教育の差 「うつ」は「病」か 素直なカミングアウトの中の可能性
マンガ大好きな私であるが、やっぱりマンガから教えてもらったことがあったので紹介したのが上のマンガ。うつ病に苦しむ人の心情の全てを理解できるとは言わないが、それでも、その何分の一かはわかりやすく書いてあると思われるし、周りの人がどう接する(支える?)とかも参考になると思った。
こうした分野とは直接関係ないかもしれないが、日本には世界(特にアメリカ)に比べてかなり遅れている分野がいくつかある。もちろん、考え方が、である。
特別支援教育に関しても、日本に比べてかなり進んでいる印象を受ける。この分野における予算も日本はアメリカの10分の1以下である。これでは理解が進むはずはない。お金が全てではないという議論をここでするつもりはない。しかし、今の教育はほぼほぼ全ての面において、現場教員の善意で成立しているということは強く言いたい。(これ以上はここでは言わない)
閑話休題
さて、大坂なおみ選手が、自分の心を傷つけられたくないという理由で試合後の会見を“拒否”したニュース。全仏オープンの主催者が、プロなんだから会見すべきだというコメントを発表したのはまだ話がわかる。が、日本のメディアがそれに倣うように賛同したのには正直驚いた。
ところが、事態はその後のカミングアウトで一転する。
うつ病に苦しんだ
このツイートとともに、全仏オープンを棄権した。
単純に、私はテニスが好きなので彼女のプレーが見られなくなったのはものすごく残念だった。
各メディアは一斉にこのニュースを報道する。手のひらを返したように、彼女の味方だ。早く回復してまた元気な姿を見せてもらいたい。判で押したように最後にこのコメントをつけて。
しかし、NHKだけは、「うつ病」という表現を一切使っていない。
『気分の落ち込み』
この表現に一貫している。
世界のアスリートたちも、次々に彼女の味方のようなツイートをした。
彼女自身、本当に大変だったろうし、それをよく告白したぞと。ゆっくり休むべきだと。
メディアは質問のあり方を見直すべきだとも。
それはその通りだと思う。最近のメディアは残酷すぎやしないかと思う。そんなに刺激的なニュースじゃないと見向きもされなくなっているのか。
いや、ここで言いたいのはそんなことではない。
大坂なおみ選手のもう一つの言葉についてだ。
「今のこの状況は数日前に会見拒否のことについて投稿した時に想像も意図もしていなかったことです」
この意味は、彼女が心がアメリカ人の考え方であることを表しているのではないか。
今までの試合後のインタビューや会見、そして、優勝会見をふり返ると、大坂なおみ選手は、とてもとても素直で純粋な心の持ち主だと思うことができる。
今回もその素直な気持ちをもって、自分の気持ちに素直にしたがった上での行動だったのではないだろうか。
教育先進国のアメリカは、こうした分野にもおいても進んでいる。進んでいるということは、それだけ多くの人が理解をしているということだろう。自分の周りには、目には見えないことであるが、悩みを抱えている人がいるということを幼い頃からの教育で自然に理解しているということだ。
例えば、ドラえもんの翻訳ひとつとってもそうだ。
日本のコミックでは、道ばたで出会うしずかちゃんは、時としてお人形さんを抱えている。
しかし、アメリカ版に翻訳されたドラえもんは、しずかちゃんはお人形さんは抱えていない。お人形さんではなく、本を抱えているように書き換えられている。
アメリカは、社会的・文化的に形成される性別であるジェンダーに関してはそうした区別をさせない。 「家事や育児をするのは女性」「会社の重役を担うのは男性」といった、思いこみや認識による性別区分はさせないように、幼い頃から教育の一環として自然に行われている。
だから、アメリカ人は、何でお人形さんを持っているんだ?って普通に思ってしまうし、そうしたジェンダーを感じてしまうものは受けない。
人種差別問題に関しても、未だに残ってしまっていることに対して、断固として立ち向かっている様子もうかがえる。
大坂なおみ選手は、「depression」という言葉を使って告白し、大会を去った。日本では「うつ病」と翻訳されてしまう「depression」という言葉。
彼女はこの言葉に関して、【心が苦しい】ということを素直に表現しただけなのではないかと思えるのだ。自分の気持ちを素直に表現したのだ。そして、長い間苦しんでいるとも教えてくれた。とても素直に。
ところが、日本ではそうではない。
ある種この「うつ」という言葉にはアレルギーを持つ人もいるイメージすらある。
「うつ病」と聞くと、「風邪」とは明らかに違う受け止め方をする。
先日、女優さんが適応障害で休養をとるということを、少しでも早く回復することを願いますと、またお決まりの文句で報道したが、例えば、この女優さんが『心療内科に通院した』としたらこれだけでニュースになるのが日本だろう。そこで、処方された薬を調べ上げ、その薬の成分や効能まで逐一報道するだろう。
風邪で内科に通院してお薬もらいましたなんて、どこも報道しないだろうが、心療内科となると話が変わるのが日本だ。
(学校現場でもそんなところがあるからびっくりする……)
もし、日本でも心療内科に通院することが珍しくないという教育をされてきたとしたら、この女優さんはここまで我慢することもなかったかもしれない。そして、無事に早めに処方できていたら、休養することもなく元気に活躍していたのかもしれない。
大坂なおみ選手の告白は、そうするまでに時間もかかったし勇気も必要だっただろう。世界は、彼女自身が思ってもいないような状態になり、全仏という夢の舞台を棄権してしまうような状況に追い込まれた事実。
会見拒否も「depression」もギリギリの決断であったと思う。
しかし、彼女は、自分自身がそうであることを“素直に”教えてくれた。それは、アメリカで受けてきた教育がそうさせてくれたのではないかと思えてしまう。
恥ずかしいことじゃない。誰しも抱える可能性のあることなんだということ。
だから、それを受けた、アメリカの企業スポンサー(NIKEなど)たちの「ブランドイメージは傷つかない」としたコメントはいかにもアメリカらしいものだ。反応もとてつもなく早かった。
最後に、想像も意図もできなかったという彼女のコメントに、一縷の望みをつなぎたい。
それは、まだ手遅れではない段階だ、ということだ。
自分は「病」じゃないんだと思ってくれいる。だから、素直に言えたのではないか。もし、「病」だと思っていても、克服できると信じているから教えてくれたのではないか。
いつの日か、もっともっと理解が進む日を望む。
幼い頃から当たり前のように教育がなされ、本当のDiversityが認められる日が来ることを望む。
当たり前すぎて、多様性なんて誰も使わなくなる言葉になる日が来ることを。