【追悼文】久里洋二さんに捧げる感謝の念
去る11月24日(日)、イラストレーター、漫画家の久里洋二さんが逝去しました。享年96歳でした。
イラスト、漫画、絵本、油絵など多方面で活躍した久里さんの業績は、その温かみがあるとともにどこか飄然とした画風とともに広く親しまれてきました。
また、久里さんは風刺画でも活躍し、一コマの中に様々な意味を込めた作品を通して広く社会の問題を浮き彫りにしてきました。
私にとっても久里さんの作品はなじみ深いものであるとともに、私の主たる研究対象である石橋湛山とも関わりの浅からぬ方でした。
すなわち、読売新聞の風刺画の中で、1959年9月に石橋を団長とする訪中団の様子を取り上げ、当時の日本の社会の懐疑的な見方を象徴的に描き出したのでした。
この点については、私も著書『政治家 石橋湛山』(中央公論新社、2023年)の中で一項を設けて検討しました[1]。
そこで、今回は久里さんの追悼の意を込め、以下に当該箇所をご紹介します。
風刺漫画が示す石橋訪中への懐疑的な態度
世論の反応については、訪中前も訪中後も、石橋の取り組みがどれだけの結果を残すかという点で懐疑的であった。そのような見方を象徴するのが、『読売新聞』に掲載された2 点の風刺漫画である。
すなわち、石橋が訪中する直前の9月2日には、「タタキ屋同伴」という題名の久里洋二による風刺漫画が掲載された(久里洋二「タタキ屋同伴」『読売新聞』1959年9月2日夕刊1面。)。
この漫画は、「人民服を着た中国人と思しき人物と会話する禿頭の男性の背中を、金槌を持った人物が叩く」という構図になっている。禿頭の男性は石橋湛山を表し、石橋の背中を金槌で叩くことは「石橋を叩いて渡る」という俚諺の隠喩である。
ここから、この石橋が訪中後の交渉の過程で安易に中国側と妥協すること、あるいは日本の外交方針と背く態度を取ることを戒める、慎重な交渉を要求する内容となっていることが分かる。
また、共同声明が発表された9月20日には、やはり久里洋二が「二つの中国は作らない」と題する風刺漫画を描いている(久里洋二「二つの中国は作らない」『読売新聞』1959年9月20日夕刊1面。)。
「「整形医」という看板が掛けられた建物から出てくる二つの頭が胴体から出ている人物を禿頭の整形医が見送る」という構成は、「日本は「二つの中国」を認めない」という趣旨の共同声明の内容を戯画化している。
「タタキ屋同伴」と同様、禿頭の整形医は石橋であり、一つの胴体から二つの頭が出ている人物は中華人民共和国と中華民国とが互いに正統な政府であることを主張している中国の状況を象徴しており、「二つの中国は作らない」という題名のすぐ下に付された「ちょっと無理かな」という但し書きは、「二つの中国」を認めないという中華人民共和国側の要望を満足させることが日本にとって難問であることを意味する。
風刺漫画が成立するためには、描かれている内容が読者に容易に理解されるだけでなく、内容が読者の共感を得ることが重要となる。その意味で、『読売新聞』に掲載された2点の風刺漫画は、少なくとも世論が石橋に対して慎重な交渉を行うことを期待し、石橋の訪中が必ずしも成功するとは考えていなかったことを示唆する。
このような訪中に対する周囲の評価に加え、石橋自身も「「石橋は中国の日本分断作戦にかかった」というかも知れないが、私はドロをかぶる覚悟だから構わない」、あるいは「「国民の皆さんに望みたいのは日中国交回復の実現はきわめて厳しいことを認識してもらいたいことだ」(「三原則は貫いた」『読売新聞』1959年9月21日朝刊1面。)と発言し、今回の訪中が必ずしも成功しなかったと捉えていることをほのめかした。
改めてご冥福をお祈り申し上げるとともに、その画業への感謝念を捧げます。
[1]鈴村裕輔, 政治家 石橋湛山. 中央公論新社, 2023年, 234-235頁.
<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Mr Yoji Kuri (Yusuke Suzumura)
Mr Yoji Kuri, an illustrator, had passed away at the age of 96 on 24th November 2024. On this occasion, I remember miscellaneous memories of Mr Kuri.