ベトナムでの介護のことを考えて、出会った人たちの話①
僕は今、ベトナムで生活している。先月まで家族も一緒にベトナムにプチ移住していたが、今月からは単身赴任だ。noteを始めた理由にも書いた。
僕はこれまでの2010年から今年の3月まで、介護サービスのなかった宝島で、仲間と一緒に介護サービスを立ち上げ、運営して来た。その傍らで、宝島で暮らす「地域のおっさん」として、子供から大人まで、何かを感じてもらえるきっかけはつくれないか?と色んなことを企てても来た。「人は人の中で人になる」心にある言葉だ。
「やりたいこと」→「やるべきこと」
これまでも「何かできないか?」呪文のように反芻してた。ベトナムに来てからは尚更だ。そして今、僕が役に立てる何かを考えたとき、僕にできることは人と接することだった。
大学時代に志した教育の現場。そして、一度は離れたくなった介護もその一つだった。このベトナムの地で、「やりたいこと」ができた。そして、いつかそれは「やるべきこと」になる気がしている。
僕は今、日本で働くために日本語を学ぶベトナム人と過ごしている。日本語学校の仕事をしている。日本語の会話クラスに入ることもある。学校で過ごす時間は、カンボジアでの充実した日々を思い出させる。「こういう時間が好きなんだな」改めて思う。
思い立ってからのこと
やってみたいことが見えて来て、僕を特派員として派遣してくれている会社の社長、黒岩さんにも話した。「やっぱり、面白いヤツだな。」お世話になっている方たちの中で話を聞いてくれた。そのあとの2人で呑んでいる時に、仲間を作っていく中で、黒岩さんが大事にしていることも話してくれた。
そして、僕が務めている学校の校長にも相談した。日本で働くベトナム人を送り出しながら、日々忙しくしている日本人の校長だ。四六時中、送り出したベトナム人や、スタッフのことを考えてくれている。だから、スタッフや学生の垣根を超えて、信頼されている。そんな校長に前回、一時帰国して企業回りの同行をさせていただいた時に、移動中の車内で僕の「やりたいこと」の話をした。わかりやすくシンプルにすると、「ベトナムで介護の仕事したい。」だ。校長の日本の介護の体験を話された後、「協力します。」とつけ加えてくれた。
協力してくれると話してくれた校長のアクションは早かった。ホーチミンに戻りすぐ、日本へ介護職員としての人材を送り出している機関の方を紹介してくれた。学校の立ち上げの頃から、お世話になっている方だそうだ。まずはその方に、僕の頭にあることをぶつけた。僕の下手くそなところで、いつも当たって砕けろ感が拭えない。
「小規模多機能型居宅介護」のベトナム版をつくれないか
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