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今ごろ77年前の事件にショックを受けている

NHKのETV特集「久米島の戦争〜なぜ住民は殺されたのか〜」というのを、みて、ショックを受けている

今年の8月20日に放映されたもので、ぼくも今頃になってこんな風に肩入れして番組を語っているが、8月20日に録画したままで今日まで見ていなかった。今日なって見たのは、年末にハードディスクを大掃除しようと思っただけのことだ。

風化しつつある戦争の記憶

NHKでは、毎年終戦記念日が近づくといろいろな戦争特集があるが、戦後77年もたつと、なかなか新しい材料は出てこず、番組はあるていど出尽くしている感じがある。

悲惨な出来事は決して忘れてはいけないものだが、1次資料としては現場にいた人の証言にまさるものはなく、そして、そういう人たちはだんだんとお亡くなりになるのだから、今になって新しい証言が出てくることもほとんどない。

全部をみているわけではないので、えらそうなことは言えないけど「戦争体験を伝えようと活動する若者」であるとか、「CGを使って再現した当時の様子」であるとか、「戦争体験者がウクライナに感じること」であるとか、すでに見たことのある素材を新しい切り口で見せる感じのものが多くなってくるのは、仕方ないだろう。

封印された記憶

そういう中にあって、この「久米島の戦争〜なぜ住民は殺されたのか〜」は、閉じかけていた傷口をむりやり開いたような生々しい番組で、長く残るものではないだろうか。

太平洋戦争末期の1945年6~8月、沖縄の久米島で日本軍が住民計20人をスパイとみなして次々と殺害する事件が起きた。これまで住民の多くが事件について沈黙を守ってきたが、去年発刊された「久米島町史」には、悲劇を風化させてはいけないと重い口を開いた住民の証言が多数収録され、事件の複雑な背景が明らかになりつつある。なぜ住民は殺されたのか。米軍資料や新たに見つかった日本兵の日誌も分析、事件の深層に迫る。

まだ生き証人が多く残っており、これまで封印して語らなかった出来事を改めて語ってくれた人もいて、そういう生々しさの中で、恥ずかしい話、ぼくは途中から番組のおしまいのほうは泣きながら見ていた。

事件の概要をまとめると、沖縄の久米島では8月15日の敗戦後も、例の横井庄一さんみたいな感じで、30数名の日本軍がたてこもっていたのである。

その日本軍からスパイ扱いされて「処刑」された島民が20数名おり、中でも8月20日に10歳、7歳、5歳、2歳、生後数か月の赤ん坊を含む谷川一家7人が処刑されているんだけど、その一部始終を目撃していた男性が、昨年のようやく口を開いてくれた。

夫婦とともに4人の子どもが日本刀で切り殺される様子も生々しいが、それを長年語らず封印していた気持ちも、わずかながらぼくにもわかる。一種のPTSDなのではないか。

戦争と病気を一緒にしてはいけないのだが、ぼくは母親が亡くなるまでにいろいろと自分だけが目撃したり、自分だけに語られたり、自分一人で抱え込んだりしていることが多くあり、ふだんは思い出さないのだが、傷がいえたわけではなく、封印してなんとかやっている感じである。

そしてアメリカの「ER」みたいなドラマを一切見ると、その封印が解けそうになってややパニックになるので、いまでもそういうものを見ることができない。

ERは、もともと割と好きでDVDを持っていたんだけど、母の死後数年後に見ようとして気分が悪くなり、その後10年経ってもやはり見ることができず、ムリに見ようとすると気分が悪くなる。

普段は机の下の棚に並べているので視線にふれることはないが、今日なぜか「久米島」を見る直前に机から乾電池を落として拾おうとしてひさしぶりに表紙を見て少々気分が悪くなっていたところだった。

そういうこともあるので、封印している記憶を語るのがどれほど大変なことなのかは想像がつく。

今も続くもの

さらに、事件にかかわった軍人の1人はすでに亡くなっているのだが、その娘さんが生きていて、取材班が彼女に事実を知らせに行った様子も記録されていて、その様子も生々しい。

まずは憤りだ。「いくら上官の命令とはいえ、よくも幼い子供を手にかけたものだ」という、父親に対するいきどおり。

しかしそれを隠し通して死んでいった辛さに対する「つらかっただろうね」という娘としての思いと、そして遺族への申し訳なさ。それらがないまぜになってみていられない。

さらに、処刑された一家は名前のついていなかった赤ん坊も含めて沖縄の慰霊碑に名前が刻まれれているのだが、その奥さんの姪にあたる人が見つかり、彼女たちがはじめてその名前に線香をあげに行くようすまで映っていた。もちろんマスク着用で、コロナ後の現在の話である。

単純な話ではない

ただし、「残虐な日本軍に罪もない沖縄の人がころされた」という図式とは異なる。疑心暗鬼になった日本軍から身を守るために、保身の意味であえて密告をする村民もいたそうだ。

谷川一家は旦那さんが朝鮮出身者だったので、それをよく思わない村人もおり、保身のために根も葉もないスパイ容疑をでっちあげて日本軍に密告したらしいのである。

一見「ゆいまーる」でみんなが助け合う村民の中にも、そういう人がいたということで、その手合いの連中は、久米島だけでなく、日本中にいまもたくさんいる。

一方、たてこもっている日本兵の中にもまともな人はおり、上官の命令に従わない人もいて、かれらも処刑されている。

また、上陸した米軍はすでに戦争は終わったと思っているので、たてこもっている少数の日本兵を無理に攻めおとすこともせず傍観しており、日本軍と村人との間で陰惨なことが起こっていることに気づくのが遅れた。

そういういろんなことがあって、こうなってしまった。

「処刑」された一家の旦那さんははたらきものでみんなに好かれていたのだそうで、奥さんは、娘が風邪をひいたので生卵と引き換えに風邪薬をもらおうと思って米軍にいっただけだったそうだ。

とはいえ、上にも書いたが、ぼく自身、ハードディスクを大掃除しようと思ってたまたま見ただけだ。NHKをもってしても事実というのはこれほどに伝わらない。見終わってから考えなく消去してしまったが、深夜になって衝撃が戻ってきて、消したことを悔やんでいる。

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