畑は最高のコミュニティースペースだと感じた話
僕は、宝島で暮らし始める前から、畑には興味を持ち始めてた。宝島に移住する直前、実家の裏に畑を借りてた。ほとんどの野菜を収穫する前に宝島にきてしまったのだけど。
だから、純粋に畑仕事は楽しかったし、日々が学びだった。そして、田畑という場所は、最高のコミュニティースペースだった。人の畑の手伝いをする、野良仕事をしていると、お茶とお菓子を持って声をかけてくれる。一緒に作業しながらだと、普段以上の連帯感が生まれた。人前で汗をかくのには手っ取り早く認められる、不思議な力がある。笑
草刈機の使い方もままならない僕が、草刈機をぶん回して、竹やぶを開拓していた。娯楽のない宝島では、最高の噂話のネタだ。噂話の効力は絶大で、良いことも悪いこともすぐに広がった。「もう畑はせんよ。」弱気になっていた高齢者が畑に出る姿は、少なからず、地域の方の介護に対する印象を変えたのではないかと思う。まぁ、悪い噂話は、5割増しぐらいで広がっていた気もするけど(^_^;)
さぁ、汗をかこう。
行動しよう。言葉より行動だった。「やすらぎ教室」で借りた畑を活用していくにしても、会議を重ねた。「何のためにするのか。」をみんなで考えてきた。小さくとも地域に還元できるように、参加される高齢者に役割を担ってもらえるようにと、売店に卸したり、育てた野菜を加工して地域の方に配ったりと工夫もしてきた。地域の配ると、何かしらのお礼が帰ってくる。それが、特に新しく島に来た人と事業所をつなぐきっかけにもなっていたと思う。
実際に、畑から始まったこともいくつかあった。そして、「やすらぎ農園」の看板は、当時、いつ辞めるって言い出すかわからない状態だった男性スタッフが、サプライズでみんなに準備してくれたものだった。「いやぁ、ちょっと暇だったんで。」そんなことを言いながら、照れ臭そうにしてるスタッフを思い出す。それも、独りで作るのではなくて、近所の若者と一緒に作るあたりが、すごく嬉しかった。
そして、畑という多世代の交流の場は、子供たちにとっても、学びの場だった。学校の授業だけでなく、通りかかって面白がって作業することもあった。そこには、よくある「介護施設でのボランティア活動」とは一味違う空気感があった。真剣に怒られたり、全力で褒められたり、どちらかと言うと、子供たちに年の近い僕も、同じように育ててもらったと思う。
「ひと×ばしょ=歴史(ストーリー)」
僕がこの頃から印象に残っている写真がある。岩義さんが昔、黒糖を製造していた砂糖小屋とそれを眺める岩義さんの後ろ姿の写真だ。
「昔は、ここの畑にいっぱい、(サトウキビを)植えてた。機械を使う前は、牛を使って黒糖を作ってた。」「仲間でお互いの畑を手伝い合って。あの頃の黒糖は高級品。」
今の荒らしてしまった畑の、昔の光景に思いを馳せながら語られる、岩義さんの言葉は、重みと存在感があった気がする。これは、本土に「引っ越し」てからは聞けない(感じきれない)言葉なんだろうと思った。
この写真が心に引っかかっていて、後の僕のアクションに繋がった気がする。僕はこの人里離れた小屋畑を借りて、「地域自給養鶏」を始めた。その話も、またいつか書こうと思う。
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