【追悼文】伊藤隆先生について思い出すいくつかのこと
去る8月19日(月)、歴史学者の伊藤隆先生が逝去されました。享年91歳でした。
日本の近現代の政治史を主たる専門とし、日記や書簡などの多くの一次史料の編纂に携わるとともに、いわゆるオーラルヒストリーの分野を開拓された構成期は大変大きなものであることは周知の通りです。
また、一次史料の編纂だけでなく、数多くの著作を手掛けられたことも、伊藤先生の大きな業績の一つでした。
私も東京都立青山高等学校の2年生の時に図書室で中公新書の一冊として刊行された『近衛新体制』(1983年)を手にして以降、2015年の『歴史と私』まで種々の書籍を読む機会に恵まれました。
このように、私も他の多くの方のように伊藤先生の様々な書物のお世話になった一人です。
その中で最も活用しているのは、石橋湛一さんと編纂された『石橋湛山日記』(みすず書房、2001年)です。
『石橋湛山日記』は1945年1月1日から、病に倒れ総理を辞任する直前の1957年1月23日までの12年にわたる記録を収めています。
日記には観劇や通院の記録、来訪者との対話の概要が記されるとともに、戦後に政界に転身してからは閣議の様子や政治家や支援者とのやり取りも書き留められるなど、石橋湛山の人となりを知るための重要な手掛かりとなっています。
私の近著『政治家 石橋湛山』(中央公論新社、2023年)も『石橋湛山日記』を通して、石橋の政治家としてのあり方をよりよく知ることが出来ました。
また、昨年は一般財団法人石橋湛山記念財団の機関誌『自由思想』第169号に論文「石橋湛山はどのような野球の試合を観戦したか――『石橋湛山日記』の記述から――」を寄稿し、『石橋湛山日記』における野球に関する記述を取り上げ、石橋がどのような試合を観戦し、いかなる理解を示したかを検討しました。
もし、今も私が自宅の書架に配し、折に触れて活用している『石橋湛山日記』がなければ、私の石橋湛山研究は今よりももっと違った、よりささやかなものとなっていたことは間違いありません。
その学恩に感謝しつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。
<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Professor Emeritus Dr Takashi Ito (Yusuke Suzumura)
Professor Emeritus Dr Takashi Ito, a historian and Former Professor of the University of Tokyo, had passed away at the age of 91 on 19th August 2024. On this occasion, I remember miscellaneous memories of Professor Dr Ito.