可能性の幅を広げる。
昨日たまたま見ていたインスタのストーリーの中で
馴染みのカフェがよく投稿しているカレンダーのメッセージに
「不可能っていうのは、まだ出来ていないだけ」
というフレーズがあって
あー、そうね!確かにね!と思わず頷いてしまった。
そうなのだ。
なんでもそうだけど
不可能にしているのは「あくまで自分」
その問題なんていつも、自分が起こして、やっているだけなんだ。
でも自分に自信のない人はそれを直ぐに問題にしちゃうのだ。
おかしな話に聞こえるかもだけど
私もそんなことがあった。
自分にそうやって
何か設定をつけることで
「オプションが可哀想」になったとしても
「何かついていれば、(自分は)安心。」
「こうすれば(誰かに)見てもらえるかもしれない」
なんて、自分の中で空想して
自分が誰かに気づいてもらえるかも?と思われる術(すべ)を
常に模索する。
模索、というか……
常に見張っているという方が正しいのかもしれない。
相手の反応を常に見てるのだ。
気持ち悪いぐらいに。
多分
いい子ちゃん時代が長かった人は
そんなことがあるかもしれないなぁと思いつつ
そこまで熱心にやっているのは、過去の自分だけかもしれんなぁと思いつつ(笑)
これを書いているのですが…
私たちはそうやって
どこかで自分を「こうだ」と、どこかしらのタイミングで勝手に決めて動いて
無意識の中で、何かしらを自分で自分を勝手に制限し
たとえばそれが
薄々は「やっちゃいかん」って分かっていても
ついついやってしまう。
だけど
先ほどもぼやいたように
人生においての
物事は常にシンプルなのだ。
私たちがそこに
色々、手を加えたり、色をつけたり、物を立てたりして
複雑にしているだけで落ち着いてみたら
実は根っこにあるのは
ただのシンプルに何も入っていない
『小さな箱みたいなもの』だったりするのだ。
だから
「不可能」なんて本当はないのだ。
ただ「自分が出来ないって思ってるだけ」
私は、そう考えてる。
だけど
生きていく中で複雑に絡んだものが
私たちをシンプルにさせてくれんだけなのだ。
だから
私たちは
その糸を少しずつ解いて
私たちの見る目をシンプルに「小さな箱」だけ見れるように
毎日少しずつ、解いていっている。
それが
いま私たちが生きている
「人生」なのかなぁってなんとなく思ったよ。