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僕が息子とダンゴムシから教わったこと。

こんにちは。育児をポジティブに捉え直したいと思い立ってはじめた、通勤電車からのnoteの第2回になります。今回は、もうすぐ2歳半になる息子との“会話”の中で、小さなことかもしれないけれど、人生が豊かになったなぁ…という話を書いてみます。

ちなみに、僕がnoteを書き始めたきっかけについてお読みになりたい方は、以下の投稿をご覧いただければと思います。


1. 学校では教わらなかった「複数の視点を持つこと」の大切さ。

さて、みなさんは、これまでの人生の中で、以下の様な言葉を言われた経験はありませんか?

例えば、「人の気持ちを考えて行動しなさい。」という言葉。僕は幼少期に母親や学校の先生たちから、よくこの言葉を言われたものです。自他ともに認めるワガママな少年だったので、両親や周囲の方々には、きっと迷惑をかけたんでしょうね…。(今のうちに謝ります。ごめんなさい。)

ただもし、世の中の人々がみんな、人の気持ちを考えて行動することができたら、きっと世の中から戦争や争いごとは減るでしょうし、昨今話題に上がることが多いパワハラ・マタハラ・パタハラも、今のような大きな社会問題になっていないでしょう。試しに、amazonの書籍カテゴリーで「人 気持ち」と検索してみたら、300件を超える書籍が検索結果に表示されました。これほど多くの書籍が出版されるほどに、みんなが「人」の「気持ち」に関して興味があったり、悩んでいたりするのだと思います。

他にも「別の角度から考えてみたら?」という言葉はいかがでしょうか。僕は社会人になってからというもの、広告業界の諸先輩方からよくこの言葉を言われたものです。新卒で入社した広告代理店と言う場所は、クライアントの商品・サービスなどのマーケティング活動に伴う、プロモーションのアイディアを考える業界でもあったので、当然といえば当然なのかもしれません。しかし、昨今の時代においては、どのような業界にいても「今までにない発想」や「そこから生まれるアイディア」は必要でしょうから、同じような言葉を投げかけられた人(もしくは今も投げかけられている人)も多いのではないでしょうか。

ただもし、世の中の人々がみんな、モノゴトを複数の角度から考えることができたら、きっとフェイクニュースに踊らされる人も減るでしょうし、日本からも、例えばiPhoneのように、今までにない発想やアイディアから生まれる商品やサービスがより多く誕生するのではないかと考えてしまいます。

上記の例にあげたような、「人の気持ちを考えて行動してみたら?」という言葉。そして、「別の角度から考えてみたら?」という言葉。どちらも「複数の視点を持ち、幅広い視野からものごとを見なさい。」ということなのだと思います。その結果として「新しい発見や気付きが生まれ、大切なことが見えるようになったり、考えられるようになったりする。」ということなのでしょう。図にしてみると、以下のような感じでしょうか。

僕は今年で31歳になりましたが、「複数の視点を持ち、幅広い視野からモノゴトを見る。」ということの大切さと難しさを、今でも日々感じています。先に述べましたが、このチカラはきっと、ニュースなどで世の中のできごとに触れるとき、仕事でアイディアを考えたり、チームでパフォーマンスを発揮しようとしたりする時はもちろんですが、家族や友人といった人間関係がある場面や、ソーシャルメディアなど直接顔が見えないコミュニケーションの場面においても、役に立ちそうだと感じています。

…とはいうものの、少なくとも僕が育ってきた国内の小中高の教育の場では、そのような「視点の持ち方」について、体系的に学んだ経験は少なかったように思います。ちなみに僕は1988年生まれで、社会ではいわゆる「ゆとり世代(導入期)」と呼ばれています。学校の授業の中にも「総合学習」と呼ばれる時間が設けられたばかりの世代でしたので、昨今の教育環境では既に変化が起こっているのかも知れません。(そもそも総合学習ってなに?とう方向けに、文部科学省のURLも貼っておきます。)

さて、そんな「視点の持ち方」ですが、このnoteに書いていこうとしているように、僕は子育てという日々の営みを通して「モノゴトに対する複数の視点の持ち方」を、少しずつですがリアルに体得できてきたように感じています。今回のnoteもそのような発見を書いてみています。


2. 僕と息子、それぞれが持つ視点でみる「ダンゴムシ」。

我が家に息子が生まれたのは、2017年の3月でした。それからあっという間に2年と3ヶ月。目の前のモノゴトに必死に対応しているうちに…気がつけば最近では、息子は驚く様なスピードで言葉を習得しはじめています。この変化のスピードにはただただ驚くばかりで、数ヶ月前までは我が家の車を「ブーブーだね」と言っていた息子が、最近は同じクルマに対して、「パパの車あるね〜。ビューンってするね〜!早いねぇ〜!」と喋り出すのです。もちろん、まだまだ片言ではあるのですが、一歩ずつ意思疎通が図れる言葉たちを話してくれています。子どもの成長って、ホントに嬉しいものです。

そんなとある週末の午後、僕と息子とでお散歩をしていたときのことでした。息子が公園でダンゴムシを見つけて「ダンゴムシだねぇ、お家いこ〜ねぇ〜♡」とお家に連れて帰ろうとしたので、僕はつい「(ダンゴムシは汚ないから)お家には連れて帰れないよ。公園でナイナイしなさい。」と言って、息子の手からダンゴムシを公園に戻してしまうという出来事がありました。

これは我が家では日常の風景だったのですが、皆さんのご家庭でも同じような経験があるのではないでしょうか?もし「ダンゴムシ」での経験がなければ「石ころ」ではどうでしょう?幼少児のお子さんをお持ちのご家庭の半数くらいは同意してくださる気がしていますが…いかがでしょうか?それでも経験がなければ、スーパーでの「アンパンマンのお菓子」でどうでしょうか?「アンパンマンは買わないの!早く棚に戻しなさい!」と少し語気が強くなってしまった経験、ありますよね?(我が家だけではないはず)おそらく、多くのパパママが似たような経験を持っていると思います。

…少し話が逸れたので「ダンゴムシ」に話を戻しますね。僕が「(ダンゴムシは汚ないから)お家には連れて帰れないよ。公園でナイナイしなさい。」と言って、息子の手からダンゴムシを公園に戻してしまった、という話でした。その時は時間がなくて、自分の視点から見た「ダンゴムシ=汚いもの」という認識に伴う言動が先行してしまっていました。しかし、このように他愛もない子どもとダンゴムシのエピソードに関して、少し立ち止まったり振り返ったりして語る時〈例えば、子どもを寝かしつけた後に1日の出来事を振り返っている時や、パパ友ママ友と一緒に子どもの話をしている時など〉に、もしかしたら僕らは「モノゴトに対する複数の視点」を持てているのではないかと考えたのです。

ちょっと目を閉じて想像力を働かせてあげれば、息子が持っている「子どもの視点」で、大切そうにダンゴムシを両手に包み込む彼の気持ち考えることができると思えたのです。きっと彼の気持ちは、次のような感じだったのだと思います。

『クルクル丸くてかわいい、大好きなダンゴムシ。あっ、今日も公園いたんだね!そうだ、今からお家でも一緒遊ぼうよ♡』(…なのにあれれ?パパがダンゴムシを払って捨てた!ああぁぁ…!どうして…!泣けてきた。。もう泣いちゃうもんね。。ウワァーン!!!!!(大泣)

という感じでしょうか。忙しい日々の中でも、少し立ち止まって、ちょっと落ち着いて振り返ってみるだけで、そんな息子の気持ちが、ジワジワと理解できてきませんか。

よく「子どもが生まれて、人生が2倍楽しくになった。」というような言葉を聞きますが、これは世の中のモノゴトに対して「自分の視点」と「子どもの視点」の2つを行き来できることから出てきた言葉ではないかと思います。僕はなんだか、大人になるに連れて「汚いもの」と思っていたダンゴムシに対して、こうして「子どもの視点」を手に入れた瞬間から、だんだんと愛おしさすら感じはじめました。そして、ダンゴムシのことを愛する息子のことも、きちんと尊重したいと思うようにもなってきたのです。

ここまで読んでいただいて、当たり前のことを書いているように感じられる方もいるかと思うのですが、子育てという戦いの日々の中では、そんなことを考えている余裕さえない、というのが正直なところです。だから僕はこうして自分のためにも、このことを忘れないようにnoteを書いています。

今年の梅雨は、雨が多く気分が滅入っている方も多いと思います。そして、日々を仕事や育児で忙しく過ごしていると、ついついモノゴトを落ち着いて考えてみる余裕もなくなります。梅雨空にかかる虹を見ても「さっきの雨で虹が出たのかな。」くらいにしか思えません。そんな時に「子ども視点」を持つことができていると「お空にかかる色とりどりの”あの綺麗なもの”は一体なんだろう?何色あるんだろう?どうして出てくるのかな?触れるのかな?」という気持ちにもなれたりします。

このような発見や気付きを感じると、「自分の視点」と「子どもの視点」の2つを行き来できるようになったこと、つまり「モノゴトに対する複数の視点の持ち方」を体得でき始めたことの価値を感じずにはいられません。そして、やっぱり僕も「子どもが生まれて、人生が2倍楽しくになった。」ように思えてきます。


3. 複数の視点は人生も仕事も豊かにする

なんども書いている「子どもが生まれて、人生が2倍楽しくになった。」という言葉にもあるように、「自分の視点」と「息子の視点」を獲得し、それらの行き来をしてみることで、新しい発見や気づきがあることをここまで書いてきました。僕は、たまたま僕と息子との間での話を書いているので、「2倍」という部分にも納得感があります。ただし、さらに抽象度を上げて考えてみれば、この楽しさは3倍にも4倍にもできると思います。

こちらも何度も例に出しますが、ダンゴムシについてもう一度考えてみます。僕の視点と息子の視点以外にも、例えば「ダンゴムシの研究をしている博士」とお会いしてお話しする機会があれば、視点はさらに増えて3つになるのではないでしょうか。おそらく僕は、今までの人生では触れることもなかったダンゴムシの生態や、その体の不思議(そもそもあんなに綺麗に丸まれるのも凄いかも!)に触れて、今までの「3倍」ダンゴムシが好きになれるかもしれません。

身近なところだと、人生のパートナーである妻との間でもそうでしょうし、友人や職場の同僚との関係でも、ソーシャルメディアで出会った皆さんとの関係でも、このような視点の行き来は可能なはずです。僕は今回、たまたま大人と同様には言葉を使いこなせないために、真剣に心を寄り添わせないといけない「息子の育児」という営みの中で、複数の視点を体得しやすかったに過ぎません。

人生経験が増えることで、知識や先入観などが増えていくことは自然なことですし、それを否定するつもりは一切ありません。むしろ自分自身の視点の中でだけ生活していく方が、時間も節約ができて、しかも楽チンなのかもしれません。けれど今この瞬間も、様々なモノゴトが起こっている世の中でで、気になるモノゴトに対しては、忙しい日々の中でも少し立ち止まって、「複数の視点を持ち、幅広い視野からものごとを見てみる」ということを意識して生活したいな、と思います。そして結果として、新しい発見や気付きが生まれたり、大切なことが見えてきたり、考えられるようになったりしたら、それは幸せなことだなと思います。

それは、ホンの些細な日々の工夫なのだけれど、そんなことの繰り返して、ちょっとばかり人生が豊かにできたらいいなぁと思います。そして育児を通して、そんなことを教えてくれた息子にも感謝の気持ちです。


4. おしまいに(また長くなってしまった)

今回も長くなってしまいました。もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、有難うございます。不定期ですが、また次回もよろしくお願いします。もしご意見等あれば、リプでもDMでもコメントでもいただけますとこっそりと喜びます。それではまた。


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