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卒業論文の提出から25年の節目に思い出すいくつかのこと

今年1月は、2000年1月に法政大学文学部哲学科に私が卒業論文「芸術の本質についての哲学的研究」を提出してからちょうど25年となります。

この論文は、ハイデガーの存在論的芸術観が、その主張のように真の芸術理解として妥当であるのか否か、あるいは様々な芸術の理解の一つなのか否かを検討することを目的とすものです。

その際、ハイデガーが退けた近代主観主義的芸術観を確立したとされるカントの芸術論を『判断力批判』の議論に基づいて検討することを通して、ハイデガーの芸術論の特色を考えることを目指しました[1]。

考察の対象となったのは、『判断力批判』に加え、ハイデガーの『存在と時間』と『芸術作品の起源』で、いずれも日本語版から出発しつつドイツ語の原典を参照して議論するというものでした。

ハイデガーとカントの研究では副次的と言える芸術を対象としたのは私自身の芸術、とりわけ音楽に対する興味と関心の高さの結果であるとともに、指導教員である牧野英二先生が岩波書店から刊行される新たなカント全集の『判断力批判』の翻訳を担当されるということもあり、文字通り目の前で行われようとするカントの新たな理解から何かを学びたいと考えたからでした。

今から考えれば「芸術の本質」という際の「本質」が何を指すのかを明確にせず、あたかも「本質」が自明の事象であるかのように議論している点や、ハイデガーを批判するためにカントに立ち返りつつ、カントの理解を通してハイデガーを読み解こうという構造も煩雑であり、明快な議論をしばしば妨げるものになりました。

一方で、芸術への興味とともに、ハイデガーとカントを取り上げるという、現在の私の研究の主たる手法である比較研究を用いているとことに、今日の私の研究活動の萌芽を認めることが可能です。

何より、カントもしくはハイデガーのみに対象を絞らず、両者の比較を許してくださった牧野先生の寛大なご指導がなければ論文を完成することは出来ませんでした。

その意味でも、卒業論文は確かにささやかな一篇ではあるものの、私にとって4年間の学びの成果であるとともにその後の研究活動のある側面を含むものであると言えるのです。

[1]鈴村裕輔, 芸術の本質についての哲学的研究. 法政大学学士論文, 2000, p.1.

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of the Graduation Thesis (Yusuke Suzumura)

This January is the 25th Anniversary of the submission of my Graduation Thesis to Hosei University in January 2000. On this occasion, I remember miscellaneous memories concerning the thesis.

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