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地域の悲史 鳥取県

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鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
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#伝説

若桜の身投げ淵

鳥取県東部、若桜の街並みの郊外に、「庄瀬(庄ノ瀬)」という地があります。ここに美女の身投げ伝説がひっそりと伝わっています。 身投げ淵 この伝説は地元で今も語り伝えられているかは不明ですが、安陪恭庵の『因幡志』に記述があります。 "山崎甲斐守が若桜の城主だった頃、城内で酒宴が開かれていた。 城付きの女官たちが酌をして回っていたのだが、ある美しい女が酌をしようとしたときに、足もとの簀の子が「キィ」と音を立ててしまった。この音を聞いた一同が女を見て笑い転げた。女が放屁したと思

粟島神社 静の岩屋-八百比丘尼の入定崫-

米子市の西の郊外に「粟島」という小さな丘があり、粟島神社という神社が建っています。ここに、人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼という女が入定したといわれる石窟があります。 粟島 粟島は米子市の中心部から5㎞ほど西に走った場所にある標高36mの小さな丘です。かつては中海に浮かぶ小島でしたが、江戸時代の干拓によって地続きになりました。 山頂には粟島神社があり、万病治癒の神とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。 静の岩屋-八百比丘尼の入定崫- この

幽霊滝の伝説 【小泉八雲の描く怪奇の世界】

「耳なし芳一」や「雪女」を書いた小泉八雲(1850年6月27日~1904年9月26日)をご存知でしょうか。 その小泉八雲が採話し、1902年(明治35)に出版された『骨董』の巻頭を飾る『幽霊滝の伝説』の舞台が鳥取県日野郡日野町にある龍王滝(黒滝とも)です。 幽霊滝の伝説 伯耆国黒坂の近くに「幽霊滝」と呼ばれている滝がある。その幽霊滝にこんな怪談が伝わっている。 明治の初め頃。冬の寒い夜に、黒坂の麻取り場で女たちが怪談話に興じていた。怪談話がひとしきり終わり、薄気味悪さが

摩尼川の継子落としの滝

鳥取市覚寺から摩尼寺に続く参道(と言っても、舗装されていて自動車での通行が可能ですが)途中にある「継子いじめ」の悲話を秘めた場所です。 継子落としの滝 昔、鳥取の町にある夫婦が住んでいた。その夫婦には継子がいたが、夫婦は、何かにつけて継子をいじめていた。 やがて夫婦は「あの子を始末してしまいたい」と考えるようになった。 ある日、継母は「摩尼さん(摩尼寺のこと)参りに連れて行ってやるから」と、継子を連れ出した。 夫婦は子どもを連れて摩尼寺の参道を歩いていたが、継母がふと歩み

浜坂の犬塚と犬橋

鳥取市浜坂にある「犬塚」と「犬橋」を紹介します。 犬塚と犬橋 前に紹介した「丸山の追分」を砂丘方向に曲がらないで直進した道は、鳥取砂丘を通って但馬国(兵庫県北部)へと向かう但馬街道で、多くの人でにぎわった道でした。 ※「丸山の追分」については、こちらをご覧ください→申年がしん-鳥取市郊外に残る天保の大飢饉犠牲者の供養塔-|Yuniko note ところが、この道の途中に千代川と摩尼川(摩尼寺のある摩尼山から流れる川)の合流点があり、そこは小川のわりに川底が深くて川崖も高く

立見峠の怨霊-伝説が秘める因幡の戦国時代・2-

今回も、お盆にちなんで幽霊の出てくる伝説です。 鳥取市郊外の本高から宮谷に抜ける「立見峠」という峠があります。令和になった現在もなお、昔の峠の面影を残している峠です。 この峠には、戦国時代に無念の死を遂げた若き武将の怨霊が出没し、村人を脅かしたと伝えられています。 立見峠の怨霊伝説 1560年代中頃、因幡守護・山名氏から鳥取城番を命じられた武田高信は、因幡制覇の野望を秘めていた。 おりしも、守護・山名誠通(久通)は但馬山名氏との戦いに敗れて戦死してしまう。誠通には源七郎と

幽霊薬-伝説が秘める因幡の戦国時代・1-

今回は、お盆にちなんで幽霊の出てくる伝説です。 この伝説は、私が子どもの頃に母や祖母から聞きました。鳥取県東部地方ではよく知られた昔話と思っていたのですが、前項「申年がしん」で紹介した「むかしがたり」(著:山田てる子 日本写真出版 S50.4.1)には、この話は載っていません。実はあまり知られていない伝説なのかも知れません。 鳥取の郷土出版関係では「子どものための鳥取の伝説」(著:野津龍 山陰放送 S54.1.26)にこの話が載っています。 一種の怪談ばなしなのですが、舞台と