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クリスピードーナツを食べるという夢を叶える

 大学生の頃、友人4人と一緒に一度だけ東京に行ったことがある。夜行バスで東京ディズニーランドに行って一泊して、渋谷と新宿に行った。

東京はやっぱり違う。さすが日本の首都だ。

目の前のいるハチ公は思ったよりも大きかったし、普通に歩いているだけなのに人とぶつかりそうになる。ティッシュは5束ぐらいまとめてオラオラなお兄さんに押し付けられるし、街中でカジュアルに撮影会みたいなものが行われているし、とにかくビルが、ビルが高い。終始首が痛くなるぐらい上を向いて、「ほえー」としか声がでないわたしたちは、田舎もの丸出しだった。


それでも行きたいと思っていたところがあって、それが当時できたばかりのクリスピー・クリーム・ドーナツだった。アメリカから初上陸して東京に第一号店ができたばかりで、メディアでも大きな話題になっていた。

迷いながらお店に着くと、もうすでにうねうねと大きな蛇みたいに行列ができている。なんと2時間30分待ち…!東京では日常がアトラクションなのか?その行列を見たとたん、「あ、こりゃ無理やなあ、電車の時間もあるし、帰ろうか」となり、ドーナツは食べられないまま旅は終わった。

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先日京都に行ったとき、そんなことを思い出しながら、初めてクリスピードーナツを買った。あれから10年以上経っている。今ではクリスピードーナツの店舗は珍しいものではなく、色々な場所で見かけるのに、今日の今日まで行こうと思ったことはなく素通りしていた。当時はあんなに行きたかったのになぜだろう。


ショーウィンドウに並べられた個性的なドーナツたちの前でしばし無言になり、かわいい店員のお姉さんとの間に沈黙ができる。今の時期はやはり芋栗系やハロウィンのデコレーションが多く、目を惹く。どれもかわいい。


結局1番プレーンっぽいの(オリジナル・グレーズド)を1つだけ買った。さんざん迷っておいてお姉さんには申し訳ないが、プレーンが1番そのお店を表しているような気がしたからだ。受け取った紙袋にはメッセージがつけられていた。


こころあたたまる いつもつけられているのかな


大学生だったわたしにこのドーナツを贈れたなら。あのとき食べ損ねたクリスピードーナツを贈れたら、今ならなんと言うだろう。

ドーナツを眺めながらふとそう思ったのは、多分この前聴いたラジオの影響が大きい。


その日は女性の僧侶の方がゲストだったのだが、「自分を変えたい」についての話だった。職業柄この悩み相談をよく受けるらしい。彼女はこう言った。


まず「自分って何だ?」ということなのですが、わたしは「自分」とはチョコレートドーナツの「穴」のようなものだ、と思っています。周りに集まってきたもので、自分が決まる。

もし自分を変えたいと思っているのであれば、自分の周りに集まっているもの。つまり、チョコレートドーナツのほうを変えないと、変われない。

ではどうしたら変えられるのか。

まずは知ること。わたしはわたしの周りにあるものでできている。わたしの周りは全てないともいえるが、全てあるともいえる。そのことを知ること。そして、そこに周波数を合わせる。合わせないとそばにあっても、いつまでも知ることのできないままだから。

そして、一歩一歩、焦らずに諦めずにこの日常生活を丁寧に過ごしていくこと。


ざっとこんなことをおっしゃっていた。

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「自分を変えたい」というときは、今の自分を強く否定しているときだ。周りはあんなものを持っているのに、自分は何も持っていない。今でもよくそう思うし、過去を全て塗り替えたくなるし、自分以外の人になりたくて仕方なくなる。

誰でも消したい過去というのがあると思うが、わたしの場合、それがそういった思いを強く抱えた大学時代にあたる。時々思い出しては「ああーあんなことしなきゃよかったな」とか「なんでああしなかったんだろう」とか、「あのときどうしてあんなことを言ったのかな」とか、後悔することも多い。

けれど、「あの過去のせい」ではなく、「あの過去」がチョコレートドーナツのほうとなっていて、今のわたしをつくっている。


そう考えると、今こうやってドーナツを食べていられるということは、たくさんの誰かの支えがあって生きてこれたということだし、その周りのチョコレートドーナツ側を否定するということは、自分を否定するだけではなく、支えてくれた周りをも否定することにつながってはこないだろうか。もちろん否定したい人はたくさんいるけれど、そうじゃない人はそれ以上にいるはずだ。

少なくとも、今のわたしは過去のわたしがあってこそ。

あんまりそんなに自分自身を否定しなくてもいいんじゃないかな。

だから、クリスピードーナツが今、美味しく食べられてるんだぜ。

そう自分に声をかけてあげたい、と思っている。

⭐︎

「自分を変えたい」と思わなくなったとき、それはまた違う自分になれたということなのだろうか。そして、それは自分が成長した、ということなのだろうか。

初めてドーナツを食べた感想は、ふわふわだった。本当にふわふわで甘い。まるいドーナツはツヤツヤで軽くて、きっと揚げたてはもう少しカリッとしているんだろうなあと思う。カフェインレスコーヒーと一緒にいただくと、なんだかそんなことを考えている自分がとても恥ずかしくなって、フッと鼻で笑ってしまった。



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ハナムラ  タケ子
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