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この町に、誰もがいつでも診てもらえる病院を

『神様のカルテ 2』を読みました📖

📕小説 ★★★★

栗原一止は、医者6年目です。
「24時間、365日対応」を理念とする、長野の病院に勤めています。



”この町に、誰もがいつでも診てもらえる病院を”

副部長の古狐先生が倒れました。
悪性リンパ腫がすでに全身に転移していて、残り数週間しか生きられないことが分かりました…。


部長の大狸先生のお母さんが運ばれた病院には循環器内科医がいませんでした。救急車で別の病院に搬送されている間に、お母さんは心筋梗塞で亡くなってしまいました。
古狐先生の奥さんが妊娠中に運ばれた病院には、産婦人科医がいませんでした。別の病院に搬送される間に赤ちゃんは亡くなり、奥さんは二度と子どもを産めなくなりました。

そういう哀しいことは、もうナシにしてえんだよ。俺たちは。(p.244)

”この町に、誰もがいつでも診てもらえる病院を”
それ以来、もう30年以上をかけて、2人はこの町の医療を本気で変えようとしてきたのです。



人が死ぬということは、大切な人と別れるということ。

人が死ぬことで何かが片付くということではない。
新たな何かが始まるということですらない。
大切な絆がひとつ、失われるということである。
そのぽっかりと空いた空虚は、何物によっても埋められない。(p.354)
「いけませんよ、栗原先生。
いつでも病院にいるとおうことは、いつでも家族のそばにいないということなんですから。」
(古狐先生の言葉 p.216)
「あなたは医師である前に人間です。とっても当たり前のことなのに、ずっと言えずにきてしまいました。」
「逝ってしまったはずなのに、あれ以来かえって、いつもあの人がそばにいてくれているような気がして…。しっかりしなければいけませんね。」
(古狐先生の奥さんの言葉 p.258・359)



ただ良心に恥じぬということが、我々のすべてだ。

大学時代の同級生・進藤辰也が東京の大病院から長野に戻ってきました。

医者は、患者のために命がけで働くべきだという。
医者が命を削り、家族を捨てて患者のために働くことを美徳とする世界。
夜も眠らずぼろぼろになるまで働くことを正義とする世界。
誰もが自分が正しいと勘違いをしているんだよ。(P.191)

学生時代には”医学部の良心”とまで呼ばれた彼の意外な言葉に、一止はハルの笑顔を思い浮かべます。

当たり前のように繰り返されてきた日常が、急に平均台の上のきわどいバランスのように見えた。(p.191)
いかなる逆境においても、ただ良心に恥じぬということが、我々のすべてだ。(p.193)

一止たちは、どんなに辛いことがあっても、信念を持ち続けます。



大切なものを犠牲にすることに葛藤しながらも、医師を続けていくことに希望を見出していく先生方を、心から尊敬します。
来年は医師として働くと思うと、不安なことばかりです。

◇生死と向き合えるか?
◇仕事に本気になれるか?
◇家族や大切なものを犠牲にしないでいられるのか?

いま考えてもどうしようもないことは分かっています。
それでも考えずにはいられません。
不安としっかり向き合いながら、勉強や実習をできる限り頑張っていこうと思います。


この町に、誰もがいつでも診てもらえる病院を
読書感想文 小説② 2020/06/16 ちはや🌻

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