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人間関係に疲れて挨拶が億劫になったら

人間関係に疲れてきたら挨拶もおっくうになる、と言います。
そのことについて書いてみます。

さりげない挨拶、会釈

お勤めをされている方でしたら、職場で出会う方に軽く頭を下げて
さりげなくご挨拶されていることと思います。

お勤めの現場だけでなく、
お住まいになっておられる地域のご近所の方と出会った時

山登りの時は軽く頭を下げるだけでなく明るく「こんにちは」と言いますね。

これらは「会釈」という動作でマナーです。

「釈迦に会う」

私は今日、買い物に行って、近所の方と道を譲り合い、会釈しました。


その時、ふっと
「会釈」
という漢字が大きく私の目の前におりてきました。


その時思いました。

「あぁ、会釈って
『釈迦に会う』って 書くんだ
 なんで今まで気づかなかったのだろう」


目の前が明るくなったような気がしました。

お釈迦様登場

人とあって会釈する時は「こんにちは」というご挨拶を言う場合、言わない場合もありますが、

その時、自分と相手の間にお釈迦様がいる、と思ってみる。


すると、それはなんと 素晴らしいことか、と思いました。

調べてみると、元々は仏教用語で
(ウィキペディアより引用)・・・・・・・

「和会通釈(わえつうしゃく)」の略語。

仏典の二律背反(相互に自己矛盾する教説)を照合し、
矛盾のない解釈を導き出すこと。

転じて他者相互の矛盾を解消する意となり、
さらに教説を離れて人間相互の融和から
「挨拶」の意へと変遷した。
・・・・・・・・・・・・・引用おわり


思えば「解釈」「釈明」という言葉も「釈」がついています。

おそらくこれらの言葉は

お釈迦様に対して
 どう解釈するか、
  どう明らかにするか、

というような意味合いがあったのだろう
と思われます。


仏教では昔から、経典を二つの見方でみて「どっちが正しいのか」などという論じ合うことがよくあったそうです。

論じること
 ↓
相互の意見の相違を融和して
戦いを終わらせること
 ↓
人間融和の意味で
「挨拶」に転じる

に変わっていったんですね。


これをお読みの方もこれから、会釈するときに

ふっと気持ちをゆるめて
自分と相手の方の間に
 にこにことしたお釈迦様が
  いらっしゃる

 キリスト教の方は
  キリスト教の神様が
   いらっしゃる

と想像されたら気持ちよく過ごすことができるのではないでしょうか。

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