やめようご機嫌マインド
自己肯定感、ポジティブ心理学、ご機嫌マインド。
最近何故かやたらと飛び交う「マインド系」の言葉。
この風潮に違和感を覚えてる人は多いのでないか?
見ようによっては自己責任論の権化にも見える「マインド系」が何故流行ってるのか、検証してみたい。
なぜ今ご機嫌マインドか?
何故最近こんなにマインドモノが幅を利かせてるか?
ここ数年は空前の起業ブームと言って良い。
その中にあって、大きな稼ぎを出しているのが、いわゆる「マインド、スピリチュアル系」である。
特に学術知識もスキルも要らない。その割に、日本人にはバカ売れする。
「起業初心者で自信がありません」でかつこういうのが好きな人には今の日本は売れ放題でなのである。
ご機嫌マインドや自己肯定感など、とにかくプラス思考系は売れる。
ご機嫌マインドが危ないわけ
当然のことながら、「とにかく自己肯定感が上がれば幸せ」で済んでしまう風潮は危ない。
法的社会制度的問題に目を向けない、いや単純に知らないケースもあるが、そうした問題を飛び越え、とっつきにくいからという理由でキラキラ見た目のキレイな世界に目が行ってしまうのかもしれない。
そういう人が日頃のモヤモヤをマインド、ポジティブに突っ走るのは洗脳や搾取の温床にもなるだろう。
「ご機嫌マインド」からステージアップする
ご機嫌マインドとかポジティブ心理学、量子力学、脳科学マネジメントなど、ネーミングだけはやたら揃ってますが、中身はほぼ似たり寄ったりである。
とはいえ、これらのものも完全に悪かというとそうとも思わない。
実際時にはポジティブマインド系の発する言葉で癒やされるのも事実である。
ネガティブな対象に対し、怒りの可視化、声を上げることは間違いなく大事だ。
ただそれらに対し、「伝わると伝え方」が余り熟考されてないことがかなり引っかかる。
大っぴらに言いづらいかもしれないが、ポジティブを自他ともに否定するだけを続けると、実は自分が結構消耗する。
これはお互い感覚の違いはあるが、当事者も支援者もさまざまな立場で疲弊はある。
もちろん、当事者の立場に立てば、外敵要因でその人が消耗することは可能な限り防がなくてはならない。
しかし、当事者の重荷を支援者が完全に取り除くことは永遠に不可能で、限りなく「取り除く」しか出来ない。
命ある限り、可視化のために怒り、弱い立場の人たちへの支援は必要だ。
しかし、肝心の自分が疲弊すると最愛助けたいその人も助けられず、共倒れになってしまう。
結論としてポジティブ全否定はむしろ危険だと思っている。
私自身もポジティブ心理学的なポイントをある程度知ることで、少なかれ気持ちの落ち込みを解決する方法として学べた。
そのことは決して悪い事ではないのだ。
完成や終わりのない世界に身を置く以上、自分への癒しは犯罪や他人に迷惑をかけない限りあって良いというのが結論である。