保険収載されている医療行為の中には、健康の改善につながらない「低価値医療」も含まれている
最新のデータによると、日本の保健医療に係る支出(国際的に比較可能な数値で、厚生労働省が発表する国民医療費に介護費や一部の自由診療・市販薬等の額を加えたもの)はGDPの11.5%を占めており、OECDの平均(9.2%)を上回ります。
日本は、アメリカ、ドイツ、フランスに次ぐ、世界第3位の高医療費国です。
医療費の急激な増加に直面し、先進各国では、価値の高い医療システムを推進していくことが不可欠となっています。しかし、医療において提供されている全てのサービスに価値があるわけではなく、患者さんの健康上のアウトカムを改善させるわけではありません。
その中で、現場の医師は、専門性と質の高いエビデンスに基づいた医療を提供することがますます期待されています。アメリカをはじめとする多くの先進国で、で不必要な医療サービスを減らし、医療システムの価値を向上させようとする動きが見られています。
例えば、「風邪」のときの抗生剤を処方しない・されないようにしましょう、というキャンペーンが厚生労働省を中心に我が国でも行われています。「風邪」のときの抗生剤は、患者さんにほとんど利益を与えず、耐性菌(抗生物質の聞きにくい菌)発生のリスクを上げるため、「価値が低い」と考えられます。
しかし、このような価値の低い医療がどのくらい我が国で提供されているのか、大規模に調査した研究はこれまでありませんでした。価値の高い医療システムを推進するためには、まず、価値の低い医療がどのくらい提供されているかを知る必要があります。
そこで私達の研究グループは、価値の低い医療が、急性期病院においてどのくらい提供されているか、その実態を、全国規模の保険請求データ(レセプトデータとも呼ばれる。病院が保険者に支払い請求のために送るデータで、どのような医療行為を行ったか記録されている。)を用いて調査しました。
私達はまず、①先行文献と②専門医を含む複数の医師によるレビューに基づき33の「価値の低い」かつ、「保険請求データを用いて測定可能な」医療サービスを同定しました。ここでは、できるだけ広く医療サービスを検討するため、26の専門科の専門医の協力の下、価値の低い医療となりうるものをリストアップしました。そして、そのリストアップされたものについて、過去の査読済み医学文献や質の高いガイドラインを参照しながら、本当に価値が低いとする臨床的エビデンスが十分にあるか、複数の独立した医師を交えて慎重に検討し、現時点で患者さんに益がないというエビデンスが確実にあるものをリストに加えました。
次にそのリストを用いて、全国242の急性期病院の2015-2019年度の保険請求データを使って、価値の低い医療の定量化を行いました。対象となった病院の全利用者(外来・入院含む)の5%ランダムサンプルを分析に用いました。このデータは、2019年度には5%サンプルで345,564人の患者が含まれる大規模なデータになります。分析対象病院は我が国の全急性期病院の入院の約11%を占める計算になります。
保険請求データは医療データベースを提供している民間会社から購入したもので、患者さん、病院の名前は匿名化されています。定量化にあたっては、保険請求データに必ずしも患者さんの臨床情報が正確に記載されているわけではないことを踏まえ、「狭い定義」(=あえて厳しく定義することで、下限にあたる値を算出)と「広い定義」(=誤分類を許容してなるべく全ての価値の低い医療を含めるようにすることで、上限にあたる値を算出)の2種類の定義を用いました(論文の付録に詳細は記載しています)。リストに基づく保険請求データの定量化のアルゴリズムの作成は、先行文献も参考にしながら、保険請求データ分析に習熟した複数の医師で行いました。
その結果、2019年度、患者さん1000人あたり115回(狭い定義)〜219回(広い定義)の低価値医療が提供されており、患者さんの5〜8%が少なくとも1回の低価値医療を受けていることがわかりました。
低価値医療の医療費は対象病院の医療費総額の0.23〜0.51%を占めました。粗い試算ですが、我が国の国民医療費44兆円(2019年)に外挿すると、約1000~2200億円の規模になります。
最も頻度の高い価値の低い医療は風邪に対する抗生剤の処方で、患者さん1000人あたり24回、次いで、甲状腺ホルモンの一種であるT3の検査(甲状腺疾患の診断にほとんど役立たない)で、患者さん1000人あたり23回でした。
低価値医療の頻度は2015-2019年度で軽度減少、もしくはほとんど変化はありませんでした。しかし個別の医療サービスに注目すると、推移の傾向は異なりました。例えば、風邪に対する内服抗生剤の処方は、年平均12%の減少傾向にありましたが、甲状腺ホルモンの一種であるT3の検査(甲状腺疾患の診断にほとんど役立たない)は年平均2%の軽度増加傾向を呈しました。これは、医療サービスごとに、医療提供者や政策担当者、製薬企業などの注目度が異なることを反映しているのかもしれません。
図1. 急性期病院における価値の低い医療の頻度の推移:2015-2019年
33種類の価値の低い医療のうち、2015-2019年に継続して測定可能であった31種類の医療サービスの総量を分析しました。「狭い定義」では若干の減少傾向(年平均2%の減少)が見られ、「広い定義」では明確な変化は見られませんでした。
今回の私達の研究結果は、わずか33項目の価値の低い医療に注目しても、少なからぬ患者さんが価値の低い医療を受けていたことを示しています。一方で、①急性期病院のみに着目している点、②保険請求データを用いており、実際の患者さんの状態を完全に把握できていない点、③医療保険でカバーされていないサービス(予防医療など)は評価できていない点、④価値の低い医療を契機にして起こる過剰医療のコストは評価できていない点、などの研究の限界は残っています。
また結果の解釈には注意すべき点もあります。価値の低い医療を減らすのは重要である一方で、現場の医療では、仮に価値の低い医療と分かっていても、患者さんとの信頼関係構築・維持、医療の不確実性(訴訟リスクの恐れ)、ガイドラインの不備、限られた診療時間、などを背景にそれを提供せざるを得ない場面も多くあります。そのため、価値の低い医療をゼロにするのは現実的ではなく、どのようにしたらそれを最小化できるか、を考えることが重要だと考えます。
とはいえ、今回の研究は、実際に価値の低い医療を測定し、実態を把握した初めての研究、という点で、今後の研究の基礎となる第一歩だと考えています。我が国の医療システムの価値を向上させるために、臨床医・医療機関・政策担当者・患者さんを巻き込んださらなるコラボレーションが生まれることを願っています。
URL: http://dx.doi.org/10.1136/bmjopen-2022-063171
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