石橋湛山の議論と政策を適切に理解するために重要な視点は何か
今年1月24日(金)に開会しただ217回通常国会における施政方針演説で石破茂首相がふたたび石橋湛山のいわゆる「五つの誓い」を引用したことで、再び石橋への注目と関心が高まってます。
石橋湛山の研究に携わる者の一人として、人々の注目が高まることはまことに喜ばしい限りです。
しかし、石橋湛山が言論人として主張した意見のほとんどは、当時の為政者だけでなく日本の人々からも注目を集めず、支持も広がらなかったことには十分な注意が必要です。
例えば、今日では石橋の代表的な議論とされるいわゆる「小日本主義」も政治家から無視されましたし、当時憲政会の総裁であった加藤高明は演説会の中で石橋を念頭に置き、植民地放棄論の提唱者を「淡白な人」と指摘するなど、変わった意見、極端な議論という扱いにすぎませんでした。
あるいは第一次吉田茂政権の大蔵大臣として進めた、生産増強によりインフレの克服を図る政策は「積極財政」と称され、石橋の財政政策を代表するものとされます。
ただ、「積極財政」という呼び名もあって石橋蔵相はインフレ論者という見方が野党だけでなくGHQの中にも根強く残る結果となりました。
そして、こうした印象は石橋がGHQによって公職追放となる一因となりました。
また、1954年に盟友の鳩山一郎が首相に就任すると、外交面では日ソ国交正常化を主眼として対米関係重視の吉田政権との違いが際立ったものの、経済政策では第二次政権以降の吉田との連続性を意識した鳩山一郎と側近たちによる「石橋は積極財政であり、経済政策を転換することになる」という考えにより、石橋は本人の希望した蔵相ではなく通産相に充てられる原因の一つとなりました。
もちろん、石橋が言わんとしたこと、行おうとしたことの真意をよりよく知り、あるいは現在に活かそうとすることは重要です。
それでも、その所説が現在の状況に無条件で適応できると考えることは危ういものです。
石橋の言動と周囲の理解とをともに知ることは、石橋の議論や政策をよりよく把握するために不可欠な態度となるだけに、改めて強調する次第です。
<Executive Summary>
What Is an Important Viewpoint to Understand and Apply Ishibashi Tanzan's Theories and Policies Correctly? (Yusuke Suzumura)
In the current Ordinary Session of the Diet, Ishibashi Tanzan's name is one of an important element of the discussion among statesperson. On this occasion, we examine the remarkable viewpoint to understand Ishibashi's theories and policies correctly.