結葵

士別れて三日なれば、すなわちまさに刮目して相待つべし

結葵

士別れて三日なれば、すなわちまさに刮目して相待つべし

最近の記事

ひとりぼっちは寂しいと言うのなら

6月22日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 孤独になれるってのはひとつの武器なんだなぁ  今日も今日とていつものようにカフェでひとり読書をしたのだが、日曜日の昼下がりというもの、大学生らしき集団がいくつも群がり一緒になって勉強している。カフェという場所の良し悪しを問うことはひとまずおいて置くとしても、せっかくの休日を割いて、わざわざ外にまで出て、しかも今では意外とお財布に優しくない値段のするコーヒーを買って勉強をするのだから、一歩でも半歩でも勉強を前に進めたいはずだ

    • 四の五の言わずやる

      6月3日(月)  結葵(ゆうき)と申します。 「大人をやりゃあいいんでしょ!分かったふりをして!」  若いときに大切なのは勢いだと思う。  今日、その日その場の勢いで、その瞬間に思いついたことをやってみる。あるいは、猪突猛進、無鉄砲も甚だしい勢いのまま、誰に何を言われようが自分の足を前に出し続ける。一瞬のうちに山肌を流れ落ちていくAvalancheのような、向かう所敵なしの力強さ、怖いもの知らずのunstoppableな勢い。  それには、ある程度の度胸と勇気が必要

      • 高校生と勉強について

        6月1日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、とりあえずやってみる。  今年から赴任した高校が,いままさに勤めているところでなかったとしたら,おそらくこの疑問は自分の心の中には浮かんでこなかっただろう。いわゆる進学校と呼ばれるところではなく,進学を希望する生徒よりも就職を選択する生徒の割合のほうが多い学校で,インクルーシブ的にさまざまな生徒を受け入れている。  廊下ですれ違ったり,昼休みに図書館で話しているときには見ることができなかった姿が

        • 「仕事観」ってやつになってくるもの

          5月19日(日)  結葵(ゆうき)と申します。 思い出してみると、子どもの頃にも同じように親から言われてたんだよな…  4月から働き始めてあと2週間もすれば2ヶ月が過ぎることになるが、いまは実家から職場まで通っている。本当は4月下旬の時点でアパートを1部屋借りているのだが、そこでまともに生活することなく1ヶ月が過ぎようとしている。  自分自身はGW明けからそちらの部屋で暮らす気満々だったのだけれど、Amazonで注文していたはずの家具がどうも届かないので確認してみたら

          「生きづらさ」という単語について

          5月5日(日)  結葵(ゆうき)と申します いまや日本語のコミュニケーションは種々の合言葉だけで成り立っている  「生きづらさを抱える人たち」とか「生きづらい世の中で」などとよく言うけれど、この言葉を聞いてまず思うのは、生きづらくなかった、すなわち未熟な若者や種々のマイノリティが生きやすい世の中とか時代とかってのはそもそもなかったのではないか。  まだ自分の耳がこの言葉を聞き慣れていなかった頃は、身近にいる積極的な人たちがそういう声を出すと素直に共感するところのほうが多

          「生きづらさ」という単語について

          お腹いっぱい(20240429)

          世界はほしいモノであふれている 見るものすべてに魅了され わたしをあたたかく、やさしく包み込む 見ているのは、ただ画面を通した映像だけなのに 心地のよい心拍が胸をうつのはなぜだろう わたしの知らない世界のなかに わたしを幸せにしてくれるものが詰まっている それを知っただけで、わたしは幸せなんだ いま、わたしが持っているものでは わたしは幸せになれない? そうやって人は、もっともっとと幸せを追いかける わたしたちは幸せになることを諦めてはいけない 明日の

          お腹いっぱい(20240429)

          綺麗事を言って満足するやつが一番キライ

          4月13日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 これは自分のことかもしれない。  周りの人間が普段使っている日本語に注意深く耳を傾けてみれば割とすぐに気づくことだが、我々はどれだけ気軽に、何の躊躇いもなく「頑張る」という類の音を口から漏らしているのだろうか。  入学式があった。  生まれてこの方入学式というものを、小・中・高・予備校・大学と(おそらく)5回ほど当事者として経験してきて、今回は生まれて初めての立場で入学式に参加することになった。  相も変わらず冗長的

          綺麗事を言って満足するやつが一番キライ

          忘れかけていたもの、乗り越えたもの、抱きしめたいもの

          3月31日(日)  結葵(ゆうき)と申します。 — 孤独に沈潜する  大学の卒業式を迎えてから、はや2週間が過ぎようとしている。2週間目を迎える次の月曜日は、ちょうど4月1日。仕事が始まる日だ。  ここ数週間、色々な著者の本を読んでいた。中井久夫、浅田彰、小林秀雄、立木康介、などなど。特に、今月は精神分析に集中していた。医者に世話になったことはないけれども、どこか神経症っぽい症状があると感じずにはいられない。中井久夫の描写する分裂病(統合失調症)患者の姿を読んでいると

          忘れかけていたもの、乗り越えたもの、抱きしめたいもの

          少数者として胸を張って生きていきたい

          3月26日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 「こうあるべきだ」という社会規範を全力で拒絶する  「〇〇的マイノリティ」というものが定義できるとしたら、僕はそこには類別されないのかもしれない。でも、マイノリティというものが定義できない以上、つまりマジョリティとの境界をはっきり策定することができない以上、僕はここ最近ずっと、自分がもしかしたら何らかの点でマイノリティなのかもしれないと繰り返し問答している。  自信を持ってマイノリティだと自認することはしない。自分が多数に

          少数者として胸を張って生きていきたい

          頼むからみんなでぼくを笑ってくれ(笑)

          3月21日(木)  結葵(ゆうき)と申します。 笑い飛ばしてくれたら、それが禊になるからさ。  何なんだろうな、なんでこんなに上手く行かない?  先週、ちょうど今日から1週間前、納車した。新車だった。それからほぼ毎日、乗った。いろんなところまでドライブした。いろんなところといっても市内で、高速で遠出したり、ましてや県をまたぐ移動はまだしたことがない。  それが…… それが…… 今日、さっき、つい3時間くらい前、ぶつけた。しかも、自宅の車庫で(笑)どこにぶつけた?——

          頼むからみんなでぼくを笑ってくれ(笑)

          頑張らなきゃいけないらしい

          3月19日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 で?頑張るって一体、何をすればいいのさ?  本日付けで、ついに大学を卒業する。現在時刻、18日23時26分。もうすぐ本日付けではなくなってしまうので急ぎめで書き連ねるのだが、今日もいつものように不貞腐れたことを書く。  ああ、よくない。この「不貞腐れた」と自分で言ってしまったせいで、いろんな余計なことを書こうというモードになってしまった。ここで断ち切る。「不貞腐れた」と言っているものの、「不貞腐れ」ているつもりは一切合切な

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          意味がありすぎる無意味な言葉

          3月12日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 やりたいことを粛々と、訳の分からなさに悶々と、向き合わないことに堂々と。  「コミュニケーション能力」なる言葉は一体何を語ってくれるのだろうか。  高校生くらいのときからかな……「コミュ力」「コミュ障」という言葉が盛んに会話のなかで頻繁に登場するようになった(という曖昧な)記憶があるが、世間一般的にはそれよりもっと前から、すでにこの言葉は使われ始めていただろう。  僕が知るかぎりでも、この「コミュニケーション能力」なる

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          ニヒルにならなきゃ何も始まらない

          3月5日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 「理解」できるわけではないが「納得」できる、なんてことあり得るだろうか。  ここ数日、少し体調を崩していた。具体的に言うと、喉をやられた。痛いというわけではないのだが、唾を飲み込むと少し引っかかりがある感じ。たぶん前に、カフェで読書していたときに、エアコンが直撃する席に1時間ほど座っていたからだと思う。昔からエアコンにめっぽう弱く、冬場の暖房は加湿器をつけていても喉が乾燥する。  あと、体も少し気怠くなった。完全に風邪をひい

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          若さについてのひとりごとっ

          2月27日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 ひとをまだまだ若いと揶揄しながら、自分はまだ老いぼれていないと鼓舞する。  僕は’99年生まれの24歳。世間的にはまだまだ若い。自分でもそう思う。色々と若い。何をしても説得力に欠けるだろう。青二才。芦田愛菜ちゃんの語りに妙な説得力を感じるのは、彼女が若くて若くないからだろう。歳を重ねるとは落ち着きが増していくことのようにも思える。いつまでも感情の起伏が激しい大人は若い。いや、この場合は幼いになるのか。幼いやつは若く見えるだ

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          懐古と宣誓

          2月24日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 いや別に嫌われてはないんだろうけど… ま、まぁ嫌われてても仕方ないかぁ…  友達がこの記事を読んでいるだろうか… 読んでいるのなら、キミだよ!また既読無視しやがって!今度もまた返信するのすっかり忘れてたんだろ!無視される身にもなってみろっつーの!忙しいとか関係ねぇ。テキトーにスタンプひとつ送ってくれりゃいいんだよ!返信なんてのは雑でいいの!  友人たちとはLINEを介して連絡を取っている。が、たいていは既読無視されて終わ

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          精神分析とファシリテート(+省察)

          2月23日(金)  結葵(ゆうき)と申します。 「意識的な努力」は途方もない。無意識的に。知らぬ間のこだわり。  今、片岡一竹著『ゼロから始めるジャック・ラカン 疾風怒濤精神分析入門』(ちくま文庫)を読んでいる。第1部「精神分析とはどのような営みか」まで読んだ。ここまでは、精神分析という臨床が、精神医学やカウンセリングとはどのように異なるのかについての話で、本格的にラカン的精神分析の理論に入っていくのはこれから。  精神分析に関する初めての本で、実際に文庫が出版されたと

          精神分析とファシリテート(+省察)