深夜のプレイリストと、会えない人のこと
こんにちは。
昨日、noteに初投稿して、今は3連休ということもあり時間に余裕があるのでまたなにかを書こうと思います。
今は、いきつけの喫茶店で一人でアイスコーヒを飲んでいます。
いつしかお店に入ると、いつも頼んでいるケーキセット(アイスコーヒーとアップルケーキ)が届くようになり、自分も初めて常連客になったんだと嬉しかったのを覚えています。
さて、今日は自分の好きな”猫”について書こうと思ったのですが、直ぐに言語化できる能力もなく行き詰まっていると、ふと今から丁度4年ほど前に、短編小説(当時好んで読み漁っていた作家に影響されまくっている)を書いてみようと思い、未完成のまま保存されているものを見つけました。
もちろん友人、知人にも恥ずかしくて見せることはできないので、ずっと自分のPCフォルダに眠っていましたが、noteは自分も皆様もある程度、不特定の人間であるので、良いコンテンツだと思いここで当時の僕の感情を勝手に昇華しようかと思い完成させました。
この著者が好きななら、私がどの作家から影響を受けているかわかる文章になっていると思います。わかってもらえると嬉しいです。
深夜のプレイリストと、会えない人のこと
今夜もまた、僕はSpotifyで作った「一人プレイリスト」を流している。午前0時を回った静かな部屋の中で、Mac Millerの『Dunno』が流れている。スマートフォンの画面が青白く光る。LINEの既読が付かない最後のメッセージが、そこに残っている。
彼女と最後にちゃんと会ったのは、茶屋町のスターバックスだった。東京に転勤が決まったと言う彼女は、いつもの様にほうじ茶ティーラテを飲んでいた。僕はアメリカーノを。なぜかそんな些細なことまで覚えている。「また会える?」と聞いた僕に、彼女は曖昧な笑顔を向けただけだった。
それから5ヶ月。Instagramには時々彼女の投稿が流れてくる。新しい街での新しい生活。行きつけになったという小さな喫茶店の写真。休日に訪れた古民家カフェ。夕暮れ時の高層ビル街。全て彼女らしい投稿だ。でも、最近は「いいね」を押すのをやめた(「いいね」とは心底思っている)。その方が自然な気がしたから。
MacBookの画面に向かいながら、僕は時々考える。彼女は今、どんなプレイリストを聴いているのだろう。昔、僕の車で流れていて「良い曲だね」と言っていたKandy townは、まだ聴いているのだろうか。もうきっと違う音楽に移っているのだろう。
この前、Spotifyの「今週の発見」に、彼女が好きだった曲が紛れ込んでいた。アルゴリズムの悪戯だろうか。それとも、僕の聴く音楽の好みが、知らず知らずのうちに彼女に影響されているのだろうか。
コーヒーを淹れる。深夜のコーヒーは良くないと分かっていても、この時間の静けさと温かい珈琲は、どこか切り離せない。ドリップの間、スマートフォンに流れてくる広告を、ぼんやりと眺める。東京行きの新幹線の案内。まるで誘われているかのような偶然。でも、僕は東京には行かない。少なくとも、今は、行けない。
部屋の隅に置いてある古い文庫本が、埃を被っている。彼女と一緒に古本屋で見つけた『A Love Supreme』。このレコードを最後に聴いたのは、いつだっただろう。レコードを取り出して、静かにターンテーブルに載せる。針を落とす音が、深夜の部屋に響く。
アナログ特有のノイズと共に、温かみのある音が流れ出す。デジタルでは味わえない質感。彼女はいつも「レコードには魔法がかかってる」と言っていた。あの頃は、その言葉の意味が完全には分からなかった。今なら、少しは分かる気がする。
スマートフォンの通知音が鳴る。がっかりするほど日常的な、アパレルショップの広告だった。人は、いつだってどこかで誰かを待っているものなのかもしれない。例えそれが、既読の付かないメッセージであっても。
そうこうしているうちに、プレイリストは最後の曲を迎えようとしている。IOの『Faded』
。このメロディを聴くと、まるで誰かと会話しているような気持ちになる。その「誰か」が誰なのかは、もう言うまでもない。
明日も早起きだ。パソコンを閉じて、ヘッドフォンを外す。充電ケーブルを繋ぎながら、ふと思う。テクノロジーは人を繋ぐと言われる。でも同時に、会えない人との距離を、より一層際立たせるものでもある。
窓の外では、街の喧騒が、かすかに聞こえている。
読んでいただきありがとうございます。
文章を読んでいる当時が鮮明に浮かび上がっています。
そして今もあまりその感情が変わっていないということにも気付かされました。
以上、こんなジャンルも何も関係ない投稿になりますがまた見ていただけると幸いです。
それでは、みなさん良い休日をお過ごしください。