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エピローグで欲が出る@JAL (ひとり旅エッセイ)

関西ひとり旅、最終話。
このひとり旅について振り返ってみました。

仁和寺と石清水八幡宮に行ったお話↓


伊丹空港で羽田へ帰る飛行機の搭乗待ち。
そこでちょっとだけ緊張感のあるアナウンスが聞こえてきた。

「当機は気流により揺れが生じる可能性があり、安全確保のために温かいお飲み物のご提供を控えさせていただきます」

なんと。
それは大変。
JALのビーフコンソメがいただけないなんて。

定刻通りに搭乗し、座席に着く。
指定した席は非常口に位置しているが、そこは他の座席より若干広々としていて快適だった。

荷物を棚に収納しシートベルトをしめると、ベテランのキャビンアテンダントさんが僕の元へとやってきた。

「お客さま。本日はご搭乗いただきありがとうございます。こちら非常口席となっておりまして、このお座席にお座りのお客さまには緊急時の脱出援助をお願いしております。ご協力いただけますでしょうか」

そういう席であるというのはもちろん承知の上。
でも改まって、そして結構シリアスな雰囲気でそう言われるとそれなりの緊迫感があった。このあと本当に緊急事態が起きる、そんな感じがした。

「……お任せください」

僕はそう返答した。
小さな正義感が湧いていた。

飛行機は順調に羽田に向けて飛び、途中何度か気流が不安定で大きく揺れた。その度に緊急事態が頭によぎったが、何事もなく飛行機は着陸した。

「みなさま、ただいま羽田空港に着陸いたしました。予定より17分ほど早い到着となります」

順調なんてもんじゃなかった。
「そんなことある?」ってくらいに巻いた。
羽田空港から自宅まで、予定してた4本前の京急に乗れた。

空港で買った、りくろーおじさん。


さて、ひとり旅というものには「逃避」の目的がある、と僕は今まで思っていました。

前回の京都ひとり旅も、東北ひとり旅も、それはもう「逃避」でした。
現状からの、現実からの、組織からの、逃避。

逃げた先にあった景色や心、逃げた先で出会った人との関わり。京都でも東北でも、そんなものをエッセイにして書き残しました。

仮に、逃げているわりに楽しそうね、生き生きしてるね、とか思われたって。いや、そりゃそう。そんなもの、楽しくなるために逃げたのだから。

今回書き残したことも今までと変わらず、景色や心、人との関わり。
だけどそこに「逃避」は全くなかった。
いつものように頭の中でごちゃごちゃと会話することも、そういえばほとんどなかった。

今回は、旅の道中、電車の中などで、ここまでのエッセイ全7編をほぼリアルタイムで書いていた。

(例えば、姫路城でチケットを買った直後に、スマホに『ファスト城』というタイトルをメモし、神戸までの電車の中でそのほとんど書き終えていた)

今までは旅の道中に書くことなんて出来なかったし、あえて書かないようにしていた。帰ってきてから、ただ自分のためだけに残すものとしていたから。また、書くために想いを巡らせておくのも、ひとつの逃避行為だったから。

だけど今回は、ただただ早く聞いてもらいたくて。
純粋に楽しんできただけの時間を見てもらいたくて。

だからなんだか、読んでくれている「あなた」に喋りかけている文体がちょこちょこ、普段よりかは多い。

純粋に満喫してきたお出かけの想い出話を「そっかそっか、よかったよかった」って、少しは楽しんでもらえたら嬉しいな、なんて思いながら書いていた。

そして何よりも、何よりも。
「この子、教養がある子ね」って思われたい。

最終日、仁和寺に向かう嵐電に揺られながら、なんだかもう、ずっと思ってた。
「今回全体的に教養がある人の嗜みじゃない?」って。

だから、そう思われたい。
あ、いや、違うな。
そう言われたい。
直接ね、はっきりとね、そう、言われたい。
「教養がある子ね」って。

言ってくれ。
今すぐ言ってくれ。
どんな手段を使ってでも、どこからでも言ってくれ。
「読んだよ、教養があるのね」と優しく言ってくれ。
優しく、そして、何度でも。

姫路市、神戸市、京都市、八幡市。
主にこの4市を舞台にした今回の関西ひとり旅エッセイ。
時に文化的で、時に文学的で、また時にはインターナショナルな一面も覗かせながらお送りいたしました。

ほらほら。
どう?
教養があったでしょう?

……取り乱しました。すみません。

わかってる。
そういうとこだぞ、ってね。
これを書いちゃうあたり、教養がないですよね。

ただ「逃避」じゃないひとり旅は、ただただ心地よくて、身軽で、本当に楽しかった。

さて、次回はあるモノを求めて「I県」を旅します。こちらも全く「逃避」ではありません!

お楽しみに!

太陽の塔へ寄り道もしました。

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