Jリーグ 観戦記|セルジーニョの憂鬱|2020年J2第11節 千葉 vs 松本
鉛のような空が頭上を支配していた。視界に映る世界は灰色に染められている。その中を蛍光イエローのユニフォームに身を包んだ人々が蛍のように光を放つ。東京から電車を乗り継ぎ、僕はジェフユナイテッド千葉と松本山雅FCの試合が行われる蘇我の地に降り立った。
紅白の鉄塔や高炉など、遠くに無機質な工業地帯が森のように広がっていた。人々が日常を送る傍で、機械も生命を宿していることを証明するかのように、もうもうと白煙を吐き出す。稀有な風景に心は踊る。
分厚い雲を背景にフクダ電子アリーナは緊急着陸した円盤を彷彿とさせる。スタジアムの周囲に設置された照明が光を散らし、今にも動き出しそうな印象を僕にもたらす。検温と手の消毒が終わり、階段を駆け上がる。
見上げた空からは覆い尽くされた鉛色を削り取るようにして淡い水色が浮かび上がり、下地のように塗られた薄いオレンジも顔をのぞかせる。
会場に流れるMCからは「ホームでの初勝利」を願う声が響く。千葉の目線に立った、試合に向かう意気のようなものをダウンロードした。気のせいだろうか。周囲に視線を配ると、「為田大貴」の名が踊る横断幕が散見される。為田の背番号である十三番のユニフォームを身にまとった観客も目立つ。劇場で流れる映画の予告編を眼にするかのようで、試合に向けた予備情報を頭に入れた僕の高揚感は加速する。指定されたインナーゲートの前に立ち、後ろを振り返った。空には熟れたオレンジが最後の果汁を絞り出すかのように、光沢感のある夕焼けが神々しく浮かぶ。
メインスタンドから見て右のゴール裏二階席に座った。照明の光を受けたライトグリーンのピッチが眼下に広がる。滑らかな絨毯のようで、思わず手触りを楽しんでみたくなる。フクダ電子アリーナに入場したのは今回が初めてだ。場内に立ち込める空気や熱も含めて、眼で情報を吸収する。開場してから十五年の月日は流れたが、Jリーグを代表する球技場としての存在感は失われていない。客席からピッチまでの近さ、観客の興奮が分断されることのないキャパシティ。際立った特徴もないが、選手たちがプレーし、観客がサッカーを観戦する上では「適切」という言葉を僕は連想した。
屋根から降り注ぐ照明とは別に、一本一本の柱にライトが取り付けられている。その光が鋭角に切り取られた屋根の付け根部分に当たって四方に反射する。訪れたことはないが、その光景はアイントラハト・フランクフルトのヴァルトシュタディオンの内観を僕に思い起こさせる。
蛍光イエローのユニフォームがスタンドを埋めていく。それは等間隔に植えられたタンポポのようだ。長方形のピッチ。均等に配置された柱。全ての要素が整然とあるべき場所に収まっている。俯瞰した世界はまるでテレビゲームをプレイしているかのようだ。
暑さが全身をコーティングする。それを消し去る風も立たない。ピッチ上では散水が始まった。回転しながら放たれる水に飛び込んでしまいたくなる。完全な静寂が辺りを支配する。沈黙を突き破るかのように、選手たちの掛け声がメインスタンドの下から響き渡る。試合がついに幕を開く。
松本はスリーバックがワイドに開き、自陣に引いた千葉の様子をうかがうようにボールを左右にスライドさせていく。ハーフウェーラインを過ぎた辺りで左サイドから最前線を狙ったグラウンダーの縦パス。もう少し角度をつけた状態からのアーリークロスが目立つ。混沌を作った後のペナルティエリア付近での二次攻撃を目論んでいたのかもしれない。しかし、その攻撃は千葉のディフェンスラインに跳ね返される。ボールと頭の衝突音がスタジアムにこだまする。この音は試合を象徴する音となる。
時間が経過し、松本の攻撃においてセルジーニョが担っているタスクの多さに気づく。ハーフスペースでボールを受けてから時間を作り、周囲にボールを散らす。散らした後はすぐに動き直してボールを呼び込む。ハーフウェーラインまで下がってボールを受けることもあった。しかし、セルジーニョが狭いエリアで起点を作ってボールを先に進めたとしても、その後が続かない。その様子はまるで無人のオーケストラを指揮している指揮者のようだった。
千葉は早い時間帯での先制に成功する。サイドバックのゲリアと矢田で右サイド深くに侵入し、矢田からのクロスを佐藤寿が左足で押し込む。シンプルだが、ピッチをワイドに使った攻撃が守備陣の視界を限定し、注意を分散させたのだろうか。
その後も似たようなパターンから千葉は得点を重ねる。ポイントは大外に構える増嶋だ。前半のゲリアによるロングスロー、後半の矢田が上げたフリーキック。どちらも最も遠い位置にポジションを置いた増嶋のヘディングが得点を生んだ。松本の守備陣がゾーンを意識し過ぎたのか。ボールウォッチャーになる癖を千葉が把握していたのか。明確な傾向を感じさせる二つのゴールだった。
試合を通してリアクションのサッカーを展開した千葉。その中で注目の為田は左サイドで躍動した。屈強なフィジカルに似合わず、ボールを持ち上がり、相手にとって危険なクロスを幾度も上げる。そして、時にはボールを持って時間を作り、敵を背走させることによって体力を奪い、同時に味方には休息と安心感を与えていた。胸板を突き出した独特の姿勢は相手のプレッシャーを前にしても余裕と風格を感じさせる。
川崎フロンターレから移籍してきたゴールキーパーの新井が「もう一点!」と仲間を鼓舞する。全ての声を聞き取れたわけではないが、その戦術的かつ精神的なサポートは千葉にポジティブな影響をもたらしていると感じた。新井の声を耳にしているだけでもこの競技の醍醐味を感じさせる。
その声につられるようにして、為田も絡んで左サイドで細かくパスをつなぎ、右サイドへと一気にサイドチェンジを行う。「ボールも人も動く」と言えば単純に聞こえるが、技術に裏打ちされたボールの扱いと有機的なフリーランニングは異なる音階を鳴らして聴衆の快感を刺激するライブミュージックのようだった。
千葉の完勝に終わったこの試合。暗中模索するセルジーニョと千葉の強固なブロックによって弾き返されたボールの衝突音が眼と耳に刻まれる。真っ暗な湾岸沿いを弾丸のように駆け抜けていく京葉線の車内で僕はその残像に浸っていた。
千葉 3-0 松本