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とんでもない奇襲ルート:「長篠の戦い」を地形・地質的観点で見るpart3【合戦場の地形&地質vol.6-3】

日本の歴史上の「戦い」を地形・地質的観点で見るシリーズ「合戦上の地形&地質」。
長篠の戦いは日本の歴史上、初めて鉄砲を組織的に運用した戦(いくさ)としても有名です。
前回は武田軍の長篠城包囲時の布陣と織田・徳川連合軍の布陣を確認しました。

今回は決戦に至るまでの「奇襲」のルートを検証します。


砦への奇襲作戦

長篠の戦いでのもう1つのイベントとして「長篠城を包囲する砦への奇襲」があります。
これは徳川家康の重臣である酒井忠次の献策と言われています。
信長は軍議の席では却下しますが、それは武田の諜報を恐れたからであり、軍議終了後すぐに家康・忠次を呼び戻し、作戦は実行されます。

ではこの砦奇襲作戦は、なぜ必要であり、どのようなものだったのか?
地形図を見てみましょう。

織田・徳川連合軍と武田軍の配置:スーパー地形画像に筆者一部加筆

連合軍との決戦を決断した武田勝頼は、上図のように連合軍の川を挟んだ対岸に布陣しました。
しかしもちろん、これまでの各陣、砦に最低限の兵は残し、長篠城の包囲は継続しています。

この状態で睨み合いが続けば、長篠城が落城する危険はもちろん残ります。
ただし一番大きいのは、武田軍の逃げ道が確保できているということでしょう。
もちろん連合軍の目の前に布陣してしまっている以上、ここから退却して無事では済まないとは思います。
しかし倍の兵力とは言え、武田も1万5千の大軍。連合軍も無傷では済まないわけです。おそらく織田は無理はしない。

そうなると困るのは徳川。
前回も話しましたが、この時点で徳川が動員できる兵力は8000ほどで、単独では武田に敵わない。
織田の援軍がいる今、確実に長篠城を奪還し、武田を叩きたい。

邪魔な砦群を潰せば長篠城を救え、かつ武田の背後をとれます。
退路を断たれた武田は前進して勝つしかない。

この2つが家康の狙いであり、だからこその忠次の献策だったのでしょう。

奇襲ルート

砦を攻撃すると言っても、相手は長篠城を見下ろせる高台にあります。
真正面から挑んだのでは勝ち目はありません。
また武田軍本体が連合軍と対峙している以上、大きな兵力を割くわけにもいかないため、砦の背後を突くために大きく迂回する必要がありました。

砦群がある山地はかなり広く、「背後」を取るためには、かなり回り込む必要があります。
いったい、どんなルートを行軍したのでしょうか?

長篠の戦い 砦奇襲ルート:スーパー地形画像に筆者一部加筆

上図の黄色線のようなルートです。色々なサイトを確認しましたが、明確に平面図に図示したものがなく、断片的な情報をつなぎ合わせ、「概ねこうだろう」と描いたものです。

砦がある北向き斜面は、その背後にも延々と続いており、稜線は約3kmも南にあります。
さらに山体は西南西-東北東方向に約6kmも幅広く連なっています。
武田軍本体から見つからないためにも、相当大きく迂回しています。

けっこう大変そうだな・・と思いきや、案外と多くの人々が、このルートを散策していました。
それらの情報をつなぎ合わせて図をつくったわけですが、何とその1人が同じnoteユーザーさんでした!

ぐこさんによれば、地元の小学生も歩いているとのことなので、そこまで厳しい道ではないようです。
しかし峠を越えるまでの谷沿いを登る道(上図赤丸)がなかなかに険しかったそうです。
しかもこの行軍は夜間に実施されており、かつ鎧等をいったん脱ぎ、担いで歩いたということで、そう考えるとかなり大変だったのではないか?とのこと。

長篠の戦い 砦奇襲ルート②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さきほどの図の赤丸の当たりを拡大しました。
確かに尾根に達するまでの地形はかなり急傾斜です。

長篠の戦い 砦奇襲ルートの地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

地形に着目していただきたいので、場所を示すものは鳶ヶ巣山砦だけにしました。
奇襲の舞台となるこの山体一帯は、主に西南西-東北東方向に主要な稜線(上図赤点線)が発達し、その稜線を挟んだ北と南で傾斜が全く違います。

南側が急で、北側が緩やか。
しかも北側斜面は侵食が進んでいて谷が発達し、尾根は欠損しているところもあります。
つまり尾根まで登っても稜線がはっきりしない場所もあり、方向を間違えやすい場所が複数あります。
また斜面内には案外と人が住んでおり、いくつもの集落があります。
おそらく当時も道は縦横無尽にあり、夜間だったことも併せて考えれば、土地勘に優れていないと行軍は無理でしょう。

広い山体を迂回し、急傾斜を登って峠を越え、複雑な山道を行軍する
さすがの武田軍も、ここまでするとは思わなかったのではないでしょうか?
だからこその奇襲であり、こんな地形だからこそ成功したのではないでしょうか。

ではこの山地の地形、どのようにしてで来たのでしょう?

次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。

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