壁上の要害:岐阜城の地形と地質part2【お城と地形&地質 其の八-2】
戦国時代の「城」は、様々な理由でそこに建っています。
戦国時代当初、斎藤氏の居城だった稲葉山城は、信長領になって岐阜城と改名されました。
広い濃尾平野を見下ろせる立地にあり、そこから見える風景はまさに「天下」を意識するものだったのでしょう。
前回記事はコチラ👇
岐阜城の地質
急峻な山地の上に建つ岐阜城。
この要害を構成する地質は何でしょうか?
なんと山地全体がチャートでした。
確かにチャートはかなり硬い岩石で、ハンマーで叩くと火花が散るほど。
ただもうちょっと詳しく知りたいので別の地質図を見ましょう。
5万分の1地質図でもほぼ全体がチャート(オレンジ色)で、真ん中に青い地層が挟まっています。これは砥石型珪質粘土岩と呼ばれており、プランクトンの珪質の殻と粘土粒子が混ざってできた岩石です。
この青の地層は多少は波打っていますが、概ね直線状です。
地質図で地層がほぼ直線状に分布している場合は、その地層が垂直に近い構造と言うことを示しています。
図にはいくつもの記号と数字が描かれていますが、これは層理面(地層の面)の方向を示しており、数字は傾斜角度です。
上図では傾斜角度は60~80度と急傾斜ですよね。
また数字がなく+の片方の線だけ長いような記号がありますが、これは層理面が垂直であることを示しています。
つまり、この山地の地質構造はほぼ垂直に近いと言えます。
上の図は金華山のすぐ東付近を通る断面図です(地質図②の青線)。
断面図の左の青枠の範囲が上の地質図②の範囲です。
この断面図そのものは金華山の東の場所の断面を表していますが、青枠の範囲は金華山と同層準です。
したがって青枠内の右の山を金華山と同じと考えて良いでしょう。
図のように、大局的には70~80度北に傾斜した地質構造です。
この山をつくっているチャートは青と黄色に挟まった層で、図では1枚に見えますが、実際には何枚も重なっています。
写真のように1枚数cm~数10cmのチャートがいくつも束ねられたような状態になっています。まさに「壁」ですよね。
これが岐阜城が建つ金華山をつくってると思うと、あれだけ急峻な山になるのも頷けます。
岐阜城の遠景写真を見ると、金華山のあちこちに岩肌がむき出しになった絶壁が見られます。
こんな地形では、整備された道以外の場所を歩いた場合、滑落の危険があります。
まさに「壁上の要害」ですよね。
岐阜城に水はあったのか?
地形的障壁に守られる山城には共通の弱点があります。
それは「水」です。
いくら堅牢な城でも人がいなくては意味がありません。
そして人は水なしでは生きられません。
都市部に暮らす私たちにはピンと来ないかも知れませんが、山頂部付近は基本的に水はありません。
ましてや金華山のような単独峰は、周囲が急斜面に囲まれているため、雨水が浸透してもすぐに斜面の途中から流出してしまいます。
金華山はチャートでできている山であり、上述のようにチャートの層理面(上図黒線と黒点線))は概ね70~80度北に傾斜(図の左が北)しています。
チャートは緻密な岩石であり、割れ目が無い限り水は浸透しません。
割れ目の起源は、基本的には層理面や節理面です。
これらの面は、植物根の侵入や地震、重力の作用などによって開きます。
上図のように一般的に、層理面(黒点線)の主に地表付近が開口(太い黒線)しており、そこに浸透した水は、横方向の節理を通って地表に湧出すると考えられます。
おそらく金華山の水の流れはこのように想定されます。
地形的特徴から上図のように湧水点(青丸)を想定しました。
これらの大部分は山頂部付近に集中していますよね。
つまり金華山に降った雨水は、山に浸透しても頂上付近ですぐに湧出してしまうことを示しています。
このことから、金華山に井戸は無かったと考えられます。
おそらく、雨水を溜めるタンクを設置していたか、長良川や沢から汲み上げていたのでしょう。
大名の館が城とは別に山麓にあったのは、このような理由もありそうです。
なお「岐阜城 井戸」で検索したところ、一応井戸はあったようですが、地下水を汲み上げるものではなく、雨水を溜めるものでした。
チャートの壁上に建つ堅牢な岐阜城ですが、やはり「水」が弱点だったようです。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。
引用・参考文献
吉田史郎・脇田浩二(1999)岐阜地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,71P.