さよならのあとも、関係は続いていくー「ぼくとアールと彼女のさよなら」
映画のトビラvol.1
「ぼくとアールと彼女のさよなら」(Me and Earl and the Dying Girl)
ひねくれ男子高校生と、少女の出会い
主人公グレッグは、一歩引いて学園生活を眺めている、いわゆるひねくれ者の高校生。学校のすべての国のパスポートを手に入れ、みんなとそれなりに仲良くして卒業したいと願っていました。物語は彼のユニークな視点で語られ、テンポよく進んでいくのですが、彼の前に少女レイチェルが現れることで、生活リズムが変わっていきます。
心の中で成長しつづける、亡き人の存在
「その人が亡くなってから、もっとその人を知ることになる」
レイチェルを待ち受ける悲しい未来を受け入れられず不安を覚えるグレッグに、マッカーシー先生が言います。
「ずっと心の中で生きつづける」とはいっても、大切な人がこの世からいなくなる悲しみは、そう簡単に薄れるものではない。そう思っていたので、この作品を初めて観たときは、きれいごとのように聞こえてしまいました。
私自身、この作品を鑑賞した後、祖父と祖母、そして愛犬を亡くしました。それから長い時間が経ったいま、薄れつつあった彼らの存在が自分の中でより大きくなっていることに、最近気づいたのです。
むかし理解できなかったその人の発言や行動への「理解が深まった」といった感覚です。それからは、ずっと自分のそばにいてくれている気がして、一緒にいた時のように強くいられます。
ラストシーン、グレッグはレイチェルの部屋を見渡し、部屋の隅々に彼女をみつけます。壁紙に描かれたリスの絵、昔から好きだったハサミでつくったブックアート。
深い悲しみと愛しい思い出が混ざり合った複雑な感情を、グレッグ役のトーマス・マンがみごとに演じています。
何に関しても深く関わらず本気で取り組めないグレッグからは、まさに今の若者の姿と葛藤が垣間みえます。
そんな彼が物語終盤、レイチェルの未来を恐れながらも、顔を背けず現実に向き合っていく姿には心を打たれました。
作品自体はポップなテイストでありながら、一度観ただけでは消化できないほどの深いメッセージを残してくれる、すばらしい作品です。
ジョークとユーモアに心を奪われ、エンドロールで静かな涙を誘う、グレッグとアールとレイチェルの物語。
ぜひ、みなさんに観てほしいです。
イラスト:一色美奈保 (@iroiro_minaho | Instagram, Twitter)
1991年、大阪府生まれ。『北摂の本』『東京のごちそう』などに挿絵や似顔絵を描いている。
文:鈴木友里 (@olive_movie| Instagram,Twitter)
株式会社文鳥社/カラス。コピーライター。
OLIVEの企画とライティングを担当。
こちらの記事は、映画メディア「OLIVE」にも掲載しています。
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