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「ゼロイチ思考」の若者について考えてみた

先日、親しい人たちとZOOMをやっていたときのこと。今の若い人にゼロイチ思考が多いという話になった。たとえば、「お金が苦しい」->「体を売ろう」という風にかんたんにパパ活にいってしまうらしいのである。あるいは、かんたんにホームレスになってしまうのだそうだ。

なぜなのだろうという話になって、「ぼくらの世代の教育がまちがっていたのではないか」ということをぼくは言った。すると、ほかの人から「いや、じつはその下のいわゆるゆとり世代のこどもたち世代にそういう傾向が強いのだ」という意見が出た。

しかし、モラルだけでは片付かないという意見もあった。これまでなら「お金が苦しい」->「キャバクラで働こう」->「風俗で働こう」というふうにステップがあり、最後の最後に「体を売ろう」になったのだけど、コロナ禍でそのグラデーションがなくなってしまい、「お金がない」から即「体を売ろう」にならざるを得ないのだという。

しかし今日おもしろいネット記事を読んだのである。投資家・作家の山本一郎氏のアパート経営に関するエッセイだ。山本氏は都内でワンルームを経営しているそうなのだが、かれのアパートには他に行く場所がなくなったような人が多いのだという。コロナ禍で悲喜こもごもあるそうだ。

いろんな住人の話が出てくるんだけど、なかでも「コロナで文無しになった若いプログラマーの場合」という章が印象に残った。このプログラマーがまさにゼロイチ思考なのである。

「コロナで仕事がなくなったので苦しい」と言うので、それはどうしようもないねという話をします。カネなら貸さないぞ。

 でも、2カ月ぐらいまでなら滞納も仕方ないねと言おうとしたら、彼は「とっくに貯金も尽きました。もう千円もカネがないのに住んでいるのも申し訳ないので、すぐに退去します」と蚊の鳴くより小さな声で伝えてきました。

 待った待った待った待った待った待った。お前、カネがないのに今退去ってどこに退去するんだよ。律義すぎるだろ。普通、すいません払えないので待ってくださいとか、カネがないので貸してくださいとかだろ。何で一足飛びに退去なんだよ。

ふつうは売り言葉に買い言葉というか、なんだかんだと交渉したあげくに落ち着くところに落ち着くものだ。それが人情ってものである。こちらも鬼じゃないんだからね。山本氏もそう思ったから「カネなら貸さないぞ」とまずジャブを打っているわけである。しかし「すぐ退去します」とジャブであっさりダウンされてぎゃくに慌てている。

大急ぎで家を出て、本人の部屋に行くと(中略)私を見て、彼は「取り立てですよね。いまから消費者金融に行って、何とかお金を借りてきます」と囁くように言いました。

 いや、そうじゃなくて・・・ 物事には順番とか段取りとかあるだろうよ。なんでそう、結論を急ぐんだよ。真面目か。

けっきょく、見るに見かねた山本氏がこの若者を市役所に連れて行って家賃補助の申請をする。そして、「ここで一緒に私と生活を立て直そう。よほど贅沢しない限り、プログラマーならすぐに次は見つかる。再就職先があまりにもブラックだったら相談してくれ」とまで言い、「これで美味いものでも喰う足しにしてくれ」と五千円札を渡して別れる。さっきまで「カネなら貸さないぞ」といっていたくせに。

こういう例を見ているとゼロイチ思考はやはりモラルの問題だと思えるのである。。クルマのハンドルに遊びがあるように、人と人のあいだにも「遊び」があるのだ。あたたかいようで冷たいけど、冷たいようで暖かいのが人間だ。

このプログラマーさんは親の世代から社会の遊びというものを教わってないのではないか。人に対する期待値が低すぎる。なぜ山本さんが「取りたて」に来たと思うのだろう。助けに来てくれたのだとなぜおもえないのか。

社会がそういうふうになってしまったのかなあ。。。この山本一郎氏の記事はほかにもおもしろいはなしが色々載っているのでおすすめです。


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