この国ならではのパターン
近日配信予定
先日のnoteで、高城剛監督・脚本・撮影の『ガヨとカルマンテスの日々』というのを映画を紹介した。
すでに劇場公開は終了しているが、「そのうちストリーミング配信されるんじゃないか」と書いたんだけど、
なのだそうだ。そこで、まずは、この作品について
ちょっと補足
して、それから日本全般のことを書きたい。ただし、補足と言ってもぼくは熱心な高城剛信者はないので、ちょっと誤解しているかもしれない。
さて、この作品は、「新自由主義と民主社会主義の衝突を描いた未来を予見する作品」なのだそうで、タイトルの「ガヨ」とはスペイン語で闘鶏という意味で、カルマンテスとは精神安定剤のことだそうだ(ただし、いまDeepLで調べたところでは、ガヨは「おんどり」)。
"カルマ"ンテスの"カルマ"はおそらく英語のCalm(カーム:鎮静)と同語源で「カームさせるもの」つまり、トランキライザーということだろう。
つまり、「闘鶏と精神安定剤の日々」なのである。
その意味するところを、誤解を恐れずに深読みするなら、おそらくガヨ「闘鶏」が競技スポーツや競争社会や金融資本主義全般の暗喩になっており、つまり新自由主義を表している。
一方のカルマンテス=精神安定剤は、砂糖に象徴されるジャンクフード全般を意味し、さらには人をマヒさせる管理統制型社会のドラッグ的な性質の暗喩になっていると思われる。
この解釈で合っているとすれば、このタイトルは現代社会の在り方を
と言っているということで、そしてその先を予見している。
こないだも書いたように、けっしてミニシアターで上映されるタイプの「粋な作品」ではないが、近未来の世界に興味のある人は見ても損はないと思います。
この国ならではのパターン
ぼく自身はプロ野球も見るし、甘いものも食べるので、ガヨにもカルマンテスにもお世話になっている。
でもいま大騒ぎになっているサッカーには少し距離を置いている。というかアジア予選も含めて試合をまったく見ていないんだけど、斜に構えているわけではなくて、いろいろやりたいことが多くて、サッカーまで手が回らなかった。
なので、試合自体にはなんにも言う資格はないのだが、それを取り巻く報道を見ていて、ちょっとおもしろいことに気づいた。
今回のワールドカップでの注目の集め方には、この国が「国際社会で存在感を増す場合によくあるパターン」が見られると思える。
外国のメディアが今大会の日本代表を描写する際には、かならずといっていいほどロシアワールドカップのベルギー戦を引き合いに出す。あのときの世界の驚きといまの世界の驚きとを、点と点をつなぐようにしてつなぎ、その「線」から連想されるイメージで日本サッカーをとらえようとしている。
つまり、ロシアで強豪ベルギーから2点取った驚きと、そのあとに3点取られたときの落差。
そして今回、ドイツに勝ったにもかかわらずそのあとコスタリカに負けた驚きと、その後、スペインを破った時の落差。このジェットコースター的なイメージが日本サッカーの世界的なイメージになりつつあると感じられる。
サッカーだけではなく
日本人が世界に食い込んでいくときには、だいたいこういうパターンが多いのだ。たとえば、
・チョンマゲから日露戦争へむかう落差。
・そこから真珠湾へ向かうおどろきと、カミカゼの落差。
・日米貿易摩擦の勢いと、その後の先の見えない停滞ぶり。
最近では、利権まみれの五輪が内部崩壊しそうになったていたらくぶりと、それを唯々諾々と受け入れる国民の落差もあった。
よくもわるくも予想を裏切り、ちぐはぐな存在感を強めていくのがこの国のいつものパターンであり、少なくともアメリカが、日本のことをクロアチア代表監督のような目で見ているのはまちがいない。つまり
というかんじだ。
この国がこの国であり続ける限り、このパターンは繰り返されるのだろうし、ぼくも、そういう国の一員として生まれ育った以上、試合を見る見ないにかかわらず、世界に向かう際には、このちぐはぐな感じをイメージして力を出せばいいのだと感じる。