたな旗がつくられるかも?!

まだタリバンの手に落ちていないパンジシールでは、ゲリラ組織の緑白黒の横三色旗がなびいている。前副大統領はパンジシールに身をおいているとの報道がある。前政権からの人材登用を示唆しているタリバンは、前政権にくわえて、パンジシールに残るほかの武装勢力との交渉もおこなうだろうか。

そんなことがあれば、ひょっとしたらいままでのどの国旗にもなかったデザインの国旗がつくられるかも・・・なんて考えてしまう。

これはさすがに旗マニアの妄想かもしれないけれど、ここまできたら、あらたな国旗でガラリと印象を変えて、可能なかぎりの軟着陸をこころみてほしいものだ。

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