「腹黒のジレンマ」を読む。 [後編]
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[3章の続き]
・「これが好きだったらこれもいいよ」「あの人と話が合うと思う」 人をつたって広がっていく知識や新しい関係性。 おもしろい作品、素敵な人、おいしいお店。 人とコミュニケーションをとればとるほど、自分にとって興味のあるものが吸い寄せられるような気がしている。
飲み会の意味づけは、学ぶことだらけだった。
この飲み会の楽しみ方が習慣になったら、どんどんどんどん好きなものや素敵な人が自分に集まってくる。
最強だな。
これやろう。
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私は飲み会はわりと好き。
私はこれが好きなんだ!ということを私自身がわかったときから、飲み会にいくのが楽しくなった。
好きなことを否定してくるような人は周りにいないし、自分が熱量を持って語れる話題があると安心して人に興味を持てる。
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社会人になるとまた違うのかな。
好きなことを否定してくるような人がいたら嫌になっちゃうかもな。
[4章] ありふれた日常
・悩みのコンテンツ化に長けている人はリアルな回答を求めないという意味な気がする。いっぽう、悩みを「コンテンツ化して話さない」人は、実用的な会話をしがちなのかも。
悩みのコンテンツ化という考え方は、難しいけれど面白い。
お悩み相談コーナーとか、思いっきりコンテンツだもんね。本気で悩んでる人が相談するはずなのに、ある程度現状が把握できてて解決に向かってる人の背中を押すみたいな回答が多い気がする。本気で悩んでる最中の人って、あんなにわかりやすく相談文まとめることなんてできないと思う。
でもコンテンツであるお悩み相談コーナーに送る以上、ある程度まとめないと相談乗ってもらえないし…。
難しいな。
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でも、「確実に悩んでるのに、なんて質問すれば解決できるのかわからない状態」になるときありますよね。
上手くいかなくて自分ではどうしようもなくて、助けてもらわないと前に進めないのに、なんて言って助けてもらえばいいのかわからない。自分が何を目指していて、今はどこまで出来ていて、どこでつまづいているのか、伝えるべきことはわかっているのに上手く伝えられない。
めっちゃある!!
わからないことはわかってるけど、どこがわからないかはわかんないの!!
これは本当に泣くしかない。
なんとかしたい。
[5章]答えのないもの
・勝手に「いい人でいたい」「相手を楽しませたい」なんてハードルを設けて、それを「できるはず」と思ってしまうから、会話するのに気負ってしまうのだ。
・お互いの気遣いや気配りがあってこそ成立するものに対して、自分だけで背負えると思い込んで挑むなんて、むしろ傲慢なことなのかもしれない。
コミュニケーションは楽しいものだということを忘れないようにしたい。
当たり前のことだけど、大切だと改めて思った。
[なんでマンぶんけいの今日の”なんで”]
・教習所のなんで ガソリンの入れ方
習ってないよね?乗り捨てできないのに、なんで教えてくれないの!
これ、初めてレンタカーに乗ったときから思ってて、ノズルの存在も教わってないことに、怒りすら感じたよね。
凄い共感!!
絶対に必要なのにガソリンの入れ方教えてくれないの、本当になんでなの。初めてガソリンスタンド行くことになったとき、不安でたまらなかった。
[おわりに]
・お寿司屋さん、パティシエ、教師、映画監督、いろんなものになりたいと思っていた自分。ところが今では「何者にもなりたくない」というような、厨二病じみた思考に辿り着いた。それはきっと、一言で語れないものがこの世界には多すぎるからだ。
肩書きやカテゴライズがなくなって、個人として認識されるようになっていく。
そんな世界になったらいいですよね。
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子供の頃、「将来何になりたい?」って聞かれて、必死に職業を探して答えていたけど、そのときに興味あることや楽しいことに夢中になり続けられたら、やりたい事が見つからない、なんてことにはならないんじゃないかと思う。
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共感したところ、刺さったところなど、心が動いた部分について沢山書きました。
ただ読むだけじゃなくて、得た情報を自分ごとにして読み込んでいくと面白いです。こうして、自分の考えをまとめていくうちに、同じ本を読んだ他の人の感想も知りたくなってきました。
本読むのって楽しいね。