アラジン珈琲店【X版】⑩《米国の暴動からさらに加速すること》
⑩マスターは珈琲を入れ始めた。すると途端2枚目の姿を現す。黙っていれば文句なしのダンディーなマスターだ。まるで無の境地にいるかのように静かに珈琲を入れる姿は、見るものに整った気持ちを与えさえした。あたりに珈琲の香りが立ち込めたとき、マスターは口をきいた。
「目下われわれはCOVID-19を退治できているわけではないですし、春になり温かくなって感染拡大が抑えられてもインフルエンザのように我々は付き合っていくものだと共通認識は生れてはおりますが、明るい展望は共有しちゃいない。オリンピックだって高い確率で中止になりかねない。来る米国の暴動の影響が日本にも来るかもしれない。これからあんまりいいニュースは聞かれないように思いますなぁ。」
「報道は、そうかもしれまんせんわね。ニュースはいつだって、恐怖を掻き立てるものが選ばれますわ。それが陰謀かどうかは分かりませんが、単純に恐怖や不安を呼び起こすものは人の気をひきますわ。それでも、わたくしは、必ずより明るい光が行き渡る世界になると思いますの。破壊があるからこそ創造が生れますし、暗雲があれば必ず光は眩しいもの。」
芽衣が新しく入れた香り高い珈琲を運びながら頓着もわだかまりもない明朗な声で言うと、翔子が疑問を呈した。
「米国?暴動?来たるってこれから起こるって事?それが破壊ってこと?そんなニュースあったかしら?警官の黒人への発砲のこと?」
「あ、いえ、それとは違いますわ。これからの可能性のことですの。地球の未来の時間軸に色濃くそんな様子が見えるんですわ。ね、マスター。」
マスターの右の目が明るい水色のトルマリンのように光った。
「そうですなぁ。見えますなぁ。それが選択されるとは限らないですがな。」
「なにそれ、わけわからない。実はマスターたちが超能力者だとでもいうの?未来予知?オッズアイの力かしらね。」
芽衣がXの前に珈琲を静かに置いた。Xの顔は穏やかに緩まったが、知的な面影は依然印象的だった。
「芽衣さん、ありがとうございます。マスターいただきます。」
爽やかなベルガモットのような薫りがした。Xは、自身の意識がますます明瞭喨々となるのを実感した。
「確かに、アジア人の青色オッズアイは珍しいですし、サイキックな力を連想させますね。ドラマなどのフィクションの世界ではよく登場人物の設定にあるそうですし、僕も何度か目にしたことがあります。」
Xがそう言いながら、芽衣が運んだ珈琲を口元に運んだ。
「ははは、そんなわけないですよ。わたしはただ、過去と今とそれから未来の無数の可能性が同時に見えるだけです。少しばかり、人の知覚能力の限界を超えただけですよ。といいますか、本来わたしたちに備わっているもので特別でもなんでもないものです。」
「えぇ、遺伝子が切断されているだけですわね。なぜかわたしたちは繋がった。うふふ。フィクションみたいですわね。それはさておき、このまま改革をもたらす暴動が起きる時間軸を進んでいけば、米国にはびこっていた暗部が暴露されますわ。それは今まで正義の顔をしていたものが実は真逆であり、人も物事もみかけで判断してはいけないことの証でもありますわ。暴動は不安を喚起し、世界各地それからこの国日本にも及ぶかと思いますわ。今まで一部の人たちが握っていた優れた医科科学技術や過去に封じられた真実も明らかになってきますわね。占星術の世界では『水瓶座の時代』なんて、言うようですけれど、そのとおり水の入った水瓶をさかさまにするように、わたしたちは多くの知識を共有する時代になっていくと、そう思いますの。情報技術は、誤った報道も瞬く間に広がりますけれど、真実もまた同様に広がるのですわ。」
見る者に快と知性、それから清澄さを与えるXの顔がいささか曇った。Xは、心ない暴言で多くの芸能人が傷つことに心痛めてきたからだ。
「謝った報道の方が、早く広がると聞いたことがあります。人としての配慮を感じさせない中傷やそれから恐怖をあおるようなフェイクニュースは早く広まると。」
「えぇ、進化人類学の言うところによると、こうした恐怖や不安への反応はわたしたち人類が長い狩猟採集時代に培ってきた脳の性質でもあるそうですわ。あそこの藪には猛毒の蛇が澄んでいる、谷の向こうの沼は底なし沼だ、そのような人命を脅かす恐怖の情報は速やかに共有されるように脳が発達することで、わたしたち人類は生き残ってきたそうですの。フェイクニュースが招いた悲しい事件もありましたわね。メキシコの小さな街、アカトランだったかしら、数年前子供誘拐の濡れ衣を着せられた結果リンチ殺人が起こりましたわね。」
「だとしたら、そんな暴動の可能性のお話は恐怖をあおりはしないかしら?」
翔子が言うと、芽衣が晴れやかに言った。
「心配はご無用ですわ。対策は必要ですけれど、心配は全くの必要ありませんわ。無駄、とまで言いたいですわ。以外かもしれ万けれど、起った方が早く光の世界へわたしたちは移行することができますわ。うふふ。いずれにせよ必ずわたしたちは、光溢れる未来を選択できますわ、そう信じておりますわ。既存のシステムの破壊が米国だけではなく、これから世界各地で起こる結果、わたしたちは暗黙の支配からの自由を得ていきますの。そして一人ひとりが自分自身の価値観をより大切にできる時代が到来しますの。これは、同時に自分自身の価値観を見いだしておかなければ、充実して生きれない時代が来ることでもありますわ。両親や社会、ましてや会社の上司が提示する価値観ではなく、私たち個人個人の価値観。誰として同じ人がいないように、それはおひとおひとり質も量も異なるものでわ。」
いつも穏やかな話し方の芽衣が、少し間を置いてから笑みを浮かべながら言葉を区切るようにはっきりと付け加えた。
「『個の時代』の本格化ですわね。」
Xが頷き、芽衣のしっかりとした口調の基盤をより強固にするように反復した。
「『個の時代』ですか。少し前から言われていた事ですが、最近目に見えて来ましたね。芸能活動をyou tubeなど個人の発信がベースとなったSNSメディアに広げる業界人も増えています。僕自身もyoutubeで動画上げましたね。」
Xは笑顔だが、真摯さが伝わる様子だ。
「拝見してみたいですな!youtuberが何とか再生回数を上げようと日々がんばっているところをポーンと万の再生回数なんでしょうなぁ。ははは。神は不平等だ、といいいたくなりますなぁ。」
「Xさんはルックスだけじゃない。それだけの努力をしているのよ。」
「そう思いますわ。Xさんが秀出しているのは内面からにじみ出る魅力があるからこそと思いますわ。」
「さようでございますな、翔子さん、芽衣さん。全くかないやしませんなぁ。努力家で研究熱心だと聞いたことがありますな。それで、そのルックスですからな、西風の神ゼフィロスが動くがごとく瞬く間に女性陣のこころを掴んでおりますな。とほほ。」
「そんなことありませんよ。」
Xが笑いながら言った。マスタはひとつ咳払いをしてから続けた。
「個の時代とは、フリーランスの人が増えて、世間や社会が今まで呈示してきた生き方に縛られる必要がなくなる、個人が大企業に勝つなんていわれていますが、企業も存続するでしょうし、チームワークによる作業もなくなることなんてありませんよ。ただ、集団のあり方は縦割りピラミッド型ではなく、横社会になるでしょうな。リーダーの理想像も在り方も変わる。」
マスターは、再び指で円を描き人差し指を立ててから、続けた。
「それと、個の時代が進行していき、かつ人生ゆうに100年以上ときたら、今後の世界を楽しく生きる鍵はやっぱり、これですな。『己を知れ。』につきるのではないですかなぁ。まぁ、いつの時代でも賢人や聖人はそうでしたが、これほどこのワードが強力な意義をもたらす時代は人類史上初と言ってもいいですな。己がどんな価値観を大切に生きるタイプの人間か、ストレス耐性はどの程度か、そして、無意識の領域も己のことに含まれますな。むしろ、この無意識の領域を知ることこそ、今からの時代をより幸福に過ごすための大切な鍵を握っているのはありませんかな。」
そういうと、徐に珈琲カップを洗い始めた。
「で、なんのはなしでしたかな。あぁ、そうでした、ウィルスの話でした。ウィルスのたとえ話はやめときます。うむ、それがいい。」
「えぇ、コロナについてはわたしたち、早く収束するようにと祈ることしかできませんもの。」
「ほんとにそうね。」
「僕もそう思います。家で孤独を感じたり、今後の経済不安を抱える人が安心して過ごせるように僕も祈りたいです。」
Xが言うと、翔子が言った。
「祈りって、ばかにならないわよ。実は、祈るなんて自己満足だと思ってた時期もあったの。行動こそが物事を動かすと思っていることは変わらないけど、今は違う見方をしてるわ。祈る気持ちが強いとね、問題解決の方法がないか知恵を絞ったり、何か自分にできることがないか考えるわ、そして実際に行動することに繋がるものよ。結構素敵なのよ。」
「それに、他者の幸福を願うことは心に平安を呼びますわ。そんなお心の状態の人は、周囲の人にも素敵な影響を与えることができるものですわ。」
芽衣も翔子に賛同の様子だった。
マスターが瞬間悩ましそうな顔をしたことにXが気が付き、マスターを覗き込むように聞いた。
「どうしたんですか?マスター。調子でもわるいのですか?」
「やっぱり虫にしましょう。虫でしたらな、ウィルスと違って退治できるイメージが湧きますからな。ははは。人を悲劇の道に誘導する虫対策としましょう。」