【書評】横田祐美子『脱ぎ去りの思考』(人文書院、2020年)

今年3月30日、横田祐美子先生のご新著『脱ぎ去りの思考』(人文書院、2020年)が刊行されました。

本書は、横田先生が2018年11月に立命館大学に提出した学位請求論文「脱ぎ去りの思考 : ジョルジュ・バタイユにおける思考のエロティシズム」を基に、博士論文の内容を全面的に書き改めたものです。

バタイユの著作に即し、実証的にバタイユの思索を辿りつつ、概念の操作だけに留まる思考のあり方を批判し、プラトンやカントとは異なった方法で「知を愛する」営みを模索した「知を愛する人」としてのバタイユのあり思想の特徴が丹念に描かれています。

しかも、バタイユに焦点を当てるものの視野は古代から現代までの哲学史、さらに日本における西洋哲学の受容にも向けられており、結果として本書の記述に奥行きと厚みをもたらします。

例えば、バタイユの主著の一つであるMéthode de méditationを既存の『瞑想の方法』ではなく『省察の方法』と訳出することは、一面において本書の新規性の表れであり、他面ではバタイユがデカルトの哲学を視野に入れるものです。

フッサールがCartesian Meditations(『デカルト的省察』)を著していることも示すように、デカルト以降の哲学者にとってデカルトは無視出来ないのですから、哲学者としてのバタイユが『省察の方法』を書いたのは当然でしょう。

その意味で、このような訳出の作業を通して、バタイユがデカルトの哲学とは異なった方法で思索を進めたことが明らかになるのは、本書の方法論上の特徴とも言えます。

バタイユから出発するものの文献の解釈に止まらず、バタイユを通して「知を愛する」という「欠けたものを追い求める」能動的な働きとしての「エロス」あるいは「エロティシズム」のあり方をも明らかにしようとするのは、意欲的な試みに他なりません。

惜しむらくは、大学に属さず図書館の司書としての生業を持ちつつ思索を続けたことが挿話的に取り扱われていても、バタイユの思想の形成にどのような意味を与えたかが十分に検討されていない点です。

ベルクソンやサルトルの事例を参照するまでもなく、大学が哲学の発展の中心となったドイツに比べ、フランスの哲学の担い手は、大学人だけでなく、中等教育機関や在野の人物たちでありました。

それだけに、社会的な地位と創造的な活動とがどのような関わりを持つかを考察することは、一人の人間としてのバタイユの姿をより鮮やかな輪郭とともに描き出したことでしょう。

しかし、バタイユが唱えた「非‐知」を「知の否定」ではなく、「概念のヴェールを絶えず脱ぎ去る」積極的な独自の哲学であったことを論証する本書は、ページをめくるたびに残されたページ数が少なることが惜しまれる一冊です。

<Executive Summary>
Book Review: Yumiko Yokota's "Stripping Thinking" (Yusuke Suzumura)

Dr. Yumiko Yokota of Ritsumeikan University published a book titled Stripping Thinking from Jimbun Shoin on 30th March 2020.

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