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他者と生きていくということ ∼ピーター・ブラウン著「野生のロボット」を読んで~

 ※この記事は、私が参加している創作コミュニティにて、12月18日に掲載したものを転載しています。

 以下の文章を載せた目的として、文章を読んだときに何を考え何を感じるのか、ということを知っていただくためです。ある程度、私の人間性というものが分かる方が、ご依頼くださる方の判断材料にもなり得るのかな、と考えます。


 自分の創作の資料として、ピーター・ブラウン著「野生のロボット」を読んだ。この作品について感じたことを述べる。  この物語は、沈んだ貨物船の荷物が無人島に不時着し、その中で唯一無事だった荷物である「ロズ」が起動することから始まる。
 ロズは無人島で生き残るために、島の生き物たちの言葉や習性を学習し、コミニュケーションを試みるが、生き物たちからは怖がられてしまう。ある時、ロズが雁の巣の上に落ちたことでほとんどの卵が無惨にも割れてしまった。それに責任を感じたロズは、ひとつだけ割れなかった卵を自分が育てていくことを決意した。
 卵を育てるために雁のおばあさんや、家を作るためにビーバー一家を頼ったりしていくうちに、動物たちとの交流が深まっていく。また、雛が孵り、雛とロズの「親子」の触れ合いがロズを変えていった。

 この物語を通して、「他者と生きていく」ということについて深く考えさせられた。当初ロズは生存戦略のために動物たちの言葉を覚えて、交流を試みたが失敗した。動物たちの信頼を得ることができなかったのである。しかし、自分の子供である「キラリ」を育てるために、動物たちに助けられていくうちに、信頼関係を築いていく。
 なぜ、ロズは動物たちの信頼を獲得していったのだろうか。それはロボットであるロズが所縁のない雛を育てようと努力し始めたからではないかと思う。
 厳しい野生の世界では、卵が孵ることなく死んでしまうことも多々あることだろう。そのためか、ロズが卵を割ってしまったことについて責める動物はいなかった。
 そんな厳しい世界で、自分の実の子供でもない雛鳥を、他者が育てようとしている。それが動物たちの心を動かしたのかもしれない。
 また、ロズもキラリを育て、動物たちと交流していくうちに、生存のためでなくキラリや他の友人たちのために行動するようになる。
 ある枠組みの中で生きていくのに、ヒトはひとりでは生きていけない。それはもちろん、多くの人が知っていることだろう。けれど、本当にそれを理解出来ているのかは、その人によるのではないだろうか。
 枠組みの中で生きていくには、利己的な動機だけでは他者からの信頼は得られず、結局孤独となる。話が逸れるが、孤独というものは自分という存在が薄らいでいくことなのだと思っている。

 自分のことだけではなく、同じ枠組みの中で生きる他者を慮ることは、まわりまわって自分を助くのである。「情けは人の為ならず」という言葉が相応しいだろう。ロズはキラリや動物たちに助けられ、動物たちもロズに助けられるという、相互扶助関係にある。これが同じ枠組みの中で生きる、社会で生きるということなのではないだろうか。
 コミュニケーションや、自分と違う誰かとどうやって共に生きていくのかということについて思いをめぐらせる、良い機会となった。私が社会の中で生きていくということ、私という存在がこの社会に在るということ、それを振り返ることが出来たことを嬉しく思う。

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