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小沢君は大沢家に生まれたかったのだろうか

ぼくの故郷、愛媛県には大王製紙という大手製紙メーカーがある。かつて大王製紙と言えばエリエールだったのだが、いま大王製紙でググろうとすると「大王製紙 社長」、「大王製紙 カジノ」、「大王製紙、井川」なとがずらっと出てくるようになった。

まあそれは置いておくとして、大手製紙メーカーでは他にも王子製紙というのが有名だ。たしかアイスホッケー部などもあり、こちらの方が創業は古い。

ちなみに王子製紙は、ハンカチ王子やはにかみ王子のような意味合いで王子を名乗っているのではない。ぼくが言うまでもなく大方の人が予測しているとは思うけど、八幡製鉄所が八幡にあり、富岡製糸場が富岡にあったように、王子というところに工場があったから王子製紙になっただけである。ためしにググってみると、北海道苫小牧市王子2丁目で創業したとウィキペディアに書いてあるのでまちがいない。

一方、愛媛県には「大王」などという土地はないのである。

ということはなぜ大王製紙が大王を名乗っているかというと、たぶん王子(プリンス)よりも大王(キング)のほうがエライという発想で命名したのではないだろうか。

決して故郷の大メーカーを悪く言うつもりはないのだが、この推測はかぎりなく当たっている気がする。

そして、王子に対して大王でマウントポジションを取ろうという社名のつけ方は実にアグレッシブというか、なりふり構わない成り上がり精神がむき出しというか、すがすがしさは感じつつも、品がいいとは思わない。

一方、王子二丁目に工場を立てたから王子製紙になったというのはナチュラルというかプレーンというか、ほどよく肩の力が抜けていていイイ感じだ。

このことに気づいてからは、なんとなく「大王」というのがはずかしいような気持が芽生えた。

そうやって意識してみるとこの手のマウントポジションは他にもいろいろとあることに気づく。

たとえばセメダイン株式会社である。子どもの頃ガンプラなどを作る時にはかならずお世話になった接着剤メーカーだ。

ぼくはもともと「セメ」はセメント(接着剤)という意味で、ダインは物理単位のダイン(dyne)からきているのだと思っていた。しかし調べてみると、その意味もあるけどもう一つの意味もあるそうだ。英国に老舗の接着剤メーカー「ダイン社」というのがあって、そのダイン社を責めるという意味で「責めダイン」なのだというじつに大王製紙的な精神がこめられていたことがわかった。

さて、話は変わるがじつはぼくは「K福のK学」ウォッチャーである。別に信者ではないんだけどおもしろいので目が離せない。「空海の霊言」や「キリストの霊言」とならんで「イチローの守護霊の霊言」とか「木村拓哉の守護霊の霊言」とか「宮崎駿の守護霊の霊言」とか、現役バリバリの人の霊言を出してくるので目が離せない。

ただし、べつにバカにしているわけではなくなかなかすごいと思っているので、万一この記事が信者の方の目に留まったとしても誤解しないでください。攻撃してこないでください。どうか世界平和優先でお願いいたします。

でもエゴサーチされた場合に備えて念のためKK教と呼ぶことにする。ただし「KK対決」の清原さんと桑田さんが入っていたのはPL教であり、ぼくが言っているKK教ではないという点だけ念を押しておこう。

最近、KK教でおもしろかったと言えば、警察庁狙撃事件の顛末が挙げられるだろう。

1995年3月に当時日本の警察庁長官だった國松孝次氏が何者かに狙撃されて重傷を負った事件で、当時はオウム真理教の犯行だと断定されていた。しかし、いまではオウムとは全く無関係の単独犯だったことが明らかになっている。

ただし、麻原元死刑囚執行の日の午後に、KK教は早くも「麻原の霊言」というのを敢行しており、この狙撃事件についても麻原氏自身の霊言が発表されているのだ。

ぼくも当然ながらその霊言を読んだわけだが、O川総裁に憑依した麻原彰晃は「警察庁狙撃事件は、警察に一矢報いてやったのだ」と言っていた。しかし、あんたらとは無関係の単独犯だということはすでにわかってるんだよね。

守護霊を下すときにはまえもって十分なリサーチが必要だということがよくわかるのである。

くりかえすが、KK教はなかなか実行力のある教団だし、危ないところもないし、霊言はおもしろいし、ぼくは平和なウォッチャーにすぎないので、万一この記事が信者の方の目に留まったとしても決して攻撃してこないようにお願いします。

さてそのO川総裁であるが、ぼくの調べではもともと中川隆という名前だと聞いている。しかし世界宗教を目指す以上、中くらいの川では不十分であり、大きなリバーでなければならないという気持ちで改名したらしい。

この点、目指すところがかなり雄大というか、大王製紙やセメダインに通じる雄大な精神を感じるのである。

それにしても、全国の中川さんは自分がO川さんより劣っていると思っているのだろうか。そして全国の小川さんは自分が中川さんに劣っていると思っているのだろうか。

たとえば小澤征爾さんは、どうせなら小沢ではなく〇沢に生まれたかったなどと思ったことがあるのだろうか。たぶんそんなことは考えたこともなく、音楽に専心して「世界の小沢」になったような気がするんだけどどうなんだろう。

というわけなので、中川では不十分だ、ビッグなリバーでなければダメだと感じた総裁に対しては「よくそんなことを思いついたもんだよ。一種の発明だよ」という気持ちを感じずにはいられない。

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