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余白の時間て、ありがとさんをする時間だと思うの。

最近、
「余白(余白)」を取ろう、みたいなのを
そこかしこでよく見かけるたびに

私は昔、映画館で働いていた時間を思い出す。


その時は
「余白」なんてものはあまりなくて。
新人の私は覚えることに何もない時間を費やして
館内の案内放送が始まったら
その時点で、やれチケットをもぎったり、トラブルの対処したり、
始まったら始まったで定期的に館内チェック行ったり
終わったらゴミの受け取り、清掃、また案内…、
空いたら、覚える時間へ。


とまぁ、とにかく
ほとんどのことが5分刻みで起きるような
作業がめちゃくちゃ激しいとこに、昔私はいたことがある。


休憩してるなぁって
「余白」を感じられたのって
もはやトイレの時間とか昼だけじゃないかなぁ?


何もしてない時間がとにかく平和だと感じたあの時代。


ただそんな休みの時間ですらも周りは常に何かしらの愚痴オンパレード。
だから昼も心休み、ってならんかったのがその頃。


休まる余裕と余白の時間とは、一体いつを指すんだろう??


と思う回数が増えた頃にはもう限界で。


私は自分のペースが合わなくて
腰を痛めて仕事を辞めた。


だってさぁ。
あまりにも私にはその世界が早すぎたから。


そして今思うと、あの空間には
私にとっての余白があまりにも足りなかったから。


だから
楽な場所への異動を提案されても
「無理です、やれません(心が)」と、とにかく断った。



仕方ないね。
しょうがないね。
苦笑いで見送られたあの頃。


もうね。
仕事に関しては
合わないととにかく、私は続かないのよ私。


周りのいう
「やるなら3ヶ月は続けてみたら?」も
いつも、自分のペースと合わないと色々なものがすぐ冷めてしまって
とにかくそこを離れたがる節がいつもある。



多分。
そうなっちゃうのも、今感じるのは

自分がいる世界に一個でも「安らぎ」みたいなのがないと
私の心が嫌がるからなんだろうなぁ、って今は思う。


そんなん
無ければどこでやってもいっしょだろうよとか
ワガママねぇ、と思われるかもだが



私にはこのペースを大事にしつつ、休みも「静かな余白」がある方が
いつも、常に、【めちゃくちゃ楽しい】をキープ出来るのだ。


それが出来たのは
まぁ今思うとおかしな話だけど
その腰痛をやった痛みで気づけたおかげだったりするのだ。


痛めたことで、私は一旦ストップして休めて
止まることで周りにも助けられて動けているのだと気づけたし
せこせこ動いていた時代も振り返れば


私の体が、私を常に支えてくれてたからなのだ。



急いでる時も、走れる足があったから。
荷物が多くても、それを支える手があったから。
考える時もそれを思考する頭があったから。
やすみたーい、ってなったときも、横になれる体があったから。



だから
そういう経験をしてから私にとっての余白の時間は
「静かで、無の時間」


そいでもって
「ありがとさん」って、あることのぜんぶに感謝する時間になった。




瞑想の時間にもとてもよく似ているけれど
「作らなきゃ!」で作るもんじゃなくて。
感じて、浸って、色々思う時間っていう方が私は強いかも知れない。


まぁ、いちばんは
「ありがとさん」ってする気持ちが強いけどもね。


だから
「とらなきゃ!」
「とろう!」ってしている人を見るたびに私は


「じゃぁ、全部止めたらいい」と思うのだ。


余白の時間は
私には自分にやさしいゆとり時間。


自分にありがとうが取れない、とりたーい!
なら、素直にとったらいいんだよ。


形式染みてなくていい。
へたでもいい。
ただ、やったらいい。


そんだけだ。






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