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地域の悲史 鳥取県

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鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
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#怪談

浦富の子育て幽霊-通幻禅師の話-

8月6日から続けてきた鳥取市周辺の斎場・火葬場跡&地域の悲史めぐりは、今回でひとまず最終回となります。 お盆はもう過ぎましたが、最後にもう一つ幽霊の話を。摩尼川の継子落としの滝、網代の虚空蔵山と、悲惨な子殺しの話が続いたので、最後は母親のわが子への愛を感じさせる話です。 1688年(貞享5・元禄元)に成立した「因幡民談記」(著:小泉友賢)にもこの怪談が記載されており、江戸中期にはすでにこの話が語られていたようです。 ちなみに、今回帰省した際の最後の訪問地です。 浦富の子育

立見峠の怨霊-伝説が秘める因幡の戦国時代・2-

今回も、お盆にちなんで幽霊の出てくる伝説です。 鳥取市郊外の本高から宮谷に抜ける「立見峠」という峠があります。令和になった現在もなお、昔の峠の面影を残している峠です。 この峠には、戦国時代に無念の死を遂げた若き武将の怨霊が出没し、村人を脅かしたと伝えられています。 立見峠の怨霊伝説 1560年代中頃、因幡守護・山名氏から鳥取城番を命じられた武田高信は、因幡制覇の野望を秘めていた。 おりしも、守護・山名誠通(久通)は但馬山名氏との戦いに敗れて戦死してしまう。誠通には源七郎と

幽霊薬-伝説が秘める因幡の戦国時代・1-

今回は、お盆にちなんで幽霊の出てくる伝説です。 この伝説は、私が子どもの頃に母や祖母から聞きました。鳥取県東部地方ではよく知られた昔話と思っていたのですが、前項「申年がしん」で紹介した「むかしがたり」(著:山田てる子 日本写真出版 S50.4.1)には、この話は載っていません。実はあまり知られていない伝説なのかも知れません。 鳥取の郷土出版関係では「子どものための鳥取の伝説」(著:野津龍 山陰放送 S54.1.26)にこの話が載っています。 一種の怪談ばなしなのですが、舞台と