ウェルビーイングデザイン研究会2期・自分メモ
定年後の生き方について。
私は定年後どころか、働き盛りと言われる40代半ばまでさまよっていた。親から授かった多才を活かしても会社員としては評価されず不良だった。
そんな中、身寄りのない転勤先で妻を亡くし、「ひとり息子を守らなければ」と、ゆういちのぱぱ=ゆぱと名乗って暮らし始めた。それまで私の人生の辞書に「継続」という言葉はなかったが、父子ふたりで暮らし「続ける」ことしか頼るものがなくなったためか、「継続は力、継続こそ力」と次第に思うようになった。自分本位だった若い頃は評価されなかったが、ゆぱとして生きることで周囲から次第に認められ応援されるようにもなった。「自分ひとりでは息子を育てられない、たくさんの人に一緒に育ててもらおう」と、息子と2人で様々な場に参加し、多様なつながりを得、社会に居場所を得た。この「多様なつながり」が人生の支えになった。ウェルビーイングデザイン研究会を主宰する前野隆司先生(慶応大)も「多様なつながりを持つ人は幸せである」と言う。また「自分のためではなく他人のため、利他の心を持つ人は幸せである」とも言う。「他人のため」が結局「自分のため」に返ってくる。前野先生は「自利利他円満(仏教用語)」とも言う。私も「息子のため」の活動が結局「自分のため」になっていることを実感している。けして犠牲ではない。
一方、妻を亡くしてから「遺児の父」として生き、遺児遺族支援、死別ひとり親家庭支援にピアサポートとして携わってきた。また、17歳で息子が障がい診断を受けてからは「障がいのある子の親」として障がい者就労支援業界に移り本業とした。「遺児の父」「障がいのある子の父」として「当事者活動」に拘って生きることが、人生の確かなよりどころとなった。
定年まで2年を切った今、「多様なつながり」の中での「当事者活動」にこだわり、息子と2人で活動することを生涯の本業、天職とするために奮闘している。
ウェルビーイングデザイン研究会では、子どもの頃、若い頃、今、それぞれ熱中したこと、そして将来の目標や夢、それらすべてに共通する要素があれば、それがその人のウェルビーイング観の土台になるということを学ぶ。私にとってその土台が「多様なつながりの中での当事者活動」であると考えている。
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