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明智光秀逃避行ルートの地形・地質part1【歴史と地質:其の1】

都道府県シリーズで福井県、岐阜県がいったん終わったところで「明智光秀の逃避行ルート」を見ていきたいと思い立ちました。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ大詰めと言うところで、振り返りも兼ねて一緒に見ていきましょう。
何回かに分けてお話しします。

前提条件

歴史研究者の中では明智光秀の前半生は謎というのが定説のようですね。
はっきりと存在が確証されているのは将軍・足利義昭の家臣の時に、織田信長と関わるようになってからと言われているようです。

それですとこのテーマそのものが成り立ちませんので、ここでは大河ドラマと同様に、斎藤道三の家臣で長良川の戦いで敗れて落ちのびたという話で進めていきます。
また逃げる時は「越前美濃街道」を通ったと言い伝えられているようですので、それに従います。
越前美濃街道のルートについては以下サイトを参考にしました。


長良川の戦いの舞台は?

まず事の発端である長良川の戦いの場所を見ていきましょう。

稲葉山城位置

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

戦いの舞台は稲葉山城(いなばやまじょう:現在は岐阜城)の近くの長良川(ながらがわ)です。図の青線が長良川で赤丸が稲葉山城です。
稲葉山城は現在の岐阜県岐阜市の金華山(きんかざん:当時は稲葉山)の頂上にありました。

長良川の戦い_位置関係

斎藤道三は現在の岐阜県山県市(やまがたし)の大桑城で軍を整え、鶴山に布陣したそうです。(※大桑城の位置はのちほど)
なるほど!こうして見ると、鶴山から稲葉山城の様子が見えますね。逆も然りですが(;^_^A

ちなみに赤丸は鷺山(さぎやま)です。
前回、帰蝶様が信長から離れて鷺山に住むと言っていましたね。それがおそらく、これだろうと思います。
拡大してみるとお寺が2つありましたので、そのどちらかに住むのでしょう。落ち着いたら、そこで光秀とお茶を飲むのでしょうかね。
秀吉から何とか逃げ切り、そんなラストだったら良いな~と個人的には思っています。

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ちなみにこれが鶴山(真ん中手前)から見た稲葉山(真ん中上)です。
なかなかに険しそうな山ですよね。

画像4

近づくとこんな感じです。やはり険しい山ですよね。
稲葉山城はこの山のてっぺんにあります。攻めるのは大変ですよね。

そして手前が長良川。広い川原が何か所かあります。
おそらく、このあたりが戦いの舞台になったのでしょう。


稲葉山の地質は?

はい!せっかく私がお話しするんですから、当然こうなります(笑)
見てみましょう!

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真ん中南の山が稲葉山、北の小さい山が鶴山です。どちらも茶色ですね。
この地質は古生代石炭紀中期からジュラ紀中期(約3億3千万年~1億7千万年前)に深海で堆積したチャートです。
チャートはプランクトンの殻(珪質)でできた岩石で、非常に硬いです。カチンコチンで、ハンマーで叩くと火花が散るほど。
そりゃ、険しい山になりますよね。納得です。

そして鷺山は黄色ですが、これはチャートより少し新しい時代の砂岩です。
古い地質なので硬めですがチャートほどではないので低い山なのでしょう。


勢力関係と越前美濃街道

街道を通って逃げたと言うことですが、本当でしょうかね?
だって街道と言うからには誰もが知っている道ですよね。
そんなところを通ったら、敵である斎藤義龍(当時は高政)に捕まってしまうでしょう。

そこで斎藤義龍の勢力の位置関係を確認してみました。

各城位置関係

当時の勢力図は分かりませんが、親子で戦って家臣団も分裂してますから、多少混乱はあったと思います。
少なくとも義龍と配下の有力武将である美濃三人衆の居城とその周辺部には影響力を持っていたと考えました。

美濃三人衆の居城は以下の通りです。

・氏家卜全(ぼくぜん)(氏家直元)→大垣城
・稲葉一鉄
(稲葉良通)→曽根城
・安藤守就
(もりなり)→北方城(きたがたじょう)

つまりこれに稲葉山城を加えた範囲が危険ゾーンです。

斎藤道三が大桑城に逃げたことからも、北方への影響力は弱そうです。
明智城は現在の可児市で東の方。
越前美濃街道(図の赤線)の起点はその近くですし、戦場から明智城まで逃げられれば、あとは何とかなりそうですね。

越前美濃街道all地理院

そして越前美濃街道の全容はこんな感じです!!

これはだいぶ長く険しい旅路です。
果たして光秀の行く手に立ちはだかった地形・地質はどんな感じだったのか?次回に続きます!

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