気ままな鑑賞エクササイズ#2 ティツィアーノ「懺悔する聖マグダラのマリア」
1時間でnoteを1記事作る、エクササイズのような鑑賞をやっていこうと思います。記事読むだけでも、同じように時間を測って擬似体験してみても面白いかも。
<ルール>
・以下の作品をまず3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
・その後25分、書籍やネットで作家・作品について調べます。
・さらに3分鑑賞をして、再発見したことを書き出します。
・25分を目標に記事を編集します。
・気ままに不定期で続けます。
まず作品を3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
今回鑑賞する作品はこちら。
画像リンク
・3分の鑑賞で気づいたこと
まずこの人がどこにいるのか気になりますね。後ろには岩肌、岩の壁があって、さらに後ろの方の背景には暗い空があると。
左下の方には壺みたいなのが置いてあって、意味ありげですね。この壺は他の描いてあるものと違って、どこに置いてあるのかもよくわからないような、無理やり絵に入れ込んだ感じに思えます。
この女の人だけに光があたってますが、髪の毛が綺麗ですね。肌もすごく綺麗だけど・・やっぱりこの肩から胸元にかけての髪の毛が綺麗な感じがしますね。
あと、長いですね髪の毛が、めちゃめちゃ。もう服みたいになってる。手の格好から、恥じらってるようにも見える。裸になってしまって、髪の毛で体を隠してるようにも見えるんだけども、でも乳房は見えてるから、まあそういうことではないのかなって・・
どういうシーンなんだろう。天の方を見て、こう啓示と言うか、お告げを受けているのか・・同じような絵で下が海、海面みたいな絵を見た気がするので、この絵ももしかしたら下が海なのかなーっていうふうにも思いました。
女の人が裸で海の中にいて、波とか、岩肌とか、空の感じとかがそんな絵に似てるなって。画像が暗すぎて見えないのか分からないですけど、下の方がもしかしたら海かもしれないなと。
・作品・作家について
ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1533年頃に描いた絵画。
『懺悔(悔悛)する聖マグダラのマリア』
・30分調べたこと
ティツィアーノについて
肖像、風景、古代神話、宗教などあらゆる絵画分野に秀で、ヴェネツィア派でもっとも重要なイタリア人画家の一人となっている。ティツィアーノの絵画技法は筆使いと色彩感覚に特徴があり、イタリアルネサンスの芸術家だけではなく、次世代以降の西洋絵画にも大きな影響を与えた
ティツィアーノは長命な画家で、その作風は年代とともに大きく変化しているが、その生涯を通じて独特の色彩感覚は変わることがなかった。円熟期のティツィアーノの絵画は色鮮やかとはいえないものもあるが、初期の作品の色調は明るく、奔放な筆使いと繊細で多様な色使いは、それまでの西洋絵画に前例のない革新的なものだった。
ウィキペディア「ティツィアーノ・ヴェチェッリオ」より抜粋
『懺悔(悔悛)する聖マグダラのマリア』について
マグダラのマリアは、イエス・キリストが亡くなった後、サント・ボームの洞窟で苦しい修行と瞑想に明け暮れる日々を送ったとの伝説があり、それに基づいて本作は描かれている。ティツィアーノは、信心深さと官能を掛け合わせ、画面上に現出させた。
マグダラのマリアは、若く美しい女性として描かれている。殺伐とした風景が背後に広がる中で、一糸まとわぬ姿のマリアは、潤んだ瞳で天を見上げており、豊かにうねるブロンドの髪で身体を隠そうとしているようであるが、かえって目立たせてしまっている。画面の左下には、マグダラのマリアのアトリビュート(本人を表すのに不可欠とされる持ち物)である香油壺が描き入れられている。
本作は発表後に大きな評判を呼び、同じような眼に涙を浮かべた裸身のマリアの絵が大量に製作されることになる。肉体を賛美するルネサンスやドラマを志向するバロックの画家たちは、マグダラのマリアに仮託して肉体美の理想を追求したのであり、それは次の時代にも受け継がれている
ウィキペディア「悔悛するマグダラのマリア (ティツィアーノの絵画)」より抜粋
・ヴェネツィア派について
15世紀、港町ヴェネツィアは地中海交易の拠点として繁栄の絶頂を極め、フィレンツェからやや遅れて芸術も大きな飛躍を見せ、ルネサンス美術のもう一方の中心地となった。
ヴェネツィア派は、遠近法や人体表現よりも、色彩の鮮やかさや流動的な筆触、世俗的・感覚的な日が追求された。
フィレンツェ派に求められたものが違う理由の一つとして、ローマから離れていることで宗教的規範に過度に縛られることがなく、ごくシンプルに自由な時代を映し出すツールとしての絵画表現が発達したことが挙げられる。
ヴェネツィア派の基礎を築いたのはベッリーニ。 油彩技法をいち早く取り入れた。ヴェネツィア派特有の鮮やかな色彩と光溢れる画風を生み出した。
その弟子ジョルジョーネ。詩的な雰囲気を持った独特の画風で知られる。叙情性豊かな自然や女性の肉体美を描く一方、「嵐」のように神秘的な難解な作品も残している。
16世紀、ヴェネツィア絵画は黄金期に突入。その先導役として活躍したのがティッツァーノ。ベッリーニに師事、兄弟子ジョルジョーネからも多くを学ぶ。
池上英洋「いちばん親切な西洋美術史」参照
デッサンのフィレンツェ、色彩のヴェネツィアといわれます。フィレンツェの絵画には計画的なデッサンが存在します。当時は、構図を練ったら線描、次にモノトーンで明暗をつけ立体感や奥行きを表して最後にやっと色をつける。このように何もかも決まった後で、塗り絵のように色をつけるのが絵の書き方でした。
一方ヴェネツィア絵画は、直接絵の具で描き始め、製作途中でも構図や形を自由に変更する描き方、つまり画家のイマジネーションの変化を重視する描きかたです。ヴェネツィア派を代表するジョルジョーネの「嵐」には、製作途中で変更された箇所がいくつも発見されています。
感覚的で豊かな色使い、自由なタッチ、自由な構想、そして自由な描きなおしがヴェネツィア絵画の地位を作りました。今となっては当たり前の描きかたですが、新しい絵画概念として登場したのがこの時代なのです。
視覚デザイン研究所「鑑賞のための西洋美術史入門」
↑ジョルジョーネ「嵐」1503~1509
・さらに3分の鑑賞で考えたこと
ヴェネツィア派=人間の感情的な表現っていうところで言うと、すごく僕は髪の毛の細密さとか、綺麗さにとらわれてしまったけれども、ポイントとしては女性の表情とかなのかな?
確かに人体の形はディフォルメしてある感じだけれども、涙を溜めている表情みたいなのが特徴的だって言われていたんですが、よく見ると確かに目に光があって、これは潤んでるような、そういう表情なのかなと。
天から何かを授かっているのかなって僕は思ったんですけども、許しを乞うっていうことで、ベクトル的にはこの女性から天に向かうベクトルだったんだなーっていうのが意外だったと言うか、思っていたこととちょっと違ったなーっていう風に思いました。
色彩のベネツィア派って言われてましたが、ものすごく華美っていうわけではなくて、この髪の毛の栗毛色みたいなのがすごく綺麗だなと。今思うと、髪の毛の細密さとか、艶めく感じっていうのもそうなんですけど、この何・・色合い・・髪の毛のこういう色合いに、さっき3分見たときは結構魅入ってしまったのかなーっていう風に思いました。そこにベネツィア派的な色合いっていうのを僕はもしかしたら感じてたのかなぁ。
全体的にはそんなに色彩に富んだ絵っていう感じではなく、暗い画面でドラマチックな光が当たっている絵なんですけども、僕は女性の顔とかこの表情よりも、髪の毛にやっぱり目が行ってしまったなーって思います。
官能的な表現っていうことで、女性の肌とか乳房のところとかもうそういう意味では注目すべきポイントなんでしょうけど、でもそこら辺の描きかたよりは、やっぱりこの髪の毛にすごく力が入っているように思えるので、そこがすごく気になりました。
(ちなみに最初の鑑賞で、似てるなと思ってた絵はこれでした。改めて調べてみてみると、あんまり似てなかったですね。むしろ逆に胸をあらわにしてました。)
クールベ 「波の中の女」1868
あなたにはどう見えましたか?
また次回!