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個展「マザー・オブ・パール」を終えて

11月21日から12月8日のあいだ、個展をおこなった。途中で簡単に報告はしたけれど、まだきちんと総括していなかった。というわけで、年内に済ませておきたくて、これを書いている。

◆◇◆

何度も書いているように、わたしは宝石鑑別の仕事をしている。鑑別の対象である真珠にまつわるテーマなので、利益相反があってはいけない。この展覧会の企画がかたまった時点で、本社のコンプライアンス窓口に相談した。

  1. 会社の名前をだして宣伝するのはNG。

  2. 会社の顧客が絵を買ったことがわかれば報告すること。

この2点が個展の実施につけられた条件だった。コンプライアンス担当の副社長からは、個展の成功を祈るメッセージが届いた。ありがたい。

個展会場となるギャラリーはもちろん、クチコミで宣伝してくださったかたも、事前にわたしの所属を出さないという点はしっかり守ってくれた。わたしのtwitterの石アカウントやLinkedinにはフォロワーに業界関係者がおおく、わたしは鑑別機関の専門家として認識されている。これらの媒体ではあえて宣伝しなかった。

ソーシャルメディアで情報が流れると、わたしのことを知る宝飾業界のかたからの反応もあったようだ。しかし、宣伝してくれたかたは「今回はアーティストとして」と断りを入れてくれていた。それを見た業界のかたがたも理解してくださっていたのだと思う。

危惧していたのは、間接的に「GIAの桂田氏が個展をやるらしい」などと会社と関連づけて広まること。しかし、わたしの知るかぎり、ネット上ではそういったことはなかったようだ。

ありがたいことに業界新聞の記事にもしてもらえた。発行されたのは個展終了後だったけれど、そこにもわたしの所属先や宝石鑑別については言及されず、絵描きとしての紹介だった。

かくして、おおくの協力者にめぐまれて、無事に個展が開催できた。心から感謝したい。

そして開催から1週間が過ぎてから書いたのが、以下のnote。

ネットで作品を観ていたけれど実物を観たかったというかた、過去の個展にも来てくださったかた、真珠や宝石の業界のかたなど、ほんとうにさまざまなかたに来ていただけている。それぞれの視点での感想をいただき、会期の3分の1だけでもたいへん得るものがあった。のこりの2週間で変えていけるところはないか、と主催者とも話しあっている。

11月27日付け拙note「個展1週間 + 画集販売中(取り置き可)」より

このように、前半だけでもすでにいろんなお客様に来ていただけた。ありがたいことにnoteの読者のかたもいらっしゃった。

ほかにも、宝石関係のつながり、旗章学つながり、はたまた長らく交流のとぎれていた大学時代の旧友など・・・じつにさまざまなお客様と会う機会が得られた。

真珠と母貝がテーマだったので、とうぜん真珠業界からも来客があった。

真珠の販売、真珠貝の養殖、そして真珠の研究・・・それぞれの関係者に来てもらえた。会期中に、ちょうど宝飾品の展示会が開催されていたというタイミングも幸いした。

これは普段ジュエリーを扱われているギャラリーオーナーのネットワークのおかげでもある。仮にわたしがどこかの貸画廊で個展をしたら、テーマが真珠貝であっても真珠業界のお客様に知ってもらえる可能性はとても低かっただろう。

「最も気に入った作品はどれですか」という質問を、ギャラリーのオーナーさんがお客様ひとりひとりに尋ねていた。その答えは、意外とひとつの作品に集中するのではなくバラバラだったようだ。

十人十色とはよく言ったものだ。注目される作品、その視点が、ひとりひとり異なっていた。わたしも、感想などを聞くのがとても興味深かった。

  • 近くで観るよりも、離れて観るほうがリアルだ。

  • 貝の内側が、明暗での凹凸表現のセオリーとは関係なく、きちんと窪んでいるように見える。

  • 実際の真珠光沢みたいに観る角度を変えると色が変わって見えるようだ。

  • 絵のなかの真珠光沢の虹色が、貝殻そのものの色ではなく、干渉色として見えるのが不思議。

  • 額縁、壁面とも調和している。

  • 貝殻、真珠ともに描かれているものそれぞれに個性がある。

  • 真珠貝に対するリスペクトを感じる。

などなど・・・

真珠養殖の関係者の視点には心底驚かされた。

どこの養殖場の貝なのか、いつの浜揚げなのかなどを、わたしのオイルパステル画から読みとれるという。さらには、母貝の健康状態、得られたであろう真珠のクオリティにまで言及されていたのだから、その洞察眼たるや凄まじい。逆に、わたしはそのあたりの事情をまったく知らずに描いていたのだから、聞かれても返答に困ってしまう。わたしのほうが勉強させてもらった。

冗談のように聞こえるかもしれないけれど、真珠の鑑別機関のかたたちにいたっては、絵をルーペで観察されていた。そのうえで、わたしの描いたアコヤガイに対して解剖学的な話をされていた。リアリズムを標榜する絵描きとして、これは嬉しいことだ。

この個展は、ギャラリー・ハットンガーデンさんからの提案で実現した。

真珠をテーマに描けないだろうかと打診があり、あれこれ案を練った結果、アコヤガイと真珠にフォーカスした内容で構成することに決まった。

出品作のひとつが描きあがったところで撮影した写真

テーマが決まれば、次は作品。

わたしは制作のためにアコヤガイの貝殻を6つ、アコヤ真珠を8つ借りた。貝殻はギャラリーのオーナーが以前に”貝むき体験(実際にアコヤガイを開けて真珠を取り出す体験イベント)”で開けたものとのこと。

その貝殻と真珠をさまざまにセッティングして、それを描いた。なかには途中で配置や照明を変えたものもある。紙も幾とおりか試したし、額縁の組み合わせもいろいろなパターンを考えた。紙だけではなく、マット(作品と額縁の間にはさむ、窓をくり抜いた厚紙)をカスタムオーダーした際にでた”端切れ”を支持体として使った作品もある。

貝が死んでから時間が経っているので、貝殻はところどころ傷んでいる。けれど、同じ貝殻を何度も何度も描くと、それぞれの違いがだんだんと明らかになる。内側の真珠光沢も、貝によって微妙にちがう。縁の部分に見える縞模様にも個体差がある。蝶番に対して右側か左側かでも膨らみなどがちがっている。

この貝殻の個性こそ大事にしなくては、と思った。理想化・単純化してアコヤガイを描くのであれば、それは図鑑だ。ヒトとおなじように貝にも個性があり、そこには貝の生育環境が反映されているはず。養殖の過程でかけられた手間だって反映されているはず。・・・そこを表現してこそのリアリズムだろう。

このポイントは、個展の直前に書いたnoteの内容にも通じるところだ。

わたしは普段の仕事では、色石カラーストーン(ダイヤモンド以外の宝石)を専門にしている。真珠は別扱いだ。しかし、ジュエリーにセットされた真珠をみることもあるし、真珠部門のものを見せてもらうこともある。真珠の基本的なことについては、かつて資格をとったので知っている。その程度だった。

だけど、じつは実際にアコヤガイを手にとったのは今回が初めてだった。バンコクで見たペルシャ湾の真珠母貝はアコヤガイの近縁種だけど、厳密にはアコヤガイではなかった。率直にいえば、借りたアコヤガイの真珠光沢(干渉色)はこれまでみた貝殻のどれよりも強く、絵の題材としての魅力を感じさせるにはじゅうぶんだった。

最近、わたしの出身地である滋賀県の琵琶湖真珠について調べる機会があった(たとえば下記リンク)。これをきっかけに、最近は真珠が身近になってきている。

それで、真珠貝の養殖はもちろん、業界全体の苦労話も聞くことが増えた。琵琶湖の淡水真珠だけでなく、三重や愛媛の海水のほうも。

前掲のnoteに、わたしは(リアリスム宣言よろしく)以下のように書いていた。

19世紀後半に、御木本幸吉によって確立された養殖真珠技術。美しい真珠をつくる母貝の神秘的な生命力と、養殖に携わる人びとの営み、真珠をめぐる人類の歴史、宝飾文化・・・さまざまなストーリーを背景にもつ真珠とアコヤ貝を描くことで、伝えられるものがあるはずだ。

拙note「連作から見えてくるものは・・・」より

さまざまなお客様のさまざまな感想を聴くと、わたしが伝えたかったもののいくらかは伝えられたんじゃないかという気がする。いや、わたしが意図しなかったものまで伝わったような気もする。

ネットでの告知やDMハガキの作品を観て、絵画ではなく写真だと思われたかたが少なくなかった。

言いたいことはとてもわかる。ただ、わたしは所謂フォトリアリズムをやりたいわけではない。「写真のようだ」と言われることに抵抗がないといえば、それはウソだ。

一般的に、迫真の表現の比喩としてそういった言い方がされることは承知している。だから、
「実際にモチーフを絵のとおりにならべて撮影したら、まったくおなじように撮れるものでしょうか」
と返すようにしている。

そういえば今回、実際に真珠の写真を撮られるかたから、
「写真では表現できないものが表現されている」
と言われた。光栄だ。

はじめに総括するといいながら、わたしの主張ばかりになってしまった。最後に、今回の個展の方針、完全予約制のサロン方式と今後について書いておきたい。

サロン方式になるのは、ギャラリーがビルの2階に移転した時点で決まっていた。

ギャラリー・ハットンガーデンさんは、一点もののジュエリーを扱われたり、宝飾文化や宝石学のワークショップをされている。常時店舗を構えることが必ずしもメリットではないとの判断で移転を決められたらしい。

ジュエリーの美しさには物語があり、哲学があり、サイエンスがある。それをお客様に堪能していただくための特別な空間であるためには、サロン形式が最適だったというわけだ。

一点もののジュエリーと同様に、絵画を飾り、満足してもらったうえでお客様に買っていただきたい。わたしに企画展の話があったのは、ギャラリーオーナーのそんな想いからだ。

わたしも、ここ数年、海外のアートフェアに出品したりして、観てもらえるだけでなく、より買ってもらえる方法を模索していた。もちろん、観るだけなのはお断りという話ではない。実際の作品を観てもらえること自体とてもありがたい。さらに積極的に買いたいというお客様へのアプローチができるんじゃないかと考えていた。

サロン形式の可能性を拡大したいギャラリー・ハットンガーデンさんと、作品をアウトプットするアプローチをより広げたいわたし。

それぞれの目的をベクトルに例えると、その大きさと方向性はちょっとずつ異なっている。そのベクトルの和が、この個展「マザー・オブ・パール」だった。

さて、その和ベクトルの試みはどうだっただろう。

このツイートにある特製マウスパッドの数は確実に減った。

サロン形式のおかげで、お客様から直接フィードバックがもらえた。写真つきでソーシャルメディアで感想を書いてくださったかたもいる。

個展期間だけの数字でいえば、大成功というわけではなかったけれど、失敗でもなかった。今後の展開を考えるための材料は得られたし、また次の企画展についてのアイディアもある。

次の予定は未定。だけど、ベクトルの和はより進めることになると確信している。もうすぐ年が変わるけど、来年のどこか、ギャラリー・ハットンガーデンさんとのコラボレーションで個展ができればとても嬉しい。

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