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ウェイツ・マニア視点のリコリス・ピザ

話題の映画を観た。オスカー3部門にノミネートというポール・トーマス・アンダーソン監督の話題作「リコリス・ピザ」。

じつのところ、わたしはアンダーソン監督作品をあまり観ていない。同氏の監督作品ということでいろいろな論評があるのは知っていたのだけど、いまいちピンと来ていない。人気バンド、ハイムの三姉妹の末っ子アラナが初主演というのもおおきな話題になっている。しかし、わたしはそのハイムすら知らなかった。

なぜ、この映画を観るために映画館まで足を運んだのか?

それは、ちょい役ではあるけれどトム・ウェイツが出演しているからにほかならない。

これまで小出しにしてきたけれど、わたしはトム・ウェイツの大大大ファンである。ちょい役であろうと見逃すわけにはいかないのだ。

トムは米国のミュージシャンで、プロデビューは1973年。キャリアの初期には時代遅れのビート詩人を気取って「酔いどれ詩人」などと呼ばれた。文学的な歌詞を美しいメロディで、この世のものとは思えないような嗄れ声(←褒め言葉)で歌う。

1980年代以降は前衛的・実験的なサウンドに挑戦。さらに90年代、21世紀とその表現の幅を広げ深みを増している。このリコリス・ピザにも出演しているとおり、個性派の映画俳優としても経験を積んでいる。

リコリス・ピザに話を戻す。

そもそもタイトルが意味不明だけれど、これは実在したレコード会社の名前らしい。ただ映画のなかでは一度もこのリコリス・ピザの名前が出てこない。なんらかの謎かけなのかもしれない。

リコリスはまっ黒なグミのような飴のようなお菓子。ひものような細長い形状で、よくグルグルとコイル状に巻かれたかたちで売られているとか。その見た目がレコード盤に似ていて、さらに円形だからピザ、というわけ。

わたしはリコリスを食べたことがないのだけど、好みが分かれるらしい。欧米のお菓子はたいてい過剰な甘さで、わたしたち日本人の口に合わないものもおおい。そのピザとなると、さすがにゲテモノ的なニュアンスだ。

イタリア出身の知人が「米国のピザはピザじゃない」なんて言っていたのを思い出す。リコリスのピザなんて、そうとうナンセンスだろう。そう、そのナンセンスっぷりがとても米国らしい。とりわけショービズの聖地ハリウッドらしい。

舞台は1973年のハリウッド近郊。1973年は、上に書いたようにトム・ウェイツのデビュー年。トムはロス・アンジェルス郊外ポモーナの出身。トムが出演依頼を受けたのはこの設定によるところもあるのでは?なんて勘繰ってしまう。

ストーリーについて、映画の公式サイトから引用しておこう。

1970年代、ハリウッド近郊、サンフェルナンド・バレー。
高校生のゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)は子役として活躍していた。
アラナ・ケイン(アラナ・ハイム)は将来が見えぬまま、カメラマンアシスタントをしていた。
ゲイリーは、高校の写真撮影のためにカメラマンアシスタントとしてやってきたアラナに一目惚れする。
「君と出会うのは運命なんだよ」
強引なゲイリーの誘いが功を奏し、食事をするふたり。
「僕はショーマン。天職だ」
将来になんの迷いもなく、自信満々のゲイリー。
将来の夢は?何が好き?……ゲイリーの言葉にアラナは「分からない」と力なく答える。
それでも、ふたりの距離は徐々に近づいていく。
ゲイリーに勧められるままに女優のオーディションを受けたアラナはジャック・ホールデン(ショーン・ペン)というベテラン俳優と知り合い、映画監督のレックス・ブラウ(トム・ウェイツ)とテーブルを囲む。
また、カリフォルニア市長選に出馬しているジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)の選挙活動のボランティアを始める。
ゲイリーはウォーターベッド販売を手掛けるようになり、店に来た女の子に声を掛ける。
ある日、映画プロデューサーのジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)の家へベッドを届けるが、面倒に巻き込まれる。
それぞれの道を歩み始めるかのように見えたふたり。
出会い、歩み寄り、このまま、すれ違っていくのだろうか――。

映画「リコリス・ピザ」公式サイトより

舞台の1973年はオイルショックがあり、ベトナム戦争が終わった年。わたしが生まれた年の前年でもある。ハリウッドのお膝元という特殊性はあるにせよ、そのころの米国はこんな感じだったのか、というのが第一印象だった。

主役のひとりゲイリーは高校生だけど、子役もやっていて経済的に恵まれた環境にあった。ビジネスの才覚もあり、10代にしてウォーターベッドやらピンボールやらとあらたな事業経営にも積極的。ビジネスではまわりの大人たちも子供あつかいしない。日本の画一的な教育制度ではまずあり得ないことだろう。イノベーションにたいする国力の差を思い知る。余談だけどスティーブ・ジョブズがアップル・コンピュータを創業したのは1976年だ。

もうひとりの主人公アラナは20代なかば。敬虔なユダヤ人家庭で育ち、写真館の助手ながらもまだまだ人生を模索している。これもまたリアルな70年代の米国人の姿なのかとも思う。わたしが生まれたとき、父は一般企業の会社員で母は専業主婦だった。当時の20代なかばの日本人で、人生を模索中というケースは一般的ではなかった。

そんなふたりが出会い、お互いを意識しながら、ときに距離を縮め、ときに離れて・・・という青春ロマンス。ある意味ベタな設定。しかし、なにかと印象にのこるノスタルジックで素敵なシーンが豊富な映画だった。

そんな青春ロマンスにいろいろなエピソードが挟まれる。それは直接ストーリー展開に関係してそうでもあり、関係なさそうでもある。偶発的でもあって、かならずしも伏線になっているわけでもない(わたしが気づいていないだけ?)。そんなところがかえってリアル。そんなエピソードのひとつに登場するのが、トム・ウェイツ扮する映画監督レックス・ブラウだ。

ゲイリーのすすめで俳優のオーディションを受けるアラナ。そのツテで会うことになった往年の名優ジャック・ホールデン(扮するのはショーン・ペン)。過去の栄光を引きずる老俳優だ。その悪友(?)が映画監督のレックス。

それぞれに実在のモデルが居るとのことで、レックス・ブラウはバイオレンス映画の監督サム・ペキンパーだとか。バイオレンス映画・・・わたしの苦手なジャンルだ。ペキンパーってどんな人物?すぐには思いあたらない。ネット検索すると、作品に「ビリー・ザ・キッド」(1973年)とか「ガルシアの首」(1974年)「戦争のはらわた」(1977年)なんかがある。映画のなかのレックス・ブラウはモデルのペキンパーよりもやや年長の人物になっているようだ。

アラナがジャックを訪ねた高級レストラン。そこに居合わせたのがレックス。ドスの効いたトムの声がレックス・ブラウの人物像を一瞬で表現している。わたしがトムの大ファンということをさしおいても、レックス登場シーンのインパクトには鳥肌が立つ。

そして、誰にもついてゆけない内輪話に興じるジャックとレックス。完全に置いてけぼりのアラナの表情がじつに良い。これぞリアルな人間模様。この会話の感じ、ジム・ジャームッシュ監督の「コーヒー&シガレッツ」を連想した。もっとも同作でのトムとイギー・ポップとの会話はもっととぼけたものだったけど。

さらにそこで往年の映画シーンの再現という無茶な展開になる。その無茶なアクションシーンに巻き込まれるアラナ。これがもう、どう言って良いのか、とてもクレイジーでハリウッド的だ。本筋には関係のないエピソードにもかかわらず、1973年のハリウッドを印象付けるうえでは欠かせないシーンだと思う。

トムの登場シーンはこれだけ。それでもこのショーン・ペンとの怪演っぷりには大満足だ。

さかのぼること60年代なかば、トムは10代のときにピザ屋さんで働いていた。場所はサンディエゴ郊外のナショナルシティー。ナポレオーネのピザハウスという店で、いまも営業しているらしい。

1974年のセカンド・アルバム『The Heart of Saturday Night』のラストにThe Ghost of Saturday Night という曲がある。この曲にはAfter Hours at Napoleone's Pizza Houseという副題がついている。10代のトムがピザ屋の仕事でみた情景、人間模様が淡々と語られている。リコリス・ピザのような都会の喧騒とはちょっと違うけれど、当時の西海岸の雰囲気が伝わってくる。

この曲はトムのキャリアの初期にたびたびライブでも取り上げられている。演奏前に、ピザ屋での思い出話をちょっとはさむのが通例になっていたようだ。以下、インタビューを集めた書籍から、トムがラジオで語った内容を抜粋する。

ナショナルシティーの歌。ナショナルシティってのはサンディエゴ郊外の、基本的には船乗りの町で、ナショナル・アベニューには悪名高きマイル・オブ・カーズ〔車のディーラーが軒を連ねる大通り〕がどーんと延び、その北の端にはバージ・ロバーツ葬儀場とゴールデン・バレルとエスカランテの酒屋がある。葬儀場とトライアンフ・バイクショップに挟まれているのが、ナポレオーネのピザ屋だ。余裕で二五年は商売していて、おれもガキの頃、あの店で働いた。一五で働き始めたんだ。何年も経ってやっと、あのピザ屋について前向きなことが書けるようになったってわけさ。

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』(ポール・マー・ジュニア編、うから刊、2018年)より

映画のタイトルが「リコリス・ピザ」と聞いて、さらにトムが出演すると聞いて、さらにさらに設定が1973年と聞いて、わたしが真っ先に思い出したのがこの曲だった。

実際には、ナショナルシティも無関係でナポレオーネのピザハウスも出てこない。トムの楽曲が使われることもない(デビューの年なんだからちょっとだけでも聴けるかも、なんて期待したのだけど)。しかし、この頃のトムがスポットをあてた裏びれた市井の人びとの姿は健在だった。

音楽ついでに、この映画につかわれている音楽も時代を反映する名曲ぞろいだ。ドアーズ、デヴィッド・ボウイ、ポール・マッカートニー&ウィングス、タジ・マハール・・・エンドロールで使用楽曲のラインナップを振りかえると、たしかにトムのデビューアルバム『Closing Time』は毛色がちがいすぎる。

だけど後年、トムはライブでドアーズの曲を演奏したこともある。トムの音楽性が当時のヒット曲の系列とはことなっていても、聴いていたんだな・・・なんて思ってしまう。

映画を観終わってから、わたしはソーシャルメディアにリコリス・ピザを観てきた旨を投稿した。もちろん「トム・ウェイツ・ファンの務め」とも付けくわえた。

わたしのインスタグラムのストーリーズのスクリーンショット

例によって何人もがリアクションをかえしてくれた。なかでもイイねだけでなくコメントをくれたのはとても意外な人たちだった。ひとりはわたしが現在の仕事に転職してバンコクで研修を受けていたときのメンター。もうひとりは現在のわたしの上司。

バンコクのメンターは、なんとデビュー当時からのトム・ウェイツ・ファンだった。友人がレコード店をやっていたらしく、出たばかりの『Closing Time』を真っ先に聴かされてファンになったのだとか。古いファンにおおいことだけど、70年代のアルバムを聴きこんでいるようだ。バンコクには半年もいたのに、いままでそのことをまったく知らなかった。彼はもう隠居生活だけど、直接あう機会があればいろいろ話を聞きたいものだ。

現在の上司はわたしよりも若いので、トム・ウェイツに反応してくれたのは意外だった。ウェイツが出演してるのか?との質問にそうだと答えると、観なくてはと。米国にいる上司とはしょっちゅう電話会議をしているけれど、あたりまえのことながら仕事の話ばかりだ。最近のトムなのか酔いどれ詩人のトムなのか、はたまた俳優トム・ウェイツが好きなのかは不明だ。世界がふたたび動き出したいま、近い将来、直接会って仕事以外の世間話をする機会がありそうなので楽しみだ。

この「リコリス・ピザ」、トム・ウェイツ出演部分についてはネタバレしてしまったけど、物語の大筋や、さらにファンキーなエピソードについては公式サイトに書かれてある以上のことは書かなかった。

いや、この映画に関しては、ネタバレ云々はたいして問題ではない。描かれているシーン全て、出演している俳優すべて、時代背景、いまではポリコレ的にアウト(アンチテーゼか)なところも多々あるけれど、すべてがなんだか愛おしく思える映画だった。まだ全国の映画館で公開されている。映画自体はもちろんトム・ウェイツにも関心をもったかたは、ぜひご覧ください。

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