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「自分軸」とは風の時代が来たくらいで揺れたりしないもののこと

第71代内閣総理大臣をつとめた中曽根康弘氏はかつて「政界の風見鶏」とやゆされていた。党内の風向きにあわせてあっちについたりこっちについたり、ぱたぱたと変節していくすがたが風見鶏のようだとあざけられた。

しかしトップの画像を見てもらえばわかるけど、風見鶏はたんに風にゆれているのではない。不動の軸を中心に回転している。中曽根さんにもおそらく憲法改正という軸があり、そこへ達するための手段としてあっちについたりこっちについたりクルクルと風を読んでいたのだろう。時代の風向きに応じて変わったりしないものが軸なのである。

いまスピ系で「風の時代だから自分軸を確立しよう」というスローガンが流行っているそうだが、以上の考察からすれば、この考え方自体が破綻しているのは明らかだ。

ほんとうに自分軸を持っている人がいるなら、その人は風の時代が来たくらいでオタオタしない。「時代が変わったから軸をもとう」という発想自体に軸がないのである。

ぼくの知人に「西洋占星術は東洋には当てはまらない」と言い切り、風の時代など無視して未来予測に励んでいる人がいる。自分軸を持っているのはこういう人である。

スピ系の指導者にほんとうに良心というものがあるのなら・・

風の時代なんか無視しろ!

というはずだ。そうやってフォロワーを突き放すことで依存しないこころが生まれ、それが結果的に変動の時代を生き抜く自分軸の確立につながるのである。

つまり自分軸を持とうなどと言っている人には軸がなく、そんなものを無視している人には自分軸があるわけで、この世はパラドクスに満ちている。

「世の中が流動的になってきたので依存心を捨てましょう」と言えばいいだけのことなのだが、それでは儲けにならない。そもそも占いやサイキックのところに行っている人は依存心が強いわけだが、そういう人が自分軸を確立してしまったらスピ系はもうからない。だから今度は「風の時代」というキャッチーなフレーズに依存させるわけである。

もちろん、ずーっと西洋占星術一本でやって来た人もいる。そういう人は西洋占星術を自分軸として「風の時代」を大いに語ればいい。

しかしスピ系はそのときの都合で
ノストラダムスを拝借したり
マヤカレンダーを拝借したり
日月神事を拝借したり
縄文文化を拝借したり
している。


今度は西洋占星術かよ!って感じなのである。「近いうちに激変が起こる!狼が来る!」と主張するためならなんでも拝借する。まるで、インドヨーガ、チベット密教、キリスト教、神智学などから都合のいいところだけを拝借したオウムの教義そっくりだ。業界全体に軸がなく、依存ビジネスだけがある。

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