映画「マミー」を観に行ってきた / 和歌山毒物カレー事件
1998年に起きた「和歌山毒物カレー事件」を扱ったドキュメンタリー映画「マミー」を、劇場公開日の昨日、2024年8月3日(土)に、一人で観に行ってきた。
映画「マミー」予告&オフィシャルホームページ→ https://mommy-movie.jp 🎬
チケット予約をしたとき、公開日前々日にも関わらず席が割と選び放題だったので、「もしかして注目度ってこんなものなのか…?」と、実は勝手に心配したりしていた。
しかし当日、映画館に辿り着くや否や、一番最初に聞こえた声が、受付の女性の「『マミー』、本日分、売り切れとなっておりま〜す!!!」というアナウンスだった。
これまた、勝手に安心した。
現在まだ放映の幕開けをしたばかりの本作について、X (旧 Twitter) などを見ていると、割と事細かに中身の内容も詳しく書いて感想を述べている方々もいたのだが、
ただいま絶賛放映している中、そして、「和歌山毒物カレー事件」という事件を当事者 及び 多くの人々が (微力すぎながら自分含め) 現在も動かそうとしている中、できれば多くの方々に、実際に足を運んで、本作を観に行っていただきたいという思いがある。
もし、「好評につき放映期間が延長」になれば、事件の進展に良い影響が及ぶ可能性もあるのではないか、と願っている。
よって、なるべくこのnoteは、ネタバレになりすぎるような内容は避けて書けるよう、努力をしたいと思う。
(そもそも、存在する事実を扱っているドキュメンタリーなので、「ネタバレ」という言葉も相応しくない気がするが…。とにかく、全てのインタビュー内容や鑑定データ等を説明することは避けて、自分の感じたことを中心に書いていきたい、ということだ。)
しかし、これはあくまで私の信念としてそうしているだけであって、林家・長男さんや、監督の二村真弘さんを始めとする映画関係者のみなさんの意図と一致しているとは限らないということは、注釈しておきたい。
また、「ネタバレをしない」といっても、その感覚や程度というのはあくまで個人の尺度によって違うため、いかなるネタバレも避けたい方、この映画を観に行く予定がある方は、ご自身の目で一度観られるまでは、読まないことを推奨したい。
どんなものでも、誰かのフィルターを最初に通してしまうと、少なからず先入観というものは生まれてしまう。
逆に、この映画に全く興味がないという方…は、すでにこの記事を読むことをこの段階でストップしているだろうけど、和歌山毒物カレー事件についてそもそもの知識がないという方、またすでに映画を観られた方には、ぜひ読んでほしい。
この事件を世間に周知することを目的に自分も書いているので、ほんの少しでも貢献できたら嬉しいと思う。
背景
まず始めに、「和歌山毒物カレー事件」(通称「和歌山カレー事件」)とは、1998年7月25日に和歌山県和歌山市園部で発生した、毒物混入・無差別殺傷事件である。
この事件の被告人として、林眞須美さんは、2009年5月19日に死刑が確定しており、現在大阪拘置所にて収容されている。
しかし、この事件には不審な点が多数あり、林眞須美さんの冤罪疑惑が指摘されている。
最新の動きとしては、2024年2月に再審精求が和歌山地裁により受理されているという状況だ。
本ドキュメンタリー映画は、まさにこの、「この事件の犯人は、本当に林眞須美さんなのか?」を追求していく内容となっている。
ここから一瞬、私の個人的な和歌山カレー事件との関係性についての話を挟むのだが、私は1998年に生まれてはいたが (当時8歳)、当時はアメリカに住んでいたこともあり、日本でのこの事件の報道を目にすることはなく過ごしている。
そのため、この事件についてしっかりと認識したのは、3年ほど前、インターネットを彷徨っていた際に、長男さんのご活動を目にしたことがきっかけであった。
林眞須美さん一家には、夫である林健治さんと、4人のお子さんがいる。
しかし、この事件の後遺症ともいえる壮絶な体験を経て、長男さん以外のお子さんたちは現在、この事件と自身の人生とを切り離して生活を送っている。
胸が張り裂けそうになる話だが、そして、本事件との直接的な関連性があるわけではないためこの文中に含めるか悩んだが (ただし映画でもこの事実を扱っていたため記すことにした)、長子である長女さんは、2021年に自身のお子さんと心中し、亡くなっている。
第三子である長男さんは、X (旧 Twitter) を中心に活動をしている。
しかし、長男さんのご活動の一番の目的は、事件を世間に周知することであるということは明確だと言えると思うが、長男さんは頭ごなしに「母親は冤罪だ!」などと発言しているわけではなく、
自身の記憶にある実際に起きた出来事、母親からの手紙の公表、警察・検察・裁判の情報の公表、自身が露出したメディアの宣伝、
そしてそれに加え、自身のフォロワー (ではない人たちも含めた世間) からの、この事件に関する意見・見解・情報の収集を積極的に行なっているという印象がある。
当然、心ない発言をする者、事件の全貌も知らずに無責任に発言する者、ただの冷やかし心で発言する者、そして、残念なことに真剣な批判をする者など、想像を絶する数のネガティブな言葉を受けていることが多い中で、
世間の声に傾ける長男さんの耳は、私が見る限りでは寛容すぎて、鼓膜が破れてしまうのではないかと、いつも勝手に心苦しく思ってしまう所存だ。
長男さんとしては、死傷者が出ている本事件で、被害者が存在する以上は、こういった姿勢をとるべきだという判断に至ったのかな、というのが、私のこれまた勝手な考察である。
「林眞須美さんは冤罪だ」を全面的に押し出している内容ではなかった
映画の話に戻って、映画を観終えてすぐは、とにかく言葉が見つからなかった。
だが、記憶や感情がフレッシュな状態のまま、何かしら私なりの「しっかりとした形」でこの映画を鑑賞した経験について残しておきたい、それを発信したい、という思いが強くなり、フルパワーを捻出して、このnote記事を書くという行動に至っている。
そして昨晩、落ち着いた頭になって一番最初に頭に浮かんだ (気づいた) ことが、「『林眞須美さんは冤罪である』、ということを全面的に押し出してはいなかったな」という感想であった。
あくまで、「本当に林眞須美さんが犯人なのか?」「この事件の真相は一体なんなんだ?」という観点で、この映画は構成されていると感じた。
もちろん、物語に登場している人物たちは長男さんを始めとする、この事件の真相をどうにか明らかにしようとしている人たちが中心なため、その内にあるメッセージとしては、「冤罪の可能性があるんだよ」というものであって、その考えに寄っているといえば当然寄っているのだが、強いプロパガンダのような印象は受けなかった。
あくまでフラットな目線で、一つ一つ、事件の背景、不審な点、科学鑑定の結果、関係者取材、当事者たちの様子など、そういったピースたちを重ね合わせ、事件の全体像を届けている。
映画の宣伝ポスターには、「母は、無実だと思う。」という、長男さんの心内を言葉にしたような文言が書かれている。
が、実際の映画は、その文言の背景となっている水色の空を想起させるようなムードだった。
扱っている内容は「激しい」なんてどころのものじゃないのに、観ている私たちを激しく「これが真実だ!」なんて攻撃することもなく、静かに、「それで、あなたはどう思いますか?」と問われているようだった。
それが、余計に胸を苦しくさせた。
と、同時に、こういった作品を制作するにあたって、それが正解の姿勢なんだとも思った。
日本の司法と利権に対する怒りが爆増した
中身のインタビュー内容や鑑定データの解析などについて細かく書くことは避けたいと書いたばかりに、この見出しで書けることに自分で縛りをつけてしまっているわけだが、まずそれらを見た上で一番に沸き立った感情はこれだ。
この事件について (私なりに) 追ってきていた中で、ずっと司法の在り方については疑問しかなかったが、それがより確信的なものとなり、完全なる怒りと化した始末だ。
私だけではない、見た人誰もが、きっとそう思ったのではないかと思う。
…というのは超私感になってしまったが、少なくとも疑問符が頭に浮かばなかった人は、いなかったのではなかろうか?
自身のXでも何度か発信してきているが、私が収集している程度の情報で「林眞須美さんは冤罪だ!」なんていう言葉は、軽々しく口にはできない。
その言葉を発したとて、私は何の責任も取れないのだ。
ただ、今回の映画を観て、改めてしっかりと口にしたいと思ったのは、「林眞須美さんが犯人ではない可能性が大いにある」という言葉である。
「この程度の取り調べとデータで、一人の人間に "死刑" という極刑の判決を下してしまったのか…?」と、心がジリジリ、ジンジンとしてくる。
どのような演出であったかの説明は避けるが、作中に死刑が遂行される様子を連想させるシーンがあった。
和歌山カレー事件に限らず、さまざまな事件について調べてきた中で、死刑の行われ方についての知識もあったが、このシーンが流れたときは大変ショックを受けた。
自分の胸からドン、と音が鳴った気がした。
映画のパンフレットも購入したのだが、映画の鑑賞後に購入し、しばらく放心状態だったもので、まだパラパラと捲り、気になった部分しかしっかりと読めていない。
このパンフレットの中にも、映画の中で紹介された事件の取り調べ内容や鑑定データなどが記載されている。
長男さんや、事件の真相を今も追求している方々が流している情報とも合わせて、改めてしっかりと読みたい。
そして、何度も繰り返しだが、微力ながら、私なりに新たに発信できる言葉があるのではないかと、それも探して行きたい。
「死刑」について
これについて書くにはさらなる知見が必要だし、このテーマは、本来であれば単独で記事を書くようなトピックスである。
映画を観た上での自分の「林眞須美さんの死刑」についての所感としては、「この状況で、本当に "死刑" にしてしまっていいの?」
そして、
「本当に "死刑" を遂行するつもりで死刑判決を言い渡しているの?」
であった。
ある意味、より残酷で、もしかしたらより重要なのも、二つ目の鉤括弧なのかもしれない。
この事件では、新たな事実が発覚する度に、何度も再審請求が行われている。
その度に、何らかの理由でそれが棄却という結果になっている。
しかし、本映画でも紹介されている証言や鑑定データがある中でのそれは、一つ前の見出しにも入れた「利権」という言葉が深く関わっているのではないかと感じてしまう。
ここは少々ネタバレになってしまうが、事件発生当時の警察官や検察官へのインタビュー (とは到底言えないような、インタビューを試みた取材をしている様子の) 部分があった。
その様子があまりに酷くて (インタビューを受けている彼らの対応があまりに酷くて)、たとえ煩わしく感じてしまうようなことであったとしても、普通であればもう少しちゃんと応えられないのか?と、思ってしまう。
そんな態度を見せられてしまうと、そのような対応になってしまうのには、何らかの理由があるからなのではないかと、何らかのやましい事実があるからなのではないかと、どうしても感じてしまうわけだ。
とにかくこの事件を早く畳み掛けたかったのではないか。
難しいことは分からなくても、それ以上のやましい事実は特になかったとしても、まずはこう思ってしまうのが自然だろう。
でも、その代償となってしまっているもののことを、彼らはどう思っているのだろうか…?
いつ、「今日、死刑を遂行する」と言われるのかと、毎日怯えながら生きている一人の人間と、その家族がいる。
自分たちの名誉を失わないためなら、一人の人間の命が犠牲になるくらい、どうってことないと言うのか。
それとも、「死刑」は遂行せず、監獄の中で寿命を迎えるのを待てばいいと思っているのか…?
そのほうが、「自然死」として片付けられるから、罪悪感が減少するとでも言うのか…?
狂っている。
もちろん、それぞれの正義がある。それぞれの守るべきものがある。
自分がもしその立場にいたら、どうしていたのかは想像ができない。
倫理について語るのは、本当に難しい。
それでも、「何が正しいのか」を考える前に、メラメラと沸き上がってくる、名前のつけられない感情があった。
あまりここについては深く触れないほうがいいと始めは思っていたが、林眞須美さんは「林眞須美死刑囚」なわけで、「死刑」を切り離してこの問題・映画について語ることは、極めて困難だ。
この記事を読んでくれているみなさんにも、改めて考えてみてほしい。
もし自分や、自分の母親、妻、または大切な誰かが、本当に事件の犯人ではなかったとして、このような状況に置かれていて、どちらの道にせよ、「死」というものを待つしかない運命を抱えていたら…?と。
長男さんに宛てた手紙に書かれていた、林眞須美さん本人の言葉だ。
余談だが、先ほど紹介したパンフレット、税込でたったの900円だった。
販促担当(?)の方に申し上げたいのだが、1,500円くらいで売ってもいいのではないかと個人的には思った。少なくとも1,200円とか。
先述の事件のデータ以外に、二村監督を始めとする、さまざまな映画制作関係者のインタビューなど、内容がかなり充実している上に、紙質も上質で、カラー印刷。
なるべく購入してもらえるようにとこの値段設定になっているのかもしれないが、価値としては確実にお値段以上のものだと思った。
映画制作・公開の覚悟
最後に、映画の内容というより、「この映画を制作し、公開した」という部分について書きたい。
林眞須美さんは冤罪の可能性が高いという事実を知った二村真弘監督と石川朋子プロデューサーは、「"虚心坦懐" に事実を確かめたい」という思いから制作をスタートしたと述べている。
そして取材を続けていく中で、少なくとも、裁判が下した林眞須美さんの死刑判決には事実認定の誤りがあることが分かったため、その事実を多くの人たちに知ってもらいたい、改めて事件について考えてもらいたい、と、映画制作に至ったと、パンフレット内にも記している。
二村監督が体を張って取材を行なっている様子が映画内で何度も流れるわけだが、一線を越えた取材を行なっている彼の姿には、強く心を打たれた。
先ほども書いたが、元々は無関係であった人間がこのような事件と関わる決断をし、「冤罪の可能性がある」ことを一個人として、ましてや一つの団体として訴えるのは、残念ながら人間、そう簡単にできることではない。
それをこのような形で実現させたこと。
当事者でも何でもない私が讃えたとて、なのだが、自分自身の力では到底作れないものが完成されたことによって、私もこうしてnoteを書くという行動に出ることができている。
映画が制作され、公開されることには、こういった副次的効果があるわけだ。
もちろん、その「覚悟をする」という行為が生むものの中には、当事者たちにとっては良い思いをするものばかりではないことも承知している。
長男さんが映画公開の前日、Xでこのようなポストをしていた。
「頸動脈に刃物を当てられているような怖さ」なんていう表現は、私の頭からは創生されることのないような言葉だ。
どれだけの恐怖を味わったのかと想像すると、心が痛む。
世の中は、残酷だ。
映画公開の情報が拡まると同時に、想像を遥かに超える量の誹謗中傷が再燃してしまったと、映画配給会社である東風さんも報告している。
映画はあくまで「本当に林眞須美さんが犯人なのか?」を追求している内容なので、私がこれまで主にインターネットメディアを通じて長男さんの口から拝聴してきた、事件が起きたことによって負うこととなった (「 "和歌山カレー事件の犯人" の子供」として直面することとなった) 子供時代から受けてきた差別やイジメを含む壮絶な体験の数々、大人になってからも許されない「普通の幸せ」「普通の生活」などに苦悩している様子などについては、ほとんど描かれていない。
私自身がこの事件を追い始めたきっかけが長男さんで、情報を得る場所もほとんどが長男さんであるため、どうしてもこの事件について語る際には長男さんの立場に感情移入して話を進めてしまうわけだが、
26年間経った今も事件の決着がつかず、それでも母親 (と父親) を見捨てず、事件の真実を追求する生き方には、やはり頭が上がらない。
ここでしっかり記しておきたいのだが、長男さんは何も悪いことをしていないのだ。
父親・母親が保険金詐欺を働いていたことは事実で、また、あまり言葉にはしたくないが、たとえ林眞須美さんが和歌山カレー事件の犯人であったとしても、長男さん自身は何にも事件を起こしていない。
誹謗中傷を浴びるという報いを受ける筋合いはどこにもないのだ。
下記の写真は、自宅にある、2019年に長男さんが発売されたご著書だ。
映画のパンフレットとともに、もう一度改めて読み返したいと思う。
また、以下の動画も長男さんが歩んできた道 (長男さんだけのお話ではなく、ご家族全員の人生) について色々と知ることができるので、未視聴の方にはぜひ観ていただきたいと思う。
(数多くある中の一部を抜粋した。)
「街録ch〜あなたの人生、教えてください〜」より、2021年春のインタビューの前編・後編 (現在は頻繁にこのチャンネルに関連した活動をしている長男さんが、初登場した回である)。
同じく、下記は「街録ch〜あなたの人生、教えてください〜」より、2022年1月に配信されたインタビュー。
(先述した、林家の長子で、長男さんにとってはお姉さんにあたる長女さんが亡くなってしまった半年後である。)
また、インタビュアーが変われば、質問の内容・仕方も変わり、それに伴い、インタビューを受けている側も対応・答え方が変わるということで、「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」にて、2022年夏に公開された動画もぜひ観ていただきたい。
チャンネル自体も違えば、撮影場所・撮影スタイル・編集等により、動画の雰囲気も違うし、視聴者が受ける印象も変わる。
こちらのチャンネルには健治さんも登場しており、健治さん視点のお話や、保険金詐欺の件についても、より詳しくお話が聞けるので興味深い。
3部作構成になっている。公開の時系列順に並べた。
また、丸山ゴンザレスさんは、映画「マミー」の公開にあたって、公式のコメントも寄せている。
特記しておきたいのが、長男さんは、「 "死刑囚" の家族として壮絶な経験をしてきていたって、こんなにも明るく生きていることを見せたい」という主旨の発言をよくしていて、日常的な会話をするときは、実際にとてもユーモア溢れるお人柄であることが窺える。
自身を「ひょうきん」であるとよく表現している。
ご本人がそのようにして生きている中で、「可哀相な人だ」ということを訴えたい意図はない。
ただ、今回の映画を観て、もし長男さんのこういったメディアでのお話を聞いたことがない人がいたら、ぜひ長男さん視点のお話というものも観てほしいと、個人的に思ったため、共有した。
(映画「マミー」は、二村監督及び映画制作チームのみなさんの視点が中心となっている。)
私には想像を絶するような経験をしていても、こうして常に前向きに生きようとしている長男さんの姿勢には、いつも感銘を受けている。
それを感じていただけたらと願って、上記の動画たちもこの記事の中で紹介することにした。
今後の期待
前回の見出しの冒頭を「最後に、」なんていう始め方にしてしまったが、話の方向性が少々ズレてしまったため、改めて最後に、映画「マミー」から今後期待している (というか、願っている) 展開について、記しておきたい。
そしてこの章だけ、最後は「です」「ます」口調になることを最初にことわっておきたい。
このnoteの冒頭に書いた内容と重複するが、映画制作に携われた方々、長男さんを始めとする事件の進展を追求している方々が想定していた以上の来場数となり、映画の上映期間が「延長、延長!」となることを願っている。
そして、和歌山毒物カレー事件についてそもそも知らなかった人たちが知るきっかけとなり、誤解をしていた人や中身をしっかりとは把握していなかった人たちが改めて事実がどうなのかと考えるようになり、
それぞれがそれぞれの形で感じたことを発信していく輪が広がったらいいなと、大変勝手ながらに思っている。
その輪が広がれば広がるほど、長男さんを始めとする当事者の皆様にとっては胸が苦しくなるようなものも大きくなっていくことは、確実であるといえよう。
そのことを想像すると胸がちぎれそうな思いだが、数年前までは「忘れ去られていた」ような事件が、こうして映画化されて、そこに良い影響力が全くないなんてことはありえないと信じている。
テレビメディアなどは厄介な制限等があって厳しいのだと推察するが、さすがに映画館のみでの上映に留まることはないと信じたいし、さまざまなところへ露出されることを私個人としては強く願っている。
そして、その波及によって、私たちの目には見えない大きな力がぶっ壊され、事件が進展することに繋がるよう、祈っている。
※これらはあくまで私個人の勝手な願いであって、映画配給会社さん・映画制作チームのみなさん・長男さん・健治さん・林眞須美さんの冤罪を訴える活動を行なっているみなさんのお声を代弁しているものではありません。
また、このnote記事自体が、全て、個人の主観的な見解に過ぎず、私の勝手な思いで書いたものです。
ただし、映画を制作した以上は、映画を成功させたい、という意思は、映画配給会社・東風さんとしては当然のことながらあるものだと思っています。
また、長男さんのこれまでのご活動を踏まえて、この事件を進展させたい、この事件に決着をつけたい、という気持ちがあると認識しています。
映画「マミー」を観て、その願いが叶うことを、ここまで強く望んだことはない。
そういう気持ちになる映画でした。
観て損をするような映画では絶対にないと思います。
ご自身の目で、この事件について確かめて、みなさんも改めて考えてみてください。
Yurika