日本橋のレトロ建築 その1(近代レトロ建築-03)
日本橋は町人文化の中心地、下町を代表する地域でした。また五街道の起点として江戸における交通・物流の要所でもありました。そして近代以降も金融・商業の中心であり続け、日本橋には百貨店や老舗がある反面、現代では若干取り残された感がありました。近年は再開発でコレドなどができ、活気を取り戻しつつあります。
そんな日本橋には近代の建築や遺構も残り、日本銀行をはじめとした重要文化財の大規模なレトロ建築が多く残っています。同時に空襲による焼失も免れた小規模なレトロ建築も多くありも逃せません。特に小規模なレトロ建築は再開発の波に呑み込まれてどんどん消滅してきています。なくなる前にこの目で見ておきましょう。日本橋駅から歩き始めます。
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
日本橋高島屋
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:高橋貞太郎ほか。
竣工当時の名称は「日本生命館」でした。外観は西洋式のルネサンス風に和風も取り入れた様式で、全館冷暖房完備というのも当時としては画期的でした。
日本橋高島屋の裏手に穴子料理の老舗があります。戦後の町屋の風情がそのまま残っています。
玉ゐ 日本橋本店
では、日本橋へ向かって歩きます。まず最初に目に入るのが日本橋の袂に建つ日本橋野村ビルディングです。
日本橋野村ビルディング
竣工年:1930年(昭和5年) 設計:安井武雄。
野村コンツエルンの東京進出の拠点として建てられました。建物足元と頭を軽く中間を重くし、ダイナミック・シンメトリーと言われる設計手法がデザインの特徴になっています。
日本橋
日本橋を改めてちゃんと見ておきましょう。首都高速で空が塞がれていて痛々しいのは変わりありません。近い将来、首都高速は地下化されるようです。日本橋の袂には碑がいくつかあるのですが、あまり気に留める人は多くはないようです。
現在の姿は1911年(明治44年)に架けられたもの。江戸以来、20代目の橋にあたります。石造アーチの橋へとデザインを一新させたのは建築家・妻木頼黄一。最大の特徴は、麒麟や龍といった和風のモチーフを、バロック風の尖りの強い彫刻で仕上げている点にあります。
日本橋の袂には歴史の碑があるので、この機会に一見の価値はあります。日本の道路元標があり、道路網の始点となっています。
かつてここにあり、300年余り続いた日本橋魚河岸跡の碑です。1923年(大正12年)の関東大震災をきっかけに築地市場へと移転するまで、巨大な魚河岸として盛況を極めていました。
さらに反対側の観光案内所の横には日本橋由来記の碑があります。碑の上部に広重の絵、その下に由来が刻まれています。
日本橋三越本店
三井本館
三井本館の裏手に一際目立つ建築が日本銀行本店です。
日本銀行 本店
竣工年:1896年(明治29年) 設計:辰野金吾。
ネオ・バロック様式のベルギー国立銀行を参考に設計。日本人建築家が手掛けた最初の西洋近代建築の国家的プロジェクトでした。
更に、ここから少し足を伸ばすと江戸城常磐橋門跡、渋沢栄一像、震災復興橋の常盤橋まで見てもいいですね。
日本橋野村ビルディングまで戻り、その横を兜町、東京証券取引所の方へ歩いていきます。
三菱倉庫
竣工年:1930年(昭和5年)。船体を連想させる特徴的な外観を持ち、表現派風建築の代表的作品でした。2014年、再開発による保存のため、いわゆる腰巻ビルになっています。
日証館
竣工年:1928年(昭和3年) 設計:横河民輔。
震災後、渋沢栄一邸の跡地に建設されました。戦後、東京証券取引所が設立される昭和24年まで、日証館1階の事務所で集団取引が行われたそうです。
山二証券
このあと、東京証券取引所の前で川を渡り日本橋人形町の方へ歩きます。この一帯は空襲での焼失を免れて看板建築や町屋の街並みが残っています。
続きは「日本橋の近代レトロ建築を巡る その2」をご覧ください。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-06日本橋から小伝馬町を歩く」、更に詳しくはテーマ別「Th-07今に残る近代レトロ建築」を基に街歩きをしています。記事の内容以外にも街歩き検証はまだですが、All in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。
またinstagramでも「近代レトロ建築」を発信していますので、訪問してみてください。