高校生と勉強について
6月1日(土)
結葵(ゆうき)と申します。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、とりあえずやってみる。
今年から赴任した高校が,いままさに勤めているところでなかったとしたら,おそらくこの疑問は自分の心の中には浮かんでこなかっただろう。いわゆる進学校と呼ばれるところではなく,進学を希望する生徒よりも就職を選択する生徒の割合のほうが多い学校で,インクルーシブ的にさまざまな生徒を受け入れている。
廊下ですれ違ったり,昼休みに図書館で話しているときには見ることができなかった姿が授業中に目に入ったりする。普段の会話からは想像できないような一面を,ふとした瞬間に目撃することもある。特に担当学年が異なり,関わりがあるのは基本的には授業だけだったりすると,クラスメイトとの人間関係や,交友関係については情報不足になったりする。
厄介なことにその反対もあって,別に聞きたくもない生徒間の恋愛事情や,まったく興味のない交際関係の話はやたらめったら飛び交っているし,不必要にすぐに噂やタレコミが広がる。田舎の狭い世界にありがちな弊害で,心底嫌いだ。
かく言う僕自身も,まだまだ広い世界への扉を開けたことが少ないというのは悲しい事実である。海外旅行経験も留学経験もゼロ。もちろんそれだけが広い世界への扉を開ける方法だとは思わないが,手っ取り早さで言えばピカイチだ。地方の片田舎から大学入学を機に関西へ出てきて,そこが地元の民と高校の修学旅行の行き先の話をしただけでギャップを感じたのを今でも覚えている。
半年だけ休学をしたときにも,復学してから何人の教授に「海外とかには行ったの?」と尋ねられたことか。こっちの事情も知らずにテメェらの感覚で軽々しく聞いてくんじゃねぇよ。
「大学受験の指導をする」というイメージをずっと持ちながら勉強を続けてきた。英語講師として腕の見せどころとなるのはやはり長文読解だと思い続けてきた。それはやはり視野狭窄だったと認めざるを得ないだろう。
思い出してみれば,僕は以前に日本の大学進学率を自分で調べて驚いた経験がある。日本の大学受験生,かつては全国10万人などとも言われていたが,普通科の高校を卒業して大学・短大に進学する割合はせいぜい6割弱程度にしかすぎない。残りのうちの2割強が専門学校への進学になり,合わせてやっと8割強となる。
当たり前のように大学受験への進路が決まっているというのは,案外狭い世界のなかでのみ共有される常識だったりするものなのだ。そして僕は,まさにいまその常識が当てはまらない世界に浸かっている。むしろ,大学受験をするのかしないのかで悩むことすら選択肢にない生徒と対峙するのは,ある意味で仰天したというか,ちょっと悲しくなるような気がしなくもない。
大学進学を端から考慮に入れていない高校生たちに,
勉強の習慣もまったく身に付いておらず,そもそも勉強しようという気持ちもなければ授業もただ受け流している高校生たちに,
真面目な話をすればすぐに不貞腐れるのが顔に表れ,刹那的に楽しいと思えなければすぐに眠りにつくかあるいは不機嫌な顔をする高校生たちに,
「今は多様な生き方が認められつつある時代なのだから,それぞれの生き方を尊重するべきだと思います」と大人たちの理屈を小賢しくも利用する高校生たちに,
「学校の勉強」というのは何かしてあげられるのだろうか。
こういう,複雑多岐にわたって要素が絡み合う物事について思いをめぐらすとき,人は何か「原因」を探ってみては,自分自身が納得できるものを見つけた途端に安心してしまう。いわゆる外科手術のように,問題を引き起こしている原因を特定し取り除いてしまえば,体は元どおり正常に働くようになると思い込む。
でもおそらく「原因」なんてのはいくら探ってみたところで出てこなくて,そもそも核心にたどり着くなんてことは不可能なのであるから,いっそのこと「なぜかは分からないけれど,こういう風になってしまったのだ」と受け入れるほうが容易い。「こうなってしまったからには,もう過去に問題の原因を探るのは止そう。これから何をするのかにエネルギーを注ぐほうが気楽でいいさ」
じゃあ,具体的にこの先どうするのさ?と問われても,まぁそんな簡単に答えが出るわけではあるまい。すでに出ているのならわざわざこんな風に文章にしたりせず,とっとと準備に取り掛かるだけなのだから。
そう,いろんなことを考えながら,暗がりのなかを彷徨い歩き続けている。一方ではあんなことしてみたら面白いと思ってくれるのではないか,こんなことを話したら興味を持ってくれるのではないかと拙いアイデアがいくつか浮かんでくる。授業は我慢して受けるものじゃないという校長の言葉が妙に引っかかって頭から離れない。楽しくないより楽しいほうが良いに「決まっている」。楽しい,ワクワクするのような感情を引き出せる授業のデザインを……と。
けれども他方で,学校の勉強というのは基本的に楽しいものではない,と分かっているはずだ。人間の感情というのは,身体の外側からの刺激を通じて引き起こされるものではあるが,それを他人がまったく狙ってやれるほど簡単なことではないはずだ。特にプラスに働く感情というものほどそうで,一朝一夕で相手を楽しい気分にさせることができるのであれば,僕はとうの昔からお笑い芸人をやっている。
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